>>128
>一番大事な女王墓である平原遺跡に触れない不思議
平原1号墓は、漢鏡40面出土の王墓とかいうフレコミwだけど、
実際には舶載鏡は、漢鏡5期の「雲雷文長宜子孫銘内行花文鏡」と漢鏡3期の「四螭二朱雀龍虎鏡」の2面のみ
大量(32面)の方格規矩鏡も含め残りは仿製鏡

舶載鏡1,2面程度を埋納した墳墓はたくさんあるし、舶載鏡はその鏡種からして後漢代の朝貢時にもたらされたものだろう
卑弥呼の墓にあてるのはムリだよ

また、弥生末期は各地でただ一人の首長のための大型墳丘墓が各地で作られる時代に入っている
吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル、
出雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル、
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え四方に5〜9mの平坦部がつく
畿内の纒向石塚古墳で全長96メートル、東田大塚古墳で墳丘長120メートルある

平原1号墓の墳丘サイズ14×12メートルというのは王墓だとしても、有力国の王墓としては、どうしても見劣りする

ということで、九州説(伊都国が卑弥呼の都説)が大事に大事に思う平原1号墓は、それほど大した遺跡ではない