>>25
演説があったのは事実だが伝本によって微妙に内容が違う
北条政子が仁王立ちして武者どもを前に大音量を響かせ奮起させるイメージだが
「吾妻鏡」では安達の代読

御家人たちは夫頼朝の偉業をたたえる未亡人・政子の熱い演説を聞き涙を流し
政子の言葉で頼朝の御恩に気づき鎌倉のために働いたことになっているが
北条義時軍に従って出陣した武田信光(武田信玄の先祖)などは
「鎌倉が勝てそうなら鎌倉につく、上皇が勝てそうなら上皇につく」
といいこれが武家の習わしだったらしい