有田遺跡は弥生時代前期末でしたが、弥生時代中期の遺跡で絹が出土した遺跡は、
中期初頭の吉野ヶ里遺跡(佐賀県神埼郡神埼町)、中期前半の栗山(福岡県甘木市)、
吉野ヶ里、比恵(福岡市博多区)、吉武高木(福岡市西区)の各遺跡、中期中葉では朝日北(佐賀県神埼郡神埼町)

中期後半では須玖岡本(福岡県春日市)、吉野ヶ里、門田(もんでん:福岡県春日市)、樋渡(福岡市西区)、
立岩(福岡県飯塚市)、三会村(長崎県島原市)、吉ヶ浦(福岡県太宰府市)、
弥生時代後期では吉野ヶ里、栗山、宮の前(福岡市西区)唐原(福岡市東区)の各遺跡から人骨に付着、
あるいは副葬品に付着した形で絹が見つかっています。
何れも福岡県を中心にした北部九州にある遺跡です。

弥生時代に続く古墳時代になると島根県、兵庫県、京都府、大阪府、奈良県、滋賀県、熊本県、静岡県、
福井県、栃木県、茨城県、鳥取県、岡山県など広い範囲で絹の遺物が出土します。

これらの結果から、日本における養蚕の起源は北九州と考えてよいでしょう

畿内は無理がありすぎ  強弁ばかり