>>167

平原の時期までこの辺りの地域は大型化にあまり拘りは見えません

弥生後期は各地に勢力が点在していたと思われる時代です
丹波地域と糸島地域の墓との比較に意味があるのでしょうか?
お互いそれなりの勢力があり、王もいたと思いますよ

墓の様相は各地で文化が違うので、比較に意味が無いと思われます

水銀朱や鏡、素環頭大刀、玉類の副葬文化の北部九州とは同文化圏とは思えません
ただ、北部九州内では鏡の重要度はかなり高いです

平原で出土した"素環頭大刀"は中国でも使用されたいた刀であり、水銀朱は中国産で、ジトウや鏡についても分かる様にに当然ながら、中国との関連が伺えます
瑪瑙の管玉も半島産と思われるので、かなり大陸かぶれな女王です

平原が注目されるのは、卑弥呼とイメージが重なる部分が多い事が一番の理由でしょうね