邪馬台国は畿内だけど卑弥呼は九州説
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
邪馬台国と卑弥呼を不可分のものだとする思い込みのデタラメ説の数々に騙されないようにしましょう
卑弥呼がいたのは邪馬台国ではなく女王国です
倭人伝の卑弥呼に関連する記述は卑弥呼が九州北部にいたと考えなければ辻褄が合いません
邪馬台国の登場する箇所は国名が列挙される一か所だけであり、卑弥呼とはなんら関わりがありません
「南至投馬国」の起点は九州の不弥国ではなく朝鮮半島の帯方郡です
邪馬台国にいた女王とは卑弥呼とは別の人物である可能性が高い >>375 ようつべ
神功皇后と卑弥呼【前編】【CGS 家村和幸 闘戦経 第24回】
神功皇后と卑弥呼【後編】【CGS 家村和幸 闘戦経 第25回】 【邪馬台国の終焉】
八咫の鏡を持つ卑弥呼の後継者の一人であり、筑紫の梟帥の称号を持つ神橿日姫(神夏磯姫)の時、外部勢力である景行天皇とともに耳垂などかつての邪馬台国の官を粛清している。
景行天皇の孫の仲哀天皇が息長帯姫(神功皇后)とともに神橿日姫ゆかりの筑紫橿日宮(香椎宮)に入るとき、
伊都高祖宮と筑紫岡田宮の王(五十迹手、熊鰐)が出迎えたが、仲哀天皇は筑紫橿日宮で急死してしまう。
景行は神橿日姫と共闘していたが、仲哀の妃の息長帯姫は筑紫を支配していた羽白熊鷲や、神橿日姫の末裔とされる田油津姫を殺し、武内宿禰とともに筑紫の全権を掌握し、朝鮮半島に出兵する。
倒された側の耳垂や田油津姫はいずれも正史では土蜘蛛と称されており、勝てば官軍、負ければ賊軍のような状態であったと考えられる。
田油津姫の宮は銅を産出する香春岳の麓の香春宮であったが、決戦の地に筑後山門を選んだのは、そこが本貫地であり、自身が邪馬台国の女王であるという意識があったかもしれない。
羽白熊鷲の名は息長帯姫側の熊鰐と同類の名前であり、筑紫の王家の一員であったろう。
田油津姫も八咫の鏡を保有していた神橿日姫の末裔と伝えられており、筑後〜筑豊の女王であったと考えられる。
つまり息長帯姫の土蜘蛛征伐は筑紫倭国すなわち邪馬台国の末裔による内紛に他ならない。
その中でも、筑後・筑豊・肥前に拠点を持つ肥国邪馬台国の女王の系譜は、卑弥呼、壹與に続く神橿日姫、田油津姫までで終わりとなる。
仲哀の急死は息長帯姫と武内宿禰による暗殺であり、その夜に息長帯姫と住吉の神(武内宿禰)の間に密事があったと伝えられている。
息長帯姫は、仲哀の本来の皇后(大中津姫、仲哀と同じく景行の孫で息長帯姫より高貴な身分)の皇子二人も殺害し、仲哀の血筋を根絶やしにして、武内宿禰との間の子である応神を天皇にした。
天皇の諡号の中に神の文字が入っているのは各王朝の祖先神を表しているという説がある。神武、崇神、応神がそれであり、応神天皇が現在の天皇家の始祖となる。
その宗廟である宇佐神宮は八幡信仰と結びつき、後世の天皇家から伊勢神宮以上の崇敬を集め、政治的権威も強かった(宇佐神託事件など)。 >>376
認識がおかしい
半島人が好むのは九州説であり、間違った認識の押し付けをしているのが半島人だ 私どもが行った現代日本人頭骨の分析から見ても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で『特殊な日本人』ともいえる
(埴原和郎・国際日本文化研究センター名誉教授)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属している
(池田次郎・京都大学名誉教授)
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い
(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)
関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い
(中橋孝博・九州大学大学院教授)
熊本は古来より北からの流れと南からの流れが見事に交錯してきた美人の産地
(松下孝幸・土井ヶ浜人類学ミュージアム館長) 卑弥呼の死後、邪馬台国は宇佐国の台与媛が引き継いだ。
台与は豊であり、豊前・豊後の支配者の娘だった。
豊の孫の神武は火山の大噴火と津波で大きな被害を受けた後、
宇佐を訪れて東征を相談している。 壹與は肥前河上の與止日女神社の主。
淀姫として畿内にも勧請され、淀川の由来にもなっている。 賊軍の卑弥呼(孫子の兵法に通じた渡来人)。
クマソ成敗。
九州はアクの溜まる地だ! 今日の朝日に日田の鉄鏡の記事があるが、
話題にすらなってないとか、どんだけやねん >>386
そりゃ、阿波のニュースのようにはいかんわね。 @阿波 >>387
でも、泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃんwww >>380
ヘイトスピーチって言い出すのは半島関連の人脈の人だけだよww >>393
その卑弥呼の都がある邪馬台国が、「其山有丹」に該当する倭国(阿波)。 @阿波 その卑弥呼の都がある邪馬台国が、「其山有丹」に該当する倭国(阿波)。 @阿波 今風で言えば住民票は畿内だけど、実際に住んでるところは九州です。みたいな話だろう。 >>396
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) >>395
その卑弥呼の都がある邪馬台国が、「其山有丹」に該当する倭国(阿波)。 @阿波 泡は目の上のたん瘤! だから、泡は引っ込め!
