邪馬台国は畿内だけど卑弥呼は九州説
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邪馬台国と卑弥呼を不可分のものだとする思い込みのデタラメ説の数々に騙されないようにしましょう
卑弥呼がいたのは邪馬台国ではなく女王国です
倭人伝の卑弥呼に関連する記述は卑弥呼が九州北部にいたと考えなければ辻褄が合いません
邪馬台国の登場する箇所は国名が列挙される一か所だけであり、卑弥呼とはなんら関わりがありません
「南至投馬国」の起点は九州の不弥国ではなく朝鮮半島の帯方郡です
邪馬台国にいた女王とは卑弥呼とは別の人物である可能性が高い 畿内に女性首長の文化はない。
女性首長の文化があるのは九州。 >>16
はいハズレ
三国志が書かれた時点で卑弥呼は死んでる
だから「女王国は、卑弥呼の国=卑弥呼の所在地 or 卑弥呼の統治範囲 のどちらか」なんて馬鹿な理論は最初から間違ってるんだよなあ
「不弥」は「ヒメ(媛)」と同義であり「女王」のことだゾ
>>19
そういうバカな決めつけは論文でも書いて専門家の査読を受けてから言え >>18
>巫女が神の信託を受けて国を治めたとするなら、
もしかして、彦姫制のヒメ王=祭祀王(巫女王)のことを言いたいのか?
ある意味、卑弥呼の共立はヒメ王の権能を一人の祭祀王・卑弥呼に集約
したことを指す、とも読める
そして、各地のヒコ王=政務王(実務王)は、そのまま各地を統治して
祭祀連合として女王国が存在したと考えることもできる
>大きな邪馬台国だけがそうだったと考える方が無理がある。
大きな邪馬台国って何のことだ?
他の地域にも、祭祀王・巫女王はいてもおかしくない、というか、彦姫制が
想定されるほど普通に存在していたと思うが、「卑弥呼を親魏倭王として
記述」する魏志倭人伝において、「卑弥呼以外を女王と書く」ことは
「除外してよい」だろう >>20
>三国志が書かれた時点で卑弥呼は死んでる
>だから「女王国は、卑弥呼の国=卑弥呼の所在地 or 卑弥呼の統治範囲 のどちらか」なんて馬鹿な理論は最初から間違ってるんだよなあ
魏志倭人伝の最後近くで「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩」と書かれるまでは、
卑弥呼が生きているときのこと、というか卑弥呼が生きている体で書かれている
その範囲で女王國と書かれていれば、当然に読む人は卑弥呼の国だと思うし、
撰述する側もそう読まれることを当然の前提としている
「三国志が書かれた時点で卑弥呼は死んでる 」から、
「この女王国は卑弥呼の国ではない」なんていうのは、どこの人も普通は考えないことだ
きっと、>>20は普通の読み方をする人よりずっと「カシコイ」んだと思う >>20
>「不弥」は「ヒメ(媛)」と同義であり「女王」のことだゾ
すごいね! >>19、>>20、>>22
推古天皇以前にも、神功皇后や飯豊青皇女が朝政を執ったと
公式の歴史書である日本書紀にも書かれているね >>22
>>>19
>女性が天皇の時期が何度かあった。
それはもっと後世。 >>28
ごめん、>>29のアンカ付け間違い
>>27は、>>24の内容を誤読してるな >>28
>呉誌ではどうなっている?
