>>135
>「南→東」などの嘘つき騙しをして
九州説のブランドフレーズですね!
方角が間違うはずがないと、判で押したように九州説の人は言いますが、魏志倭人伝で九州に上陸してすぐの
末盧國から伊都國の行程が、実際には北東なのに東南陸行と、この時点で90度間違っています

また隋書では、大和までの行程はきちんと東と書いてありますが、対馬から壱岐が、
都斯麻國迥在大海中 又東至一支國 と、本来南でなければならないのが東となっています

おそらく、隋書の編纂時に魏志倭人伝も確認して、東に行くべきところが南と書いてあるのを見て、
魏志倭人伝の地理観が90度間違っていると判断して全体を90度回したために
正しかった対馬ー壱岐間が連動して回ってしまったのでしょう

つまり、史書編纂時の撰者の地理観に従って、以前の記録は修正され得ることになります

そう考えると、魏志倭人伝の地理観では、倭国は「當在會稽、東冶之東」と考えられていたので
報告書の東がその地理観に合わせるために南に変更されるのも、当然にあり得ることになります

なら、畿内説で何も問題はないですね