度量衡で定義された丈尺寸分は固定だが
それ以外は各地の定義を尊重する。
魏の里は435m
東夷には東夷の里があり、
倭人伝によると70〜90mと推測される。
倭は日を持って量るということで
不弥国以降は里ではなく日で書かれている。
日本の奈良時代で1里は533m
戦国時代から約4km

中国と大幅に違うが、現地の慣習に従い
中国からも日本国内からも
中国に合わせろという議論は聞いた事がない。

里とは、そんなもん、だったということである。