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邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part12

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0001日本@名無史さん
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2018/02/01(木) 09:45:04.53
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1515157747/

邪馬壹國は北部九州5県(福岡、佐賀、長崎、熊本、大分)に跨って存在し、
卑弥呼は伊都國を都として邪馬壹國を統治していた。
邪馬壹國とは26か国の国邑で構成されており
その26か国の国邑とは對馬國、一大國、末廬國、伊都國、奴国、不彌國と旁國20か国(斯馬國、已百支國、
伊邪國、都支國、彌奴國、 好古都國、不呼國、姐奴國、對蘇國、蘇奴國、 呼邑國、華奴蘇奴國、
鬼國、爲吾國、鬼奴國、 邪馬國、躬臣國、巴利國、支惟國、烏奴國)

魏志倭人伝には伊都国に卑弥呼が居たとの記述が2か所あり、その一つが 「世有王皆統屬女王國」である。
「世有王皆統屬女王國」の「A統屬B」は「AはBに統屬する」の意味であり
Aについて「伊都国の代々の王は皆」と理解されていたが、
ここでは「世有王」としかなく「世世有王」ではない。
「世有王」の「世有」について『三国志』内で用例を調べると魏書に4例、呉書に1例有る。
「三世有」(魏書)、「當世有」(呉書)等の特殊な事例を除き『三国志』内では「世有」は魏の世を示している。
「世有」を代々と訳してよい場合でも親子二代程度で何代も続いたとの意味ではなく
「世有」は魏代内の世である。即ち「世有王」は「代々の王」の意味ではなく、
「世(魏の世)は王が居た」の意味なのである。
そして文はここで一旦切れて、次に続く「皆」は「世有王」ではなく別のものを指しているのであり、
それは倭の国々のことである。
「皆統屬女王國」の「皆」は倭国の国々を指していると考えられる。
「皆統屬女王國」とは「倭の国々は皆、女王国に統屬していた」の意味なのである。
すると前文の「世(魏の世)に王が居た」の王とは女王国の王である卑弥呼や壹與のことを指していると判明する。
また「世有王」とは「魏の時代に王(卑弥呼、壹與)が伊都国に居た」こと指すと結論される。
0649日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 21:34:41.37
大国主が整備したのだろうな。

筑紫〜日本海沿岸の有力者の娘を娶って争いを無くして、
ヒナモリ卑奴母離=夷守=事代主=恵比寿を各地に配置して、
稲荷を集めるシステムを構築した。

奴国へ国力を集中するシステムを作ったことで、
瀬戸内海沿岸へと倭国支配域を広げていった。
というより、先行していたオオヤマツミ銅剣勢力を屈服させた。

吉武高木アマテラスにとっての、東征将軍スサノオが、
大国主にとっては、辺境征服担当タケミナカタであり、
タケミナカタは領地を離れるわけにはいかないし、
むしろ敵と面していて、兵糧を送ってもらう側だから、
タケミナカタは神無月に出雲に行かなくていい。

現地で戦っていなければならない。
0650日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 21:41:16.58
倭人は辺境の倭人倭種集落、あるいは、倭人に友好的な非倭人集落などに、
環濠集落の建設ノウハウを伝授した上で、
Jアラートとして、銅鐸を配ったわけだ。

遠いと守りきれないから。

襲撃されるのは、新暦10月の収穫期。

それより前だと、襲撃する側だって農作業が忙しくて動けない。
それより後だと、収穫物を環濠集落内の倉庫に貯蔵し終わっているから籠城できる。

だから銅鐸は新暦10月旧暦9月の1か月間だけしか使わないわけで、
それ以外の時期は錆びたりしないよう土中に埋納していたわけだ。
0651日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 22:17:23.06
>>645
>一見すると、北部九州倭国が銅鐸勢力を滅ぼしていってるように見えるが、
>そうではなく、
>北部九州倭国の勢力圏の最も辺縁の危険地帯の集落に配備されたJアラート。

うーん、新説だけど、考古学的には支持は得られているの?
0652日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 22:26:02.14
>>651
考古学的には用途不明のはず。
一応の名目としては、収穫を祝う祭器というのがポピュラーですかね。

