>>440
>長沙馬王堆第3号墳の時代に既に10里(1里=300歩、1歩=6尺)を1寸に縮小した18万分之1図が発見されてるから <

前漢代なら、始皇帝の「1歩=6尺」を使っていてもおかしくないな。

>西晋の裴秀(224-271年)のころまでには測量技術は進歩していたが
四夷まで測量はしていなかったということだな<

前漢からはるか後代の魏代の参考にはならんよ。
長沙馬王堆は前漢とは陸続きであるから、
歩測や記里車?での計測は可能であったんだろうが、
それは、「在帶方東南大海之中」の倭地には、当然通用しない訳で、
だから、魏使らは、一寸千里や簡易三角測量も知っていたから、測定出来た、
という事の証拠になるだろうな。