双方の前線の主将は伊和大神(狗奴国・吉備国)と天日槍命(卑弥呼)ではなかったか。

おそらく天日槍命は軍務の経験はなかったであろうが、張政をはじめ中国(魏)サイドと意思の疎通が図れると言うことで任命されたものであろう。

「播磨国風土記」では伊和大神が天日槍命を但馬国へ追いやったようなことを言っている。

これが宮津市の海部系図につながる