武田勝頼の神性
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諏訪大社の神官の血を受け継ぐ偉大なる神聖である勝頼を自害に追い込んだ信長は本能寺で業に焼かれた 信玄はこう考えていた。
「尾張から都までの間は一戦ごとにこちらが強くなる。
上方の敵は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯なことでもすると聞いている。
(『甲陽軍鑑』品第三十九) 勝頼が自害したと聞き盟友の真田昌幸は悔し涙を流したと伝えられてる。 真田昌幸
「どうか勝頼さまは沼田城にまでおいでなされ」 >>13 ママが「尋常かくれなき美人」と『甲陽軍鑑』に形容されてしまったからなぁ… >>35
けど妹の松姫なんて富士山と並ぶがごとき美貌とまで
称されていたんだぜ、ソース恵林寺文書ほか 織田信長の身内が美形だというのは分らんでもないが
武田信玄の身内が美形だというのは信玄の肖像画みる限り想像できん
松姫は悲恋への同情から美貌説が出ているような >>38
松姫が美人だという話は当時からあったみたいだよ?
母親の油川夫人自体甲斐一の美女と称されていたし
お市並に美人系逸話が豊富ともいわれてる姫だよ >>40 へぇー…
むかし、松姫を主人公にした『おんな風林火山』っていうテレビドラマがあったけれども、
そういう美人伝説のあった人だから、主人公に選ばれたんかな…? 松姫の逸話といえば八王子に落ちた後、北条の家臣達がすっげー美人がいるぞー、
嫁になってくれなどなどから連日多数押しかけて床が抜けたという話が笑える
付き人達が追っ払ってたらしいけどあまりにもしつこい奴は松姫自らが説教して
追い返されたという話もある
信忠の耳に入ったらこいつらどうなっていたんだべwww >>40
お市の三人の娘たちは美人過ぎて天下人に愛され日本史に名を残したが
信玄の娘たちはそれほど美人伝承もないし全然だな
松姫も油川夫人も美女なら
同じ油川夫人が産んだ松姫の同母姉・菊姫もとんでもない美人だっただろうに
あまり夫の上杉景勝から寵愛されたとも聞かない
菊姫が伏見屋敷にいる間に景勝は国元で美女を寵愛し嫡男を産ませたので
病んで早死にしたとか言われてるし >>43
菊姫って才色兼備の賢夫人として上杉家中で慕われていたり
景勝も大切にしていたというのは上杉家の記録にあるじゃん
感情を表に出さない景勝が菊姫が死んだ時は声上げて泣いたとか というか浅井三姉妹って全員美人過ぎなんて評価あったか? そんな話ないよ(笑)
正直浅井三姉妹もかなり持ち上げられていると思うこともあり ごめん追記
ただ、茶々は不当に歪められている感じもする >>45
「才色兼備の賢夫人」これwikiに書いてあるだけじゃんw
それを言い出したら武田信玄の正室・三条夫人だって
武田家側の史料ではそうなってたし
正室を故意に貶める史料を残した家などほとんどないが
(家康が殺した正室・築山殿は東照大権現様美化とともに
後世、徳川家の史料で貶められたが)
上杉謙信が生涯女犯禁止、家老の直江兼続は生涯一夫一妻と
あの時代に上杉家の男たちは禁欲的だったから
上杉景勝は美女に溺れて側室を持ったことに良心の呵責があったとされる >>45
上杉景勝は寵愛する側室が男子出産後体調を崩し
あちこちの寺社仏閣に平癒祈願をしているし
亡くなったときにはひどく嘆き上杉家の菩提寺で側室の葬儀を大々的に行った
ちなみにこの側室「桂岩院」は公家・四辻家の姫で
上杉家が幕府に提出した家系図では「継室」となっている
桂岩院が妊娠中に菊姫が亡くなったことから
桂岩院は正室に格上げになったとされている つうか武田の姫には不幸であって欲しい人が一定数いるんだよ
関係ないが実際三傑に確実に愛された(=大切にされた)のって
池田恒興の母ちゃんぐらいだろ
春日局のように表に出てることは無い人だったから地味だけどね >>52
史実を書いただけだが>
武田家美化のためには娘を絶世の美女にしないと気が済まない基地外 >>53
武田の姫が絶世の美女であらゆる戦国武将から愛されたという
妄想を語るのが悪い
ただの気持ち悪い武田ヲタの巣靴 武田ヲタは武田賛美のためならば浅井三姉妹まで貶める
気持ち悪すぎ 武田ヲタは武田の姫以外をほめると
アンチ扱いの基地外だからなw アンチ認定が嫌ならきちんと調べればいいだけだし
そこまで自信あるなら小和田や平山を論破してくればいいw 上杉謙信は武田勝頼を名将だと評価してたみたいだが
いかんせん親の七光で生きるから傲慢になりすぎて政治力がなさすぎた 散るぞ悲しき〜辞世の唄
https://www.youtube.com/watch?v=_t675VZJgl4
歴史上の有名人の辞世の句に曲を付けたもの。
泣けるよ。凄く出来が良い。
武田家版が聴いてみたい。 まんま神様だと思われ
神様といっても今よく言う自分は神様脳になってる明後日に
いっちゃってるという人みたいなのではなくて諏訪氏が神様の末裔だから
神を用いたって感じかと
信玄が不動明王、謙信が毘沙門天、信長が第六点魔王を用いたのと同じ感覚で
ただのはったり上等ともいえるw なるほど諏訪氏の系譜に根拠があるということですか
張ったりというのは言い得て妙な感じですね
ありがとさんです >>66
ここに似たような質問があって↓
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3353553.html
「織田上総介平信長」「武田太郎源義信」が当時の名乗りであり
「諏訪四郎神勝頼」は勝頼が神姓を名乗っていたことによるもの
と書かれてある >>69
諏訪神党のことだろ
67氏の考察とさして変わらん >>69 「神勝頼」って、どう読むんやろ?
