武田勝頼の神性
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諏訪大社の神官の血を受け継ぐ偉大なる神聖である勝頼を自害に追い込んだ信長は本能寺で業に焼かれた 真田昌幸や高坂昌信など重臣の意見を一度も聞かなかった勝頼は
まさに強すぎたる大将 真田昌幸についていったら
後北条に売られてかもしれんのだろ >>113
とはいえ家臣団の再編は反発を招くのは必定なので
上手に執り行わないと衰亡を早めるだけだしなあ
信玄から勝頼への権力移行がもっと緩やかに時間をかけて行われていれば
違った結果が出ていたであろうに惜しい あの時代は後継者一人を選び間違えただけでも一族滅亡に直結する
織田家も豊臣家も北条家もしかり 豊臣家は滅亡してないらしいよ
北九州に秀頼が逃げてきて秀頼の子孫がいるみたいだし 織田家も滅亡してないでちゃんと子孫いるよ 織田家はほとんど滅亡と変わらんよ
秀頼逃亡説は伝説だから何ともいえないが真実でも平家の落ち武者同然だろ
武田家も子孫が一応生きている
しかも勝頼も土佐に逃亡説がある 土佐の伝説は快川も一緒に落ち延びてると知り
一気に胡散臭く思うようになったなあ…
あとその伝説をえらく推しているグループ?が某新興宗教系の
信者ばかりでますます胡散臭く感じてる
地元の人たちには悪いんだけどね まあ確かに快川ほどの坊さんならのこのこ落ちたりしないだろうしな 土佐に逃げのびたってことは 現在の土佐の市民
達は みんな 勝頼公の子孫? かもしれんな。
あと岩崎弥太郎は武田の血が流れてるみたいだ。
この不自然性は勝頼の逃亡も現実味がある。 >>129
ありがとうございます
やっぱり勝頼公は自害してないで 土佐の地で
生き延び人生を全うしたんですね
武田って言うと山梨のイメージだけど
実際は武田は四国なんですね 出身は初代の武田信義から甲斐だよ。
しかし勝頼の土佐生存が真実なら子孫が土佐に多いかも知れんな。
だがあくまでも真田幸村の薩摩逃亡説と同じ話だが 真田幸村の子孫は鹿児島にいるの?
確か 安徳帝の子孫は皇族じゃないみたいだけど
四国にいるんだよね?
滅亡したと思っていた人物の子孫って
意外といるんだね? 幸村は秀頼と一緒に現在の鹿児島まで
逃げ延びて 鹿児島で暮らしていたみたいだよ 西に織田、南に徳川、北に上杉、東に北条。地政学的に悪すぎ
駿河に進行せず義信が継いでたらどうなってたか
長篠の戦でも素直に引いても、武田家滅亡が遅くなっただけと思う
跡取り問題は本当難しい、信長だって上杉謙信だって
最初の天下人・秀吉も上手く行かなかった 北条家や織田家や上杉家も上手くいったから
滅亡しないで現代まで続いているんじゃないの? 秀頼や秀秋は死んだときに20代前半、子も残さず
薄幸の美青年という感じだが
勝頼は死んだときに37歳で当時としてはまあまあのおっさん
16歳の長男を筆頭に子供も複数いたし >>128-129
あくまで勝頼生存説は都市伝説なんだが真実なら坂本龍馬には武田勝頼の血が流れてることになる?
短命同士の2人だから似てなくもない とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
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BDR 信長ってつくづく罰当たりな事ばっかやらかしたんだなぁ・・・ 偉大すぎる勝頼が自害した2ヵ月後に信長が本能寺で焼死したのは神罰としかいいようがない 勝頼公が自害してから 2ヶ月後に光秀公に
責められて信長公が自害かぁ
世の中とか言うか人生わからないもんだね? 勝頼を裏切った木曽義昌、穴山信君、小山田信茂も悲惨な末路だったな
逆に勝頼から信頼されて唯一最後まで武田武士の意地を見せて高遠城で戦い抜いた
仁科五郎盛信は長野県歌にも歌われるぐらいの英雄に・・・ 真田丸でも裏切るシーンあったね
でも なんで勝頼公を裏切ったの?
悲惨な末路ってやっぱり裏切ったから神罰? 勝頼の自害を惜しんだ秀吉は天下統一をして
勝頼の遺児を保護した家康は幕府を開いた
勝頼様様なのである >>158
だって長篠戦いの時点で本当の武田武士らはほぼ突撃繰り返して死んじゃったから
生き残って生還したのは、ほぼ腰抜けばっかだぞ >>160
徳川家康は武田武士を崇拝していたので滅亡後に雇ったと書いてる奴がいるが
家康は主君に忠義を尽くさず生き残った腰抜けばかりを雇ったってことか 天目山は嫌いです
天目山がなければ勝頼公や一族は
自害していなかった >>161
そういうことになるな
現に真田の様な優秀な武田家臣は徳川に反抗的だったから
信之は家を残すため仕方なく徳川に着いたけど、親父と弟は最後まで反対側 >>163
どうして真田家は徳川家に反抗的だったの?
