好きな辞世の句について語り合うスレ
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古来日本には人がその死に臨んで句を作り、歌を詠むという
風流がありました。このスレは歴史上の好きな辞世の句を挙げて
語り合うスレです。有名なもの、マイナーだけど素敵なもの、
当時の面白いエピソードも含め、大いに語り合いましょう。
参考 辞世の唄「高杉晋作から吉田松陰まで…」↓
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4 言いだしっぺとして最初の句。
黒髪の 乱れたる世ぞ 果てしなき
思いに消ゆる 露の玉の緒
北条夫人(武田勝頼正室)
大意
遺髪として残したこの黒髪の様に乱れる戦乱の世が
続いています。私のこの世での夢も露の玉の緒の
様に儚く消えてしまいました。
僅か19歳(数え歳なので、今なら18歳)で
自害した薄幸な御姫様。
実家の北条家に帰る術もなくはなかった
ろうに、あえて留まって勝頼と生死を
共にした心の美しい女性だったと思う。
今の時代じゃ絶滅危惧種の様な女性。
こんな女性と結婚したい…。 散りぬべき 時知りてこそ 世の中の
花も花なれ 人も人なれ
細川ガラシャ
美しい引き際 ガラシャさんの旦那の細川忠興は、
今の目から見ると、ストーカ気質の
マジキチだけど、夫婦仲は
どうだったんだろうね? 七転八倒 四十年中
無自無他 四大本空
朝倉義景
この人、あまり積極性が
無かった様に思うけど、
七転八倒という所感を
持っていたと思うと
不思議な感じがする スレタイにあるMV、スゲ〜な。
辞世の句に曲付けた訳ね。
高杉晋作で始まり、吉田松陰で終わるか…。
個人的には緒方襄さんの句に感動。
特攻隊の辞世でも、これは究極かも。
心から敬礼! 高杉晋作の辞世の句、
下の句は野村尼さんの作だっけ。
すみなすものは心なりけり。
俺なら
「狂い狂はせ、果てにけるかも」
くらいにするんだけどな。 待てしばし、勲残して往きし戦友(とも)
後な慕いて 我も行かなむ。
山下奉文
マレーの虎虎呼ばれた将軍の最後。
個人的には立派な人だったと思う。 一死以テ大罪ヲ 謝シ奉ル
神州不滅ヲ 確信シツツ
阿南惟幾.
血染めの遺書は涙なしには読めない。 十返舎一九
この世をば どりゃおいとまに せんこうの 煙とともに 灰左様なら
死の直前に弟子に指示
湯灌も何もせず着物も変えずにすぐ火葬せよ
その通りにしたら仕込んであった花火に火がついて打ちあがった
‥という噺 十返舎一九 大先生。
エンターテイメントの鏡ですなぁ〜。
荒井注が死んだ時、火葬場に送る時に全員で、
「何だ馬鹿野郎!」と一斉に叫んだエピソードを思い出した。 >>8
「狂い狂はせ、果てにけるかも」
高杉晋作の下の句に相応しい!と一票。
野村さんの下の句は何か辛気臭いよな。
こっちの方が晋作らしい。 我身今 消ゆとやいかに おもふへき
空よりきたり 空に帰れば
北条氏政。
プライドは高いけど、
本質的には凄く良い人。
最初の妻は武田信玄の娘。
政治的な問題で嫌々実家に
送り返したものの、
死後も凄く念入りに弔っている。 北条一族で続こう。
吹くと吹く 風な恨みそ 花の春
もみじの残る 秋あればこそ
北条氏輝
今でも不思議に思うのは、
信長にあれほど簡単に心中した北条氏が、
何故にあそこまで秀吉に抵抗したのか?