三国志で全文検索をかけた限りでは、三国志呉書に「倭」も「卑彌呼」も
「邪馬壹國」も出てこないよ
私の探し方が悪いのかもしれないから、自分でも調べてみて
三国志全文検索
http://www.seisaku.bz/search/search.php
魏書04 三少帝紀第四では「倭國女王俾彌呼」って書かれているね
字が違う >>32
そうか、やはり無いのかもしれない。
近所の考古学博物館で呉誌に関する日本の記述が有ったが、どうも晋が魏の系譜なので呉誌の記述は少ないらしい。 >>24
それは絶対にないしあんたの主観にすぎない
三国志は96年に亘る三国時代全体を扱い、卑弥呼は三国時代の前半の間倭国で女王をやっていた人物でしかない
卑弥呼の墓に相当する墳墓が九州にあってもそれはあくまでも卑弥呼の墓であり邪馬台国の女王の墓ではないのだ
「撰述する側もそう読まれることを当然の前提としている」という専門家の査読を受けた論文があるなら出してもらいたい
>>32
へえそれは面白い
俾彌呼と書くと「卑しい」に人偏が付いてる分いくらか人間扱いされてる体に見えるな >>34
>卑弥呼の墓に相当する墳墓が九州にあってもそれはあくまでも卑弥呼の墓であり邪馬台国の女王の墓ではないのだ
イミフ 台与以降の時代に書かれた書物なのだから邪馬台国の女王といえばその時点の女王に決まってるのだよ
絶対に卑弥呼ではない まあ邪馬台国女王なんてどーでもいい
大事なのは倭国女王 倭国全体の女王の他に邪馬台国の女王がいる
で万事解決 >>41
そうだったとしても、全くおかしくないな。 其國本亦以男子爲王。住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。
「その国」が倭国なのはいいな? 直後に倭国乱とも書いてあるし
乃共立一女子爲王。名曰卑彌呼。
と書いてあったら、これは倭国の王と為すとしか読めないだろ?
卑彌子が倭国の女王として書かれているのは、疑問の余地がない
詔書報倭女王曰。制詔親魏倭王卑彌呼。
だから、親魏倭王も卑彌呼であり、倭女王と書かれているのも卑彌呼 卑弥呼は倭女王であって、邪馬台国王とは書いてない
邪馬台国は、女王之所都であって、王都が置かれた場所の地名(国名) まったくそのとーり!
邪馬台国卑弥呼同一説の洗脳から人々を救わなければならない >>48
そうだね。
しばしば邪馬台国の女王卑弥呼、みたいな誤った表現を目にするが、邪馬台国にいた倭国女王卑弥呼が正しいということだよね。 神功皇后がモデルならば畿内から九州にやって来たと言える 倭國亂,相攻伐?年,乃共立一女子為王,名曰卑彌呼。 >>53
卑弥呼が「倭国王」になったなど一言も書かれていない。 まず、魏志倭人伝に「倭国王」など出てこない。
>>53
其國本亦以男子為王、住七八十年、倭國亂相攻伐歴年、乃共立一女子為王、名日卑彌呼。
きちんと文章を読むと、卑弥呼は「其國」の女王に共立されており、
其國の前に出てくる国は「女王國」。
よって邪馬台国女王。 卑弥呼が倭国王なら、
「倭國」本亦以男子為王、住七八十年、「其國」亂相攻伐歴年、乃共立一女子為王、名日卑彌呼。
の順番になるはず。
だが実際は、
「女王國」→「其國」→「倭國」の順番なのだから、
其國=女王國=邪馬台国 自分の意見と違ったら、理由も書かずに一言レスか。あーあー。 トンデモ解釈を説明できないということは、
これまで通り、邪馬台国女王卑弥呼だね。 >>56
>>58
>>62
邪馬台国などどこにも書いていない訳だが
幻覚が見えているなら病院行けよ頭のだぞ 辰斯王(385-392)
阿莘王(392-405)
腆支王(405-420)
久尓辛王(420-427)
毗有王(427-455)
蓋鹵王(455-475)
文周王(475-477)
三斤王(477-479)
東城王(479-501)
武寧王(501-523)
武寧王(501-523)は墓から買地券(金石文)が出てるので絶対年代。
ならば阿莘王擁立が日本書紀・応神3年条だから応神元年は390年。
ならば応神から30年後の平均在位は11年だから、
1神功皇后を入れて6代遡る10代崇神は4世紀前半。
ならば魏志倭人伝のトヨまであと数十年、トヨとは4代天皇・懿徳の皇后のトヨツ姫だと分る。
ならばヒミコはその少し前の最高位の女性、ヒメ(踏鞴五十鈴)媛だと分る。
ならばトヨツ媛もヒメ(踏鞴五十鈴)媛も住んだのは葛城(奈良県御所市)であるから、
邪馬台国の女王が住んだ場所は奈良県御所市であると分る。
おまえらアホなん? >>63
文章構成の基本的な問題。
