後漢時代(25〜220)を対象とした歴史書『後漢書』がまとめられたのは、432年で、三国志の編纂(280〜290)より後になってからである。
倭国についての記述の多くは魏志と共通するので、魏志の記述をそのまま利用したと思われる。
魏志にない、後漢時代のできごとの記録は、次の2文だけである。
(1) 建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬
(倭の奴国が貢品を奉じ、天子の前に一同が会して祝意を述べる儀式に参加した。使者は自ら大夫と称した。倭国が南の境界まで平定したとき、光武帝は印綬をもって恩恵を賜った。)
(2) 安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見
「倭國の南境を極むや」つまり「倭国が南の境界まで(支配範囲または軍勢を)極めたとき」となる。
なお、魏志ごろの中国からの地理観では、倭国は北から南に向かって伸びていた。
従って「南界」は、実質的に倭国の勢力圏の東の境界であると考えられる。