けど、それだと
山の斜面に埋められていることが説明できない。

銅矛銅戈勢力が銅鐸集落を占領したとして、
なんで銅矛や銅戈と一緒に銅鐸を埋納するのか?
略奪して溶かして銅矛銅戈を作る方がいいいはず。

何よりも、
特に祭器として大型化した銅鐸など、
銅鏡に比べても結構な体積を誇る青銅器なわけで、
北部九州によって征服される側であれば、原料を確保できないわけです。

発想の転換と言うか、
むしろ、北部九州倭国によって授与される利器。

警備兵が常駐していない辺境地域における、
Jアラート。
これが最も有力だと思われます。
0653日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 22:30:23.09
>>652
>北部九州によって征服される側であれば、原料を確保できないわけです。
>発想の転換と言うか、
>むしろ、北部九州倭国によって授与される利器。

なるほど。
材料については既存の説では説明できませんね。
銅の材料は九州か半島・大陸に頼るしかないですからね。
技術的にもオーパーツすれすれですね。
銅鐸の九州北部の協力が不可欠と。
0654日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 22:33:27.40
荒神谷遺跡は、
中広型銅矛大国主と、平型銅剣オオヤマツミが戦争をして、
オオヤマツミが折れた。

大国主が、オオヤマツミ降伏の返答として、
親オオヤマツミの集落に対して、銅鐸を授与した。

あるいは、
オオヤマツミ降伏によって、
親オオヤマツミの集落にオオヤマツミが分配していたのと同范の銅鐸を献上して、
丸ごと大国主の配下に入った。
0656日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 22:43:32.78
あちこちに同伴銅鐸があるけれども、
特に注目するならば、
やはり淡路島に荒神谷遺跡の同范銅鐸があることであって、

大国主の中広型銅矛奴国軍勢が淡路島に上陸したなら
対襲撃用のJアラート銅鐸は必要ないのだから、
荒神谷遺跡の銅鐸はやはりオオヤマツミが
各地の親オオヤマツミ集落に配っていた銅鐸であって

これをもって淡路島は奴国大国主の支配下に入り、
銅鐸など必要ない、
北部九州倭国兵常駐の大規模鉄工所へと開発されていくことになったわけだ。
0657日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 22:47:28.44
どすこい、どすこいっと あ〜、それからどした  あ〜、こりゃこりゃ
0658日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 23:02:21.94
僕たちが愛してやまなかった北部九州倭国説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、どうやって生きて行けばよいのだろうか。。。
0659日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 23:07:17.52
そもそも、もとが妄想と思いつきだから
0660日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 23:08:34.21
大国主が淡路島に舟木遺跡を建設してからしばらくは、
西日本全体が平和な時代を享受する。

>>648
毎年ある程度の稲荷を奉公さえすれば、
瀬戸内海沿岸の高地性集落からの炭
朝鮮半島からの鉄原料
によって生産された鉄器が御恩されてくるわけだ。

だが、その平和な時代も、
那珂川流域の乱開発による土石流の発生によって
ある夏突然終わりを告げる。
0662日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 23:18:41.13
そうだよね、九州説は今信じていると言うだけで恥ずかしい代物になってしまったからねぇ
0663日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 23:20:57.18
>>501
生口が委奴国の捕虜だという根拠は?
委奴国が伊都国だとしたら、伊都国の王墓は
3世紀までは続くから、その時期までに滅ぼされたとは考えられない。
0664日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 23:26:30.66
魏志倭人伝にある。
倭人が罪を犯すと奴婢に落とされる。
生口ではない。

つまり生口とは、倭人倭種でない集落から挑発した人員。

中広型銅矛の大国主は
播磨を拠点に瀬戸内をもともと開発していたオオヤマツミを降伏させて
比較的平和裏に淡路島までを制圧した。

その大国主が57年金印ゲットから数年後に失脚して、
ニニギが伊都日向に降臨し、
銅戈饒速日が大阪湾沿岸を攻略する。

銅戈饒速日は力業で大阪湾を攻め落として、
そこで挑発した人員が、生口160人。
0665日本@名無史さん
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2018/03/11(日) 23:40:08.99
陳寿が得た情報源は、複数ある。