武田と徳川も仲悪かったんですか?
仲悪かったり反抗的な行動をとる
理由ってあるんでしょうか? 仲悪かったって親父と家康がってだけだろうにw
真田の子孫なんて願い譜代まで出している始末 >>163
真田も武田に忠義を尽くさず生き残ったという意味では一緒では
家康の家臣になろうがなるまいが
父と弟は豊臣に忠義は尽くしたがね 豊臣への忠義ねえ…
ただ単に俺は徳川が嫌いだ!からじゃねw あの親父にしてあの弟だからな
兄ちゃんはさぞ苦労したことだろう みんなが勝頼や信玄が好きなのはわかるけど
やっぱり信長や秀吉や家康は嫌いなの? 信玄・勝頼好きは家康好きだろ
ほぼ乗っ取りだが家康は信玄の娘に自分の息子を養子に与えて
武田家復興させたからな >>172
海野信親が好きな奴は勝頼は好きじゃないだろう
本来ならば勝頼よりも正統な後継者だからな >>171
武田三代を愛してた新田次郎はあまり家康は好きじゃなかったみたい。 >>175
新田次郎は諏訪出身
郷土の人である諏訪御寮人と諏訪四郎(武田勝頼)が大好きな人
信玄、信虎は諏訪四郎の父方を逆のぼったって書いただけだし アンチ信長で知られる新田次郎はアンチ家康でもあったのか 新田次郎がエコヒイキしてたのは新田義貞と武田勝頼の二人だけ >>177
短編小説だが信長主人公のもあるし嫌ってないんじゃね?
新田次郎は家康嫌いってなんか根拠あったっけ? 小説「武田勝頼」では信長を嫌ってるよ
家康に関しては嫌ってるわけではない。
新田次郎が明確に嫌いなのは信長のみ >>181
小説武田信玄では信長は信玄の同盟者だった時期もあるしそれほど悪く書かれていない
悪役は正室の三条の方ぐらい
とにかく新田次郎は地元諏訪出身の湖衣姫(本名不詳)が大好きってことしか 勝頼が自害した直後に信長が焼き殺されたのは笑えるわ
これは天罰 >>192
次々と身内に見限られて裏切られる勝頼の惨めさも爆笑必至 甲州征伐の時の武田崩れはねーわって思うなあ…
滅ぶときは仕方がないとはいえね
生き残った遺臣の子孫たちもよく恥とか思わずにいられたよな まあ、信玄が諸悪の根源だからな
奴が無茶苦茶したせいで武田は詰んでいた
勝頼は被害者 >>194
信玄神格化、勝頼こき下ろしは後ろめたさからもあるような
気がしなくもないかなあ…
現代において遺臣の末裔がウダウダ言うのもどうかと思うけど >>129
>あと岩崎弥太郎は武田の血が流れてるみたいだ。
そういえば岩崎弥太郎の顔は信玄に似てなくもない。
もはや転生者? 長篠の合戦で戦わずに引いて兵力を温存しておけば
信長暗殺の後にチャンスあったのに 一戦もせずに退いたら、それこそ武田家凋落を印象付けてしまう 勝頼はわざと武田を滅亡へと導いたのかもしれない
母諏訪御料人を苦しめた信玄に復讐するならその父が作った
偉大な武田家を滅ぼすのが一番
勝頼は心の奥底に信玄に対する憎悪を抱き続けていたんだ >>204
マジでそうなの?
じゃ勝頼はわざと負けて武田家を滅ぼして
四国に逃げのびたの?
逃げのびた勝頼が長曾我部盛親って名前に
改名して武田家を滅ぼして
豊臣を守り長曾我部家を存続させたのかな?
もしかして勝頼って豊臣家の嫡男だった? それは分からんが秀吉が勝頼のことを高評価してたとか
家康の評価は鈍いな
信長に至っては仇敵だが 逆だよ
評価していたからこそ武田攻めを決行したんだよ
評価していなかったら毛利攻めを優先しただろ 評価してたのに皆殺し命令を出すかよ?
家康は武田家を評価してたからこそ存続させたわけで
秀吉だって武田旧臣の真田を家来にしてた
信長だけは武田憎しの余りに皆殺し命令を出した ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています