金印を拝領したのは三雲の倭王だろう。
須玖岡本は将軍クラス。
そして三雲南小路遺跡の祭殿である細石神社が、江戸時代まで金印を保管していたという伝承とも一致する。
後漢の頃には、拡大し過ぎた奴国を離れて王宮は糸島に遷都していたのだろう。
それと、奴国の繁栄は金印拝領前に突然でっち上げたものではなく、紀元前から発展していた土地だよ。