大和朝廷が古墳時代の日本の中心なのは間違いないし、古墳時代の始まりは卑弥呼の邪馬台国時代と重なる
その状態で、九州に邪馬台国を持ってくるには
1.古墳時代の開始を4世紀と言い張って、邪馬台国が畿内に移動したと主張する(東遷説)
2.あくまで九州政権と畿内政権は別だと主張する(九州王朝説)
の二つしかない

ということで、九州説の人は以下の問いに答えてくれるとうれしい
・東遷説を採るのか採らないのか?
・東遷説を採るとするなら、邪馬台国の東遷なのか、神武の東遷なのか?
・神武と邪馬台国は関係すると考えるのか(≒邪馬台国はどこで神武はどこにいたのか)?
・九州王朝の存在を主張するのか?
・主張するなら倭の五王が大和朝廷の大王でないことをどのように論証するのか?