>>93
>>列島の最初は那珂八幡で、大和は3世紀末以後だ。<

>ではなぜ、その最初の那珂八幡古墳が、正確に箸中山古墳の三分の一の相似形なんでしょうね?<

箸墓が、那珂八幡を模倣したんだから。

>そして、その那珂八幡古墳の母集落である恵・那珂遺跡群では
畿内様式土器の九州での生産拠点になっていた様子が伺えるのはなぜなんでしょうね?<

田舎の播磨や河内や大和が、都の弥生銀座に憧れて、都の「市」へ、
土器を搬入上納したから。
丁度、
「纏向に東海などの西日本の物資が集まったから、纏向が西日本の盟主だった」
と主張したのと同じ論理。

>古墳時代の前から、畿内様式甕を作っていた遺跡が
畿内から独立した存在というのは「すごく不思議」ですよね?<

「畿内から独立」したのではなく、
播磨や河内や纏向が、都の弥生銀座に憧れて、搬入貢納をした事になる。