@漢代の記録
楽浪郡の書物に残されていた、
漢代倭国までの「東夷伝里による里程」

漢代の書物なので、
伊都は漢代伊都=吉武高木で、末蘆国の上陸地点=筑前深江駅から陸行五百里
伊都吉武高木宮殿から、金印授与相手の57年有力者のいる奴国須久岡本まで、陸行百里

A魏使の旅行日誌
魏代倭国までの「日程」や、見聞録

B壹與が贈った生口からの聴取
>獻上男女生口三十人

高知県東部「裸国」出身の生口が、瀬戸内海の生口島での職業訓練を経て、
北部九州倭国で優秀な成績を収め、魏へと贈られた。

彼(彼女)が洛陽で魏晋時代を逞しく生き抜き、
老年に陳寿に語ったのが、
遥か遠い故郷「裸国」と、
朱儒国(朱=阿波で採掘遺跡発見で確定、儒=淡島神社スクナヒコナ)
黒歯国(最古のお歯黒出土で河内確定)
について。

生口を輸送する船はあちこち停泊しながらなので、
裸国から北部九州倭国までは、船行一年。
0666日本@名無史さん
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2018/03/12(月) 00:50:50.92
平原1号墓と2号墓は周溝を共有しており、
東夷伝里における、「長径百余歩の墓域」を形成している。

もし長寿の卑弥呼の墓である場合、
同世代の弥生女性の平均寿命である30歳前後に達した時点で、
女王卑弥呼は自らの墓について考え始めることになり、
いつ死んでもいいように
基礎工事だけを先にしておくことになる。

よって卑弥呼30代の頃に、墓の基礎や周溝など、「墓域」は指定済み。
しかし卑弥呼はその後50年ほど生きるので、周溝はある程度埋まってしまう。

その状態で、卑弥呼が死去する。

殉葬の土壙墓は、50年の間に埋まってしまった周溝を
再度掘り返して作成されることとなるわけだ。
0667日本@名無史さん
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2018/03/12(月) 01:16:40.15
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
0668日本@名無史さん
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2018/03/12(月) 07:35:42.11
銅鐸は北部九州に入る頃には原型を留めていても、
畿内にまで広がる頃には、
中国の基本形の記憶も薄れて
奇形化していっただけの話。

前方後円墳の巨大化と似たようなもんだ。
0671日本@名無史さん
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2018/03/12(月) 08:29:28.52
>>666
>もし長寿の卑弥呼の墓である場合、
同世代の弥生女性の平均寿命である30歳前後に達した時点で、
女王卑弥呼は自らの墓について考え始めることになり、
いつ死んでもいいように
基礎工事だけを先にしておくことになる。

よって卑弥呼30代の頃に、墓の基礎や周溝など、「墓域」は指定済み。
しかし卑弥呼はその後50年ほど生きるので、周溝はある程度埋まってしまう。<


面白い。
でも平原は卑弥呼の墓ではない。
なぜなら2世紀前半の「其国の男王」以降の墓がないからだ。
もちろん纏向でもない。

卑弥呼の墓があったのは聖地「高天原(御所市高天)」だ。

径百余歩の御神域を今も日本最古の神社がお守りしている。https://goo.gl/JfR6Lv
0672日本@名無史さん
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2018/03/12(月) 10:41:00.35
畿内にいたのはだいだらぼっち族じゃないか
銅鐸とか墓が巨大化したのには立派な理由があったんだ
0674日本@名無史さん
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2018/03/12(月) 13:11:06.84
>>671
2世紀中に倭国大乱、卑弥呼の即位まであったのなら、次の王墓が3世紀の平原遺跡でいいよね。
0676日本@名無史さん
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2018/03/12(月) 17:02:58.95
いや、むしろ2世紀では平原の鏡は難しいよ。
少なくとも、倭国大乱後だよ。
つまり平原遺跡が卑弥呼の墓。
0677日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 17:33:49.45
>>676
根拠なし
0678日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 19:23:05.23
邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。
0679日本@名無史さん
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2018/03/12(月) 19:23:45.05
倭国乱前の井原鑓溝ですら今では場所も不明になっているのに
内乱で失脚した男王の墓なんぞ見つからない方が普通だろ。
台与は遷都した可能性が高いから王墓は伊都には無いだろうな。
0680日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 21:00:59.52
>福岡県道49号(大野城二丈線)