「かみのかつより」?
「みわのかつより」? まさに神の子である武田勝頼を自害に追いんだ僅か2ヶ月半後に信長は本能寺で因果応報の業火に焼かれたのだ。 >>73 音読みなんか…普通の姓はほとんど訓読みなのに、異例ね。 むかし山梨県の郷土史家だか武田氏研究家だかが「じんかつより」といっていたな
ただ慣用的にそういっていたかもしれないし・・・ >>76
藤原定家を「ふじわらのさだいえ」ではなく「ふじわらのていか」と読んだりするようなもんか? >>35 >>37
歴史女性で劇的な生涯や波乱にとんだ人生をあゆんだ女性はみな、美人
話題になったような女性も、美人
世間の流れはいつもそんなもん
それとまあ屋外で働くようなこともなく家事労働にいそしむわけでもない
貴顕の女たちはまず「日に焼けてない」だろうし
化粧品は使えるし、良い衣装をまとえるのだから一般からみたら美人度があがってて当然 >>42
それはふつのボロや庵にあの武田家の姫が! ということになれば
注目もあびるし世間の好奇や興味の目もそそがれるので
自然にでてくるだろう風潮、発生するにおかしくない逸話
奥多摩にだって嘘か誠か創作のさらに創作なのか、松姫系の伝説は結構転がっている >>43
景勝が大儀院を大事にしたというのは上杉家家譜でも伝わってること
京でかかえた側室が子を産んだことも大事なこと
双方を大事にしてるわけなんで比較しても無駄 >>49
三条夫人の容貌や気性を褒めたたえているのは円光院に伝わる葬儀記録でのこと
「武田家側の史料」とは少し違う
上野晴郎の書いた三条夫人についての書籍くらいちゃんと読んで書きこめ >>66 >>67
大祝家だからだよ
諏訪四郎神勝頼
ニワカはこんなことも知らんのか
ってか当地に篤い信仰をもつ寺社仏閣を崇敬して人身掌握するのも政治力でもあって
はったりとかそういう馬鹿らしいもんではない >>51
桂岩院は四辻の娘ではあるが、母の身分の低い庶腹ともいわれている
なので上杉家の御用商人の口利きで上杉家の奥に入った 「定本武田勝頼」「武田勝頼のすべて」
この2冊くらいは読めよ、ニワカ 俺の武田家警察ががさ入れに来た模様です
ご注意願います 物知りというより俺様は何でも知っているを振りかざしてるだけだろう
アンカー先辿ると論点ズレてたり日本語不自由なのかなと思えるような
レスも見受けられるw てかそいつは芸スポ+やニュー速+で戦国もの大河を中心にスレが立つと
おかまいなしにいちいちアンカー飛ばして正誤なんてなんのそので持論レスを
入れるからニュース板住民にかなり嫌われてる奴と多分同一だと思うわ
相手にしないのが賢明 製作発表がああったり主演の発表があれば
芸スポ+やニュー速でスレが立つのはわかるけど覗いたことは無い
歴史好きばかりじゃないわけだから混沌としてるんだろうな でも少し調べれば諏訪家の在り方や信州中原で根強い諏訪社信仰がわかるはずだし
スレタイで諏訪社のことにもふれてるわけなんで
なんで「神」なのかとか自分で調べろと思ってしまう気持ちはわかる というかアンカー先でもその後の流れでも諏訪信仰や大祝について
きちんと触れているのにアンカー付けてまで指摘することなのかと…
具体的にその名称が書いてなくてもレス読めばわかることに対して
かぶせるから批判される 質問サイトへの誘導はあっても大祝家と書いてあるレスは90まで無いよなぁ 武田勝頼の最大支配領土は信玄より広かったのに惜しいな。
光秀だけでなく三日天下とはこういうことなのか。
後北条氏も滅亡する前に最大領土を獲得できたから似たようなものか。 >>102 島津も、秀吉に討たれる前は最大版図やろ。
天下統一への機運が全国的に高まってきた時代だったということよね。 >>91
桂岩院の母は四辻家の家女房つまり使用人という伝えもあるもんな
継室になおった説があるとしても
母の身分がひくいので側室としての奥入りだったのだろう >>105
桂岩院の妹は後水尾天皇愛妾・四辻与津子
後水尾天皇は将軍徳川秀忠の愛娘・徳川和子との婚約が確定していたが
与津子を寵愛し二子を儲けたために秀忠が激怒し後宮を追放された
権力者の娘を娶りながら愛されたのだから姉妹そろって余程の美女だったのだろう
尚、桂岩院の孫にあたる3代藩主・上杉綱勝は祖母の実家である四辻家から
四辻公理の娘・富姫を継室として娶っている 正妻(信勝の母ちゃん)が亡くなったのはアレが強すぎただか
求めすぎたから嫁が弱って何たらって何かに書いてなかったっけ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています