破鏡や?製鏡は配布の鏡の不足を補う為に始まった文化
その鏡が配布もされずにひとところにある時点で配布対象がいない周りに影響を及ぼせてない存在であるのが分かる
あとにも続かず、同時代にも周りに何も影響がない平原の現実を如実に表している

そして茶臼山等の畿内を頂点とする鏡の配布は「九州にそれまで一切ない」「三角縁」「古墳」の物であり、九州との連続性が無いのが明白
畿内は弥生末期から既に独自の小型?製鏡を作成配布しており、邪馬台国以前から九州とは完全に別のシステムを構築しているのが知られている

平原は何かの中心や起源ではなく2世紀に九州の勢力が崩壊し、それまで400年続いた王墓も伝統もそこで絶えたと言う終わりの証拠と言うのが分かる