>福岡県道49号は福岡県大野城市と糸島市を結ぶ主要地方道。
>起点:大野城市山田四丁目
>終点:糸島市二丈深江

>大野城市を起点に、春日市の北部、福岡市の南部、糸島市の前原地域の南部を経由し、同市二丈地域を終点とする県道で、
>全体的に東西に延びている。

>福岡市と糸島市の市境部の日向峠では急カーブが連続する。
>日向峠を抜けたあと、糸島市深江交差点までは、山や田畑が広がる。

おいおい。
漢使が通った道がそのまんま残ってるじゃないか。
当たり前だが。

>大野城市を起点に、春日市の北部、福岡市の南部、糸島市の前原地域の南部を経由し、同市二丈地域を終点とする

不弥國      >大野城市を起点に
奴國(須久岡本) >春日市の北部、
漢代伊都(吉武高木)>福岡市の南部
魏代伊都(三雲南小路)>糸島市の前原地域の南部を経由し、
末蘆國上陸地点  >同市二丈地域を終点とする。
0681日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 21:13:13.03
高祖山に宮殿を作ったのはさすが倭国乱時代だな。

弥生時代は糸島半島は根元に海が入り込んで
ほぼ島のような状態だったらしいから、

陸路だと奴国から県道49号線を通るしかなく、
高祖山から日向峠を見落としているのだから、
間者の一人すらも通ることはできなかったわけだ。

軍事上も諜報上も非常に理にかなっている。

三雲に漢使魏使を駐させれば、漢使魏使の身の安全を確保できるし、
あるいは他の豪族が抜け駆けして秘密会談を狙うのを阻止することもできる。


あるいは、
佐賀平野から山越えして唐津に抜けたとしても、
そもそも唐津は漢代からの伊都お膝元の地域だし、
そこを抜けて東進する姿は
はるか高祖山から丸見え。

弥生時代に高祖宮に陣取られたら、
他の地域は一切手が出せないな。
0682日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 21:20:36.52
×高祖山から日向峠を見落としているのだから、
〇高祖山から日向峠を見落ろしているのだから、

奴國は弥生銀座があったし、
漢代楽浪使がやって来た時には須久岡本に有力者がいたから、
漢代に倭国といえば奴國が象徴的中心地だったのだろう。

その奥の不弥國が記載されているのは、
魏使が来た時に台与が主に過ごしていた場所だから。

>國中遂定 政等以檄告喩壹與

(男王の時に内乱で乱れた)邪馬台国の国内が安定して、
(邪馬台国内乱中に筑後を奪った狗奴国と戦うために出陣した)壹與を、
張政らは
(難升米が狗奴国と戦うため出陣した時と同じく)檄告喩した。
0683日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 21:25:53.19
もともと漢代伊都の宮殿は吉武高木=高天原だったわけだし、
考古学的には紀元前3世紀から0年くらいまで続いている。

須久岡本王が乱開発して大洪水を引き起こしたせいで、
奴國の疫病やらから逃れるため
やむなく魏代伊都=三雲・高祖宮に遷都した。

奴國が復興してきて、そろそろ奴國側に戻ろうかという時に、
倭国乱が起きたため、
防衛上の理由からも魏代伊都にとどまり続けた。

台与が狗奴国に勝利した時点で、
魏代伊都に籠る必要性は、都市の発展上からも、軍事上からも無くなるわけで、
台与は福岡平野側に遷都する。

香椎宮だろう。
0684日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 22:09:05.93
>>677
>>676
>根拠なし

