土器の伝播というのは、実物であれ、製法であれ、人間の移動の証拠であることは間違いありません。
しかしながら、部族集団の大入植や侵略、奴隷の大量移送があったのか、商集団の最小ロットや、家族単位の移動だったのかは、殆ど見分けがつかないのですね。
極論をいえば、土器づくりの工人が一人いて、需要が見込める地域にサンプルとして、土器を数点持ち込み、熱効率や使いかって等の機能性、または洒落たデザインがその地でウケが良ければ、しばらく居ついて、需要がつきたり、地元民に上手に模倣されるまで生産するわけです。
そんなことが、例えばですが、庄内式土器の最初のころ河内湖沿岸→纏向→姫路(→博多?)という経路で行われていたかもしれませんね。