三雲南小路遺跡被葬者(ニニギ)の兄である、
銅戈将軍(ニギハヤヒ)は、
淡路島から先の、大阪湾攻略戦、
安芸平定
そして日本海側へ回っての、越後→信州平定、を成し遂げる。

亡くなった時期はニニギとどちらが早いかわかりません。

ニニギは一旦は近畿で葬られたと思われます。

しかし、
コノハナサクヤヒメだけを妻としたニニギと違い、
子だくさんのニギハヤヒの子孫、特に九州妻の子供たちが、
ニギハヤヒの遺体を北部九州倭国=高天原へと運び直して、(先代旧事本紀)

滅ぼした大国主への鎮守として、
本来は大国主の本拠であった、須玖岡本遺跡へ被葬した。

よって、時間差が生じて、
弟の三雲南小路遺跡とほぼ同じ銅鏡ながらも、
銅戈将軍ニギハヤヒの墓には、
ギリギリ2世紀鏡が副葬された。