平原遺跡が倭国大乱の前の墓なら、後漢鏡がたくさんあるはず。
ないのは、後漢滅亡後、つまり卑弥呼即位後の墓だから。
その後の女王墓なら、卑弥呼の墓しかあり得ない。
0685日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 22:12:24.83
>>683
香椎宮が壹與の宮とな。ふむふむ。
しかし肥前佐賀の淀姫神社が壹與なら、宮は筑後高良宮あたりの方がアクセスが良い。
ちょうど足元に祇園山古墳もあるし。
どうだろう。
0686日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 22:13:06.38
福岡県内は宮だらけなので、邪馬台国の候補に困らないな。
0687日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 22:58:11.69
>>680
古代人が使った山道というのは、
急カーブが連続ということはないんだよ。
急斜面でもそのまままっすぐ登る。
車のために遠回りしてでも傾斜を緩くして
急カーブの道に作り直したわけ。
古代人は別ルートを通ったよ
0688日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 23:26:49.64
>>687
>車のために遠回りしてでも傾斜を緩くして
>急カーブの道に作り直したわけ。

なるほど古代はまっすぐ登っていたのを
近代に急カーブの道に作り直したわけか。

どちらにせよ、県道49号線は、
考古学的に重要遺跡遺物が集中している、
三雲遺跡から、吉武高木遺跡への
最短ルート。

別ルートと言っても、
北となれば、一旦海に出航して、糸島半島を大回りして、
高祖山の東側の浜に再上陸。
さらにそこから内陸へ陸行せねばならない。

南は山ばかりで別ルートを取ろうにも
さらに通行困難な地形だらけ。

県道49号線でFA。
0689日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/12(月) 23:53:50.80
考古学的に判明している、奴国の住居群や工房群の記載が皆無であることから、
魏使いは伊都三雲遺跡までしか来なかったことが確定している。

魏使が筑前深江駅に上陸して、
駐する所である伊都三雲遺跡まで移動する距離が、49号線を使うと、
10km(平野部)

駐する所である三雲遺跡から、49号線を使って、
吉武高木遺跡まで移動する距離が、
8.5km(日向峠)

陸行一日で伊都に到着するということは、
やはり魏使が到着したのは三雲遺跡であるのが合理的であり、
そこに駐して外交活動をしたわけだ。
0690日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 03:34:14.12
>>675
嘘ついてごまかそうとしても駄目。
平原から出土した耳とうと管玉が3世紀のものだから、
平原が卑弥呼の墓。
0691日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 05:40:22.60
>>690
そんなこと判明してないけど?
0692日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 07:30:40.67
>>691
柳田康雄. 『伊都国を掘る―邪馬台国に至る弥生王墓の考古学』
高山純. 「古代東アジアにおける耳璫の流伝」
0693日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 07:32:13.07
これは卑弥呼の墓は平原に決定だな
0694日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 07:32:32.43
>>692
その、どこに
「平原から出土した耳とうと管玉が3世紀のもの」
と書いてある?
0695日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 07:45:10.50
>>694
・平原の管玉と同類のものは、日本からは出土せず、
韓国の江原道東海市松亭洞一号住居跡や慶尚南道金海郡良洞里三四号木椰墓から
多量に出土していて、時期は、共伴している土器や鉄器から三世紀前半から
四世紀と考えられている

・耳璫も晋代(265 – 316年)前後に特徴的な特殊な形状のもので、
漢末から六朝初期に造られたと推測される浙江省杭州老和山搏室墓から
出土したものと同型である。

今から仕事行くからその間に読んでな
0696日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 07:52:25.87
>>695

で?

どこに
「平原から出土した耳とうと管玉が3世紀のもの」
と書いてある?
0698日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 08:34:32.78
>>696
3世紀から4世紀のものと読めるな。
やはり平原女王は卑弥呼か壹與のどちらかだな。
0699日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 08:51:32.12
高山の60年代の論文に
「平原から出土した耳とうと管玉が3世紀のもの」
なんて書いてあるわけないし
平原一号を二世紀末の墓と結論した柳田が
「平原から出土した耳とうと管玉が3世紀のもの」
と言うわけもない

捏造だね
0700日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 08:55:00.45
>>698
>3世紀から4世紀のものと読めるな。

書いてないことが読めちゃう人って、すごいね
0701日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 11:07:56.92
・平原の管玉と同類のものは、日本からは出土せず、
韓国の江原道東海市松亭洞一号住居跡や慶尚南道金海郡良洞里三四号木椰墓から
多量に出土していて、時期は、共伴している土器や鉄器から三世紀前半から
四世紀と考えられている

・耳璫も晋代(265 – 316年)前後に特徴的な特殊な形状のもので、
漢末から六朝初期に造られたと推測される浙江省杭州老和山搏室墓から
出土したものと同型である。
0702日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 11:33:25.14
>>701
で?