という事。
単純にプライドの問題?? >>17
大阪嫌いというより、農民嫌い。
秀吉が低い身分出身だったからじゃないの? >>20
人生回り道ぐらいと思ってると、
永遠に回り道を回る運命になるぞ。
そんな簡単なもんじゃない。 特攻隊の
英霊諸氏に申す。
良く戦いたり
深謝す。
我死をもって
特攻隊の英霊諸氏と
その御遺族に謝せんとす。
大西瀧次郎 駒姫
罪をきる 弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき
関白の側室になるために京へ来たのに、秀次と対面することもなく、突然処刑されるだなんて自体になった15歳の姫さまなのにこんなにも落ち着いて達観しているのが不思議 この頃の秀吉は完全に
トチ狂ってる。
秀次の妻子や側室全て
殺すなんてやり過ぎだろ。
豊臣の終わりの始まりだな。 あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
大石 内蔵助 さらぬだに 打ちぬる程も 夏の夜に 別れを誘う ほととぎすかな
お市の方
夏の夜の 夢路はかなき 跡の名を 雲井にあげよ ほととぎす
柴田勝家 蔵之介の辞世良いね。
清々しい最後の気持ちが
良く出ている。
正義感が物凄く強く、自他ともに
非常に厳格な人だけど、
尊敬できる人物だと思う。 我死なば野にな埋みそ我が骸 飢えたる犬の腹を肥やせよ
伝小野小町辞世 おのこやも 虚しかるべき よろず代に 語り継ぐべき 名はたてずして
山上憶良辞世 憶良って、自分の名が後世に
残ると思っていたんだろうか? >>30
万葉集の詞書には
右の一首は、山上憶良臣が沈痾る時、藤原朝臣八束、河辺朝臣東人をして、疾める状(さま)を問はしむ。是に憶良臣、報(こた)ふる語已に畢(をは)り、須(しまら)く有りて涕(なみた)を拭(のご)ひ、悲しみ嘆きて此の歌を口吟(うた)ふ。
とあるから、多分そうは思ってなかったっぽい。 なるほど。憶良の名は、歴史の教科書には
必ず出てくるから、
立派に名は立った訳だね。
もって冥すべし。 小野小町は100歳近くまで生きて、
かつての絶世の美女も、老醜と
なり、朽ち果てたとも言われてる
けど、実話なの? 大津皇子可哀想だな。
辞世の句二つ
ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
イワレと鴨を恨んでいるのかな。
雲隠りなむ、太陽が雲に隠れる、亡くなることか。
太陽は烏。
金烏臨西舎 鼓声催短命
泉路無賓主 此夕離家向
金烏の家は西にあるのかな。和泉路に賓主はなし。
当時の権力闘争、対立勢力をあぶり出す貴重な歌だな。 もろともに
消え果つるこそ
うれしけれ
おくれ先たつ
ならひなる世に
照子
別所長治正妻。
長治と共に自害した
心優しき妻。
胸に迫るものがあると思う。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
OF53Y 死するとも
尚死するとも
我が魂よ
永遠に留まり
御国守らせ
海軍少佐 緒方襄
神風特別攻撃隊
神雷桜花隊
1945年3月21日 戦死。 恋知らぬ 人の心に 嫉まれて 袂も袖も 乾く間もなし 飯盛りを 夜っぴいて 寝かせぬ くつわ虫
(※商売女に一晩中しつこくセックルをねだる煩い虫)
そのくせに 花は紅 もののふはなし
(※武士を気取るくせに 花代はくれない シミったれ) もののふの
猛き心にくらぶれば
数にも入らぬ我が身ながらも
中野竹子
戊辰戦争で上記の句を薙刀に括り付け奮戦した女性
享年は諸説あり二十歳前後 豊臣秀吉
「露とおき 露と消えぬる 我が身かな この世のことは 夢のまた夢」
これ自作?
そんな才能と教養あったの? >>43
秀吉も40ぐらいから猛勉強していたと思うよ。
その証拠に千利休や木食応基と交友を深めていたわけだし この秀吉の辞世の句は筆跡鑑定されていて、
本人の物だと認められている。
秀吉は結構筆まめで、書いたものは結構残ってる。
当て字とか多くて、教養が云々と言われると、
疑問も多いけどね。 江戸時代は庶民でも俳諧やって遊んでるし、そんなにハードル高くはなかったんじゃないの? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています