蝙蝠鈕座内行花文鏡は不思議と副葬品としては重要な位置を占めていない様に見える。
糸島のくびれあたりの潤地頭給遺跡でそれこそ弥生終末期ピンポイントの位至三公銘蝙蝠座鈕内行花文鏡が出土してるが、その墓に特に強い権力者という様相はない。

4世紀後半と見られる一貴山銚子塚古墳だが、棺内に置かれたのは鍍金方格規矩四神鏡と長宜子孫内行花文鏡。
棺外に三角縁神獣鏡。
古来からの鏡形式のこだわりがある事がわかる。

このあたりの地域ではこの二種の鏡が最上位なのだろうな。