どこに
「平原から出土した耳とうと管玉が3世紀のもの」
と書いてある?

そんなこと判明してないよね?
0703日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 12:17:28.04
柳田康雄って、平原の鏡は全部イ方製と言ってる
学者じゃなかったっけ?
0704日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 12:36:59.51
書いてあるじゃん?
まさか耳璫(じとう)が読めてないということはないよね?
0705日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 14:30:11.56
>>704
キミは日本語が読めない人かな?
それとも病的なウソつしかな?

書いてあると言い張るなら、その部分を引用してごらん
出来るものなら
0706日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 14:46:52.72
ミミとかミミナリという人は耳栓、つまり車輪型耳飾りを付けた人だったのかも
知れんな。
0707日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 15:41:01.95
柳田は、通常の耳璫は中程が著しくくびれるのに対して、
平原1号墓のようにわずかにくびれるだけのような形式は
高山純氏の「古代東アジアにおける耳璫の流行」から
漢末から六朝初期の浙江省杭州老和山搏室墓出土の琥珀製耳璫(灰褐色)を引用してるが
わずかにくびれるだけの南紅瑪瑙製耳璫は前漢時代から新疆や広西では出ている
0708日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 16:09:52.06
「平原から出土した耳とうと管玉が3世紀のもの」
と判明しているなんて
大ウソ
0709日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 16:22:48.11
>>708
横だが、
同類や形が類似ということは事実なのだから、3世紀の可能性が高い、でいいと思うよ
これを否定しても虚しいだけだろ
0710日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 16:25:45.19
>>709
つまり
「平原から出土した耳とうと管玉が3世紀のもの」
と判明しているなんてウソなんだよ
0711sage
垢版 |
2018/03/13(火) 16:28:04.16
>>709
柳田本人が否定しているのだが、何か虚しいのか?
0712日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 16:31:49.31
>>704がピンボケでワラターズ
0714日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 17:12:46.55
>>711
柳田は平原一号を弥生終期としているけど。
大型内行花文鏡が他で見つかるのも4世紀以降
だから、そんなものだろ。
0715日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 17:13:23.38
>>711
それは個人の感想に過ぎないだろ。
ザラコクが古田を盲信しているように、キナイコシは柳田を盲信しているのか。
0716日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 17:14:21.26
平原遺跡が3世紀なら、やはり卑弥呼の墓なんだな。
0717日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 17:24:51.73
平原 = 卑弥呼の墓を言いたいのに
柳田を持ってくるあたり、わけがわからない
0718日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 17:27:47.67
>>715
管玉や耳璫の推定年代を柳田に依存してるのは誰?
その柳田が論文に書いた最終結論を、柳田個人の感想に過ぎないと否定する理由は?

典型的なチェリーピッキングだなあ
0719日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 17:53:42.45
柳田の考察を元に平原遺跡が3世紀と結論して何が悪いんだ?
0720日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 17:54:47.68
平原遺跡が3世紀という結論を受け入れたくなくて、駄々をこねているだけだな。
0721日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 18:03:44.14
>>719
柳田の考察は、三世紀とする決め手にならないって結論でしょ?
0722日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 18:08:20.28
柳田は平原一号を弥生終期としている。
大型内行花文鏡が他で見つかるのも4世紀以降
だから、そんなものだろ。
0723日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 18:09:58.06
>>721
どこをどう読んだらそうなるの?
0724日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 18:34:27.24
>>723
九州説の人は、こんなことも判らないの?
平原1号を二世紀の墓と結論したんだから当然なのに
0725日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 18:40:11.00
>>723
九ちゃんやっぱり日本語が読めない
0726日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 18:42:47.93
>>724
柳田は平原一号を弥生終期としている。
大型内行花文鏡が他で見つかるのも4世紀以降
だから、そんなものだろ。
0727日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 18:47:15.28
横ですまんが、
耳トウの話からは3世紀後半に思える。
大型内行花文鏡も、2世紀なら漢を凌駕していたことになるし
畿内4世紀古墳で見つかる鏡なのだから、3世紀だとしても後半に思える。
魏からもらった大量中国朱や五尺刀などがある女王墓だから卑弥呼だと思うが、
逆に卑弥呼よりも後の時代だとしてもおかしくはない。
つまり台与とかが卑弥呼がもらったものを引き継いだとか。
0728日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 18:55:05.51
>>727
思える理由は?
0729日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 18:56:58.49
九州説さんの話がまともだからです。
同型のものが3世紀後半から4世紀なのだったら、そりゃあ3世紀4世紀でしょう。

