>>365
>>平原1号は、21枚の「尚方作」鏡があるから、<

>「尚方作」は19面だよ <

私が見たサイトは、21面。

>>明帝→卑弥呼の100枚の銅鏡を元にしたものである事が確実であり、 だから、卑弥呼の死以後。<

>これは大間違い 前漢鏡にも「尚方作」銘鏡は多くあり、というかそもそもほとんどの漢鏡の銘文は
「尚方作」で始まっていて一部「王氏作」があるくらい <

前漢鏡では根拠にならないし、
問題は、一人の民間個人では、伝世としても、「尚方作」を21枚も持てる筈がないし、副葬される筈もなく、
だから、明帝の下賜の100枚の銅鏡の中心的な鏡であった、という事になる。

>そして、方格規矩鏡の製作年代が1世紀の中頃より繰り下がらないのだから、
それを卑弥呼の銅鏡100枚にあてるのは、無理がある<

「1世紀の中頃より繰り下がらない」という事が、そもそもインチキ。

>魏皇帝が、大陸内で100年以上伝世したものを国中から集めて、そんな骨董品を
皇帝の威を示す下賜品にしたってことになるんだぞ?<

ならない。
明帝は、卑弥呼や倭人が鏡をお宝ものにしていた事を知っていたから、
造り置きの 「尚方作」鏡や、民間から集めた鏡を集めて、100枚に揃えた。

>自分の主張がいかにおかしいか、理解できたかな? 参考 「鏡の考古学」・・・<

自分の主張が、いかに人類の常識外れの、分裂幻覚の妄想である事が、理解出来たかな?。