「女王國」→『其國』→「倭國」の順番なのだから、
其國≠倭國。
其國=女王國に当てはまる候補は、倭國と邪馬台国であり、
其國≠倭國なのだから、
其國=女王國=邪馬台国。
卑弥呼は邪馬台国の女王に共立された。 >>66
>其國=女王國に当てはまる候補は、倭國と邪馬台国
そういう根拠があるというなら専門家の査読を受けた論文でどうぞ
あんたしかやってない独自研究は誰も肯定することはない >>66
>卑弥呼は邪馬台国の女王に共立された。
そうだね。 卑弥呼は以下の邪馬台国勢力に中から共立された。
↓
※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡 >>66
「倭国」は邪馬台国「女王」卑弥呼と狗奴国「男王」卑弥弓呼が倭王を自称して争ってた。
女王側についた30国が「女王派の倭国」=女王国
男王側についた?0国が「男王派の倭国」=男王国 >>72
倭国(阿波)乱とは
旧吉野川流域北岸勢力内での争乱および旧吉野川流域南岸勢力内での争乱また、鮎喰川下流域勢力内での争乱および各地域間の争乱。
北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)は粟国(旧吉野川流域北岸勢力・旧吉野川流域南岸勢力・鮎喰川下流域勢力)
南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)は長国(勝浦川流域勢力・那賀川流域勢力・海部川勢力)
こういう「邪馬台国勢力」と「狗奴国勢力」を「弥生集落遺跡」で提示できるのは倭国(阿波)だけ。 @阿波 ※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)
【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地
【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡
【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)
【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡
【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡
【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡 >>1
>卑弥呼がいたのは邪馬台国ではなく女王国です
女王の都するところが邪馬台国なんだから、卑弥呼は邪馬台国にいるんじゃないの?
そもそも女王国ってどこだよ?
>倭人伝の卑弥呼に関連する記述は卑弥呼が九州北部にいたと考えなければ辻褄が合いません
倭国の風俗として書いているところは、倭国内にそういう風俗があるってことであって、
倭国の一部である邪馬台国の風俗って訳じゃないぞ >>81
例えば、「日本には野生のニホンカモシカがいる」と書いた書物があったとして、
大阪市内にニホンカモシカがいないから、大阪市は日本ではない、ということにはならないだろ? >>82
王宮を守る兵士のことが書かれているのに、その兵士が持っていたとされる武器の痕跡が全く纒向にないんだよ。 例えば、「日本の山には金がある」と書いた書物があったとして、
大阪市内に金鉱山がないから、大阪市は日本ではない、ということにはならないだろ? 首都には鉄鏃や矛で武装した兵が王城を守っていたと書いてある。
どこか地方ではない。
楼閣高い卑弥呼の王城は?
千人の奴婢は?
纒向は全く魏志倭人伝の内容と異なっている。 >>85
>首都には鉄鏃や矛で武装した兵が王城を守っていたと書いてある。
頭の中で混ぜ込んでるんだろうけど、卑弥呼の宮室については
居處宮室・樓觀・城柵嚴設、常有人持兵守衞。
とあるだけで、鉄鏃で武装してとかは書いてない
兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。
これは、倭地の習俗のところであって、邪馬台国がこうだと書いてあるわけではない
邪馬台国の比定に重要なのは
・邪馬台国の発音に近い地名
・戸数7万戸
・30近くの国々の盟主
・宮室、楼観、城柵
・卑弥呼の墓径百歩
・徇葬百人
の各項目だよ
これらは、倭地ではなく邪馬台国限定のこと >>87
>アタマ悪そう
いつも思うんだけど、九州説のやつはどうして一言コメントばかりなの?
二語文以上は使えないのかな?