>>728
3世紀じゃないという理由を
考古学的に示してもらえますか?
0730日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:02:55.42
平原1号墓の耳璫は浙江省杭州老和山搏室墓出土の琥珀製耳璫と同型じゃないよ
0731日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:03:42.33
大型鏡は前漢前半代の南越王墓から彩画鏡を含む41cmが6面、38.8cmが2面出土している
0732日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:05:12.26
>>731
大型内行花文鏡は?
0733日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:06:38.88
>>731
内行花文鏡なの?
大型鏡ならなんでもいいってわけじゃないんだけど。
0734日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:10:43.74
大型鏡なら2世紀に漢を凌駕していたことになるんだろ?
0735日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:17:32.30
>>734
意味わからん。
2世紀に大型鏡を副葬したのは南越王だろ
0736日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:19:16.52
>>735
大型内行花文鏡の話をしている時に、
はるか南越の大型鏡を持ち出して何が言いたいんだ?
0737日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:20:37.40
>>736
>>731に言えよ。
0738日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:23:29.46
前漢前半に南越に大型鏡製作技術があったなら
紀元前111年に南越が滅んだ後、半島か糸島あたりに移住していてもおかしくないだろ
0739日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:25:43.09
>>738
また大型鏡の話に戻るのかw
大型内行花文鏡の話をしよう。
0740日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:29:10.26
後漢の四葉内行花文鏡がやってくる時点で時間差が生じる。
そこからさらに八葉の超大型内行花文鏡にまで進化するのだから、
3世紀と考えないとどうにもならん。
4世紀に存在する大型内行花文鏡を考えると、
系統図を作るなら、平原は4世紀後半になってしまう。
それを回避するには、
3世紀卑弥呼の平原から下賜されたのが4世紀大型内行花文鏡と考えるしかない。
0741日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:31:48.25
素人が願望編年しても無駄
0742日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:40:36.17
八葉の超大型内行花文鏡のコピー元は
同じ墓から出た雲雷紋内行花文鏡だよね?
0743日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:42:47.61
>>740
大型の鏡が墓から出土したから、卑弥呼の墓だったとか。   あまりにもお粗末。  @阿波
0744日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 19:46:47.43
>>743
王墓のない阿波が邪馬壹国とかあまりにもお粗末。
0745日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 20:00:31.07
>>729
帰納的にそう言える情報量あるの?
0746日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 20:05:06.18
国際的一大イベントをするのはいいが、
施設を大量建設して、その後どうするのか?

都市にはもともとのバランスがあり、
需要供給に応じて建物やインフラが整っている。

一大イベントのために
巨大施設や
特別な宿泊地を大量設立すると、
イベント終了後に維持費などが問題になるわけだ。
0747日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 20:07:14.08
1世紀奴国はどうだろうか?

考古学的には、
1世紀に突出した住居群や工房群が乱立していたことがわかっている。

住居の建築資材としての木材。
生活資源としての燃料木材。
様々な工具としての木材。
そして工房群での大量の木材燃料消費。
ただでさえ、奴国では大量の木材を必要としていたわけだ。
0748日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 20:07:20.14
>>740
「しかない」とか、うましか過ぎない?

「系統図」? 誰が作った?
技術的系譜の連続性が証明できてる?
0749日本@名無史さん
垢版 |
2018/03/13(火) 20:09:33.34
平時であれば、
日本海沿岸や熊本からの木材資源。

そして瀬戸内海沿岸で炭を生産して、
淡路島の鉄工所で集中生産した鉄器、

で、生活は成り立つわけだが。

だが、歴史に残るほどの一大イベント。
つまり、57年金印授与が迫ったらどうなるのか?
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