ついでだけど、
漢⇔壱岐対馬⇔呼子⇔唐津⇔伊都
の頃には、唐津が栄えている。
江戸時代の参勤交代宿場町と同じで、ハブ宿場町は栄えるわけだ。
漢が滅亡すると唐津も衰退する。

何が言いたいかと言うと、
宗像祭祀が始まる4世紀こそが、畿内が発展し始める時代だってこと。

よく畿内説が、
4世紀北部九州が衰える衰えると言うけど、
それはブーメランであって、
畿内が盟主になって外交するのなら、その中間宿場町になる北部九州は、
むしろ栄えなければならない。

それが衰退するということは、畿内の開発にエネルギーを費やしたから。
4世紀畿内には何も無いから、畿内と九州を接続しても、
九州にとっては何の利潤も生まれなかったわけだ。

4世紀に畿内を開発して、畿内が成長したから、
4世紀からハブ宿場町の宗像祭祀は栄えるし、
中国⇔壱岐対馬⇔北部九州⇔畿内で、
5世紀6世紀の北部九州は金銀財宝の最盛期を迎える。