邪馬台国纏向説
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>>747
御忠告ありがとうございます。
専門外ですので、インターネットで発信するしかないのが実情なのですよ。
纏向古墳群とは誰の墓なのか。
私は崇神の母系の物部ではないかと思ってます。
当時は母親の実家で子供を育てたわけですから、崇神の住んだ纏向は母親のイカガノシコメが住んでいた所でしょう。
つまり物部の土地である。
また大阪交野(かたの)に箸墓の縮小サイズである雷塚古墳(森古墳群)があります。
この雷塚古墳は箸墓と同時期か少し後と言われています。
箸墓は260〜280年くらいでしょう。
つまり雷塚古墳は崇神時代より少し前です。
ところでこの森古墳群、前期古墳にしては珍しく被葬者をほぼ特定できます。
交野の語源になった肩野物部集団です。
被葬者として推定できるのは彼らしかいません、一択です。
つまり崇神の前に【物部が前方後円墳を造っていた】という事になります。
しかも彼らは箸墓とも強い関りがあることになります。
というわけで纏向古墳群は瀬戸内海洋集団・物部の墓である。
ここに卑弥呼はいないという事です。 誰も来ないニセスレで独白を続ける岡上の鬼気迫る狂気 畿内説は軍国主義史観
日本の3000年の歴史などとプロパカンダした戦前の大日本帝国思想の残滓に過ぎない
その証拠に畿内説支持者には歴史修正主義・日本第一主義など所謂エスノセントリズムの信奉者が多い
日本は歴史的に世界の辺境後進地帯であり韓半島や中国大陸から先進文化を下賜されてきた。
その視点から考えれば邪馬壹国は九州に他ならない
畿内説はネトウヨのような存在だ >>815
じゃあ、コピペじゃない、意味のある文を書いてみなよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています