>>875
>祇園山でもいいし、まだ見つかっていないのかも。

祇園山「古墳」って書こうね
古墳時代に入れば北部九州にも大きな墳墓が作られるようになる
伊都国中枢部にも端山古墳、築山古墳が作られてるだろ
むしろ平原1号墓よりもこちらがもともとの伊都国王家の血筋の墓だと私は思う

そして、祇園山古墳は、伊都国ではないし奴国の弥生銀座(岡本遺跡群)でもないよな
これまでの奴国は傍線経路だの、弥生銀座が邪馬台国だののトンデモ理論と
どう整合性を取るんだ?

要は九州説ってのはただの行き当たりばったりで、
論説としては論評に値しないものだってことだ

祇園山古墳についてさらにいうと、墳丘が地山成形だからそこまで古いとは思われない
弥生時代の墳墓はもともと集落遺跡と同じ立地に作られていて、
吉野ヶ里遺跡では集落と墓地が一つの環濠で囲われている

大和の纒向古墳群も、他の遺跡と同じ微高地の面上に作られている

墳丘造成の労力を節約するために、地山を成形して墳丘に利用するのはその次の段階

ということで、祇園山古墳を卑弥呼の墓の候補にするのは構造(地山成形)からも、
これまでの九州説の主張との整合性からも無理筋だよww