「みかん とって/りんご ちょうだい/ジュース のむ/パン たべる ・・・など。
おおよそ、「1才6カ月〜2才6カ月頃」に出てきます。」 >>86
>居處宮室・樓觀・城柵嚴設、常有人持兵守衞。
>兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。
常に王宮を兵士が守り、兵士は矛盾弓を持ち、鉄鏃云々とあるね。
そこだけ倭地の習俗だというのは、恣意的なおかしな解釈だよ。
畿内説はいつも魏志倭人伝を歪曲する。 お前がテイノーなんだろう
お前の家の親や先祖は何をしていたんだ、
どうせ、どこかの馬の骨か何かだろう どのスレだったかな、このような事を言ってる人がいたでしょ
「仏の顔も三度まで」
「いい加減にしろ、このクズ野郎」
「海賊ごっこは終わり」みたいな書き込み
海賊=ニセモノ、模造のような意味 誰が作ったのか、わからない、謎のチェーンソーのゲーム
「渡来人どもめ〜」と言っていたり、敵の台詞だよ >>86
この部分と
>・邪馬台国の発音に近い地名
>・戸数7万戸
この部分は
>・30近くの国々の盟主
>・宮室、楼観、城柵
>・卑弥呼の墓径百歩
>・徇葬百人
それぞれ違う国のこと >>93
違う国とまで言い張るのか。
畿内説は魏志倭人伝の曲解がひどいですね。 邪馬台国は九州、畿内、奥羽のライン。
熊本、高千穂。 合意形成型は邪馬台国。飛騨もだ。
日本とは和国。扇。着物。
広島、京都、愛知、東京。
>>89
「兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃」
と
「居處宮室・樓觀・城柵嚴設、常有人持兵守衞」
は、完全に別の段落に書いてあるぞ
魏志倭人伝1990字のうち、551文字離れたところにある
前半は倭人の習俗であって、倭人はこうしているのを見た、くらいの部分
全般的な一般論
後半は、具体的な邪馬台国の卑弥呼の宮室の様子
そこの兵が、前の方と同じ武装をしていてもいいが、していなくてもいい
まあ伊都国推しの九州説の人は、伊都国王の名前はずっと
離れたところに卑弥呼と書いてあると平気で主張する人たちだから、
そういう読み方が普通だと思っている人には、そう読めるのかもね 単に畿内派・九州派って言ってる時点で頭が悪い
なにが畿内でなにが九州なのかを分けて考えない奴は永遠にガイジループを巡り続けるのだ >>100
>前半は倭人の習俗であって、倭人はこうしているのを見た、くらいの部分
>全般的な一般論
畿内説は、本当に書いてあることを捻じ曲げるのが好きだよな。
呆れるよ。 邪馬台国は倭国に含まれる
含むか含まないかの話であって
同じ国か別の国かって話じゃないだろ
なに逝ってんだよ全く… >>105
へー。じゃおまえは邪馬台国は倭国に含まれないって言いたいのかw >>106
例えば、「日本には野生のニホンカモシカがいる」と書いた書物があったとして、
大阪市内にニホンカモシカがいないから、大阪市は日本ではない、ということにはならないだろ? じゃあ、都の王宮を守る兵士は、何で武装しているんだ? >>109
>じゃあ、都の王宮を守る兵士は、何で武装しているんだ?
それについては「魏志倭人伝には特に明記はされていない」
が、文献どおりの解釈だな
居處宮室樓觀城柵嚴設「常有人持兵守衞」
武装は「兵」一文字しかないぞ >>111
>纒向だと、木の棒か何かか?
纏向では、儀式化しているようだけどな
纏向遺跡は、環濠集落の環濠が廃絶されてからの都だ
そして、大型の木の鏃も出ている
実用ではなく、儀礼用ということだろう
残念ながら、木の棒ではなかったなww それ、魏志倭人伝のように兵が厳しく守りを固めていたことになるのか?
楼閣はどうした? >>111
相変わらず、言葉が悪いな
育ちの悪い者が、余裕をなくすとすぐに地が出る
九州説の方がそういう書き込みが多いのは、理由があるのかい? >>115
>木の棒はドラクエへのオマージュなんだが。
それならひらがなで「ひのきのぼう」って書いてくれないとw >>108
当たり前だろ
>>106の記述となにも矛盾ないぞ
「日本には野生のニホンカモシカがいる」ってのは
「日本のどこにもいる/いたるところにいて、いないところは日本でない」
という意味ではない >>117
だが、
国の中に野生のニホンカモシカがいない国は、日本ではない
という対偶は真になるんだ
つまり、九州限定の倭国では、弥生時代に丹の出る山が知られていないので、
九州限定の倭国は間違いということになる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています