>>382
>>陳寿が原則として「地域間距離は、その居住外縁部間の距離」で表記している<

>「根拠」を示してね<

何度も書いて来た事だ。
倭人伝の海峡の渡海では、国内見聞移動を書き分けているから、
それぞれの「千余里」は、それぞれの出発港から到着港の距離になっている、という事や、

「高句麗在遼東之東千里、南與朝鮮、wai貊、東與沃沮、北與夫餘接。都於丸都之下、方可二千里」は、
丸都を中心として方可二千里の正方形を描けば、
そりゃ遼東(の首都付近)に達してしまう、という矛盾が発生してしまう事になり、
だから、「遼東之東千里」は、遼東の首都付近から、高句麗の居住外縁部間の距離が千里である、という事になる事と、
これと同じ事が、高句麗と扶余の大きさと距離説明でも発生しており、

また、Yahooでの議論でも、「三国志の中の問題になった地域間距離記載」が、
ほぼ全て中心間距離とすると長里でも短里でも矛盾が発生し、
居住外縁部間距離とすると、短里で矛盾しなかった、という結果からも、確かめられた。

>国境を接しているところを距離0として、それぞれの内国移動距離を書かなかったら
総距離が分からなくなるから、他国の地理を報告する訪問記録としては意味がないのが分からないんだろうな <

国の大きさが示されず、国内移動の説明がなければ、それは、
国内移動がほぼ0里であったんだ、と言っている事になる。