>>302
>平原が時代的に先だしな。
耳飾(耳璫)とされる金層ガラスを重視すれば、他の遺跡での出土例は古墳時代までくだり、
弥生時代としては初出であり、平原1号墓の年代を古くするのを躊躇わせる要因になっている
MnO 含有量の多い青紺色ソーダ石灰ガラスのものは古墳時代でも後期のものが多く
例えば藤ノ木古墳から出ている
「平原遺跡出土ガラスの保存科学研究」(肥塚隆保 奈良文化財研究所 年報 2000)
ttps://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/2668/1/AN00181387_2000_%E2%85%A0_32_33.pdf
そうなると、平原1号墓が絶対に桜井茶臼山古墳より古いとも言い切れないぞ
まあ、弥生時代終末期でよさそうだとは思うが

>それを比べて、茶臼山の方がすごい とかいうのが頭悪い。
といっても、実際それだけ多くの鏡種・枚数を揃えているのは事実なんだから
素直にすごいと認められる>>301を見習いなよ

破鏡の習慣は、その前にも後にもそれほど盛行した習慣ではなく、
どちらが先にしてもそれほど離れた時期ではないのだし、大体同じ時期に
より多くの鏡を使っている桜井茶臼山古墳の方が、より大きな勢力を
背景としているのは明らかだろう?

平原1号墓は九州説虎の子の3世紀前後の唯一の王墓候補なのに対し、
桜井茶臼山古墳は大王墓候補から外れているから発掘できたということも
考えてごらん