倭国(阿波)は、逆立ち・し・て・い・て・ も、どの説にも負けない。 まともに反論・で・き・る・人・は、 はい、どうぞ。 @阿波 まともに反論・で・き・な・い・人・は、 罵詈雑言はい、どうぞ。 @阿波 >>409
泡は目の上のたん瘤だよ。 わははははは @阿波 >>410
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) 九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、
分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 >>411
>アカゲザル
台湾ザルとニホンザルの区別はつかないだろう >筑前国風土記逸文に・・・
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 朝廷の祭祀には玉が祭料,幣帛として使われた。 忌部は,大和朝廷が祭祀に必要としたその玉類の生産,調達にかかわっていたとの指摘がある。
忌部の祖神である「天太玉命」に玉の文字が含まれていることも偶然ではないはずだ。
「日本書紀」(神代下第九段)に忌部に関する記述があり「…櫛明(くしあかる)玉神を作玉者とす…」とある。
「古語拾遺」にも似た記述があり,忌部氏はいろいろな神を率いて幣帛・祭具の生産に従事した。
櫛明玉神は出雲国の玉作の祖という。
さて,島根県で玉作といえば,出雲玉作遺跡がある玉湯町,松江市忌部だ。 つまり旧意宇郡忌部郷を中心とする地域だった。
「延喜式祇式」臨時祭条に「…毎年十月以前令意宇郡神戸玉作氏造備…」とある。
これを「出雲風土記」と照らすと,毎年十月に玉を調達した玉作氏の住む意宇郡神戸が,「和名抄」に出てくる「忌部神戸」であることが明らかになる。
つまり出雲の玉作りは忌部が行っていたわけだ。
もちろん,忌部の祖神を祀る天太玉命神社がある奈良県橿原市の近くにも玉作遺跡である曽我遺跡がある。 大和朝廷の官立の玉作工房だったようだ。
徳島の玉作遺跡は,徳島市国府町矢野の「矢野遺跡」と三好市三加茂町の「稲持遺跡」がある。 両遺跡とも緑灰色の蛇紋岩を使用し,勾玉の製作をしていた。
矢野では気延山や眉山から石を運んできたようだ。 時代は矢野が若干古く弥生時代後期後半とみられる。
矢野遺跡周辺は,いうまでもなく古代阿波が最も栄えていた土地である。 @阿波 卑弥呼の都が邪馬台国にあるんだから、邪馬台国に卑弥呼はいるよ >>417
そりゃ、そうだろう。 当たり前。 @阿波 >>416
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) 九州には、自慢できる温泉が腐るほどあるのに、
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?
なんで九州の風土記に天皇の行幸記事がないのだろうか?
あとは、推して知るべし。 @阿波 >>420
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) >>424
立派な宮城があると書かれている。
魏志倭人伝を無視するな。 >>427
戦争中の疎開先の仮宮が立派な宮城だとでも?w
お前バカだろ? 魏志倭人伝を無視した主張に価値はない。
疎開していたなどという記述はない。 >>430
九州には、「倭王権」がなかったでよろしいか? @阿波 >>431
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、
分かりやすいのが、斉明天皇(第37代)はおろか、明治天皇以前には、一人も九州行幸が無いこと。
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。 @阿波 >>408
この話?、いわゆる神武東征「神話」や出雲王国の滅亡(国譲り)、桃太郎の鬼退治、浦島太郎のおとぎ話ほかと
同時進行、同時代の話。 >>431
「倭(矮小)」や「邪馬台国(邪(ヨコシマ)な馬)」は中国/シナ人の中華思想による卑字表記(地名などには動物や魚類の文字を充てる)ですから、
神の民の日本人は自らを貶めるこれ等の表記は止めれ!
倭国→和国。
大倭→大和。
邪馬台国→大和国
卑弥呼→姫巫女(ヒメミコ)/日女命(ヒルメのミコト) >>434
>邪馬台国→大和国
「邪馬臺国」=やまと国=「倭大國魂・倭大國敷神社」=粟国 @阿波 >>434
>卑弥呼→姫巫女(ヒメミコ)/日女命(ヒルメのミコト)
天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」。
御祭神は大日?女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神。
また、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)が祀られているのが徳島の神山町にある上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)。
大宜都比売命の別名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)と言われている。
※「大宜都比売命」=「天石門別八倉比売命」=「大日?女命」=「天照大神」 @阿波 >>434
>卑弥呼→姫巫女(ヒメミコ)/日女命(ヒルメのミコト)
天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」。
御祭神は大日孁女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神。
また、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)が祀られているのが徳島の神山町にある上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)。
大宜都比売命の別名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)と言われている。
※「大宜都比売命」=「天石門別八倉比売命」=「大日孁女命」=「天照大神」 @阿波 >>434
>中華思想による卑字表記
卑弥呼などはそうかもしれんが、
倭國、対海末蘆伊都奴不弥などは倭人の自称だと思うぞ
硯がいっぱい出土してるから政権上層は漢字を使ってただろうし 伊都国はまさにそうだね。
倭はイと読んでいたのかもしれないね。
倭国の王都の意味で伊都国。 >>439
伊都国(直方辺り)は、倭国(阿波)への通過国であり、また一方、いわゆる出入国管理局でもあった。 @阿波 >>440
その伊都国は千戸程度だから、弥生集落遺跡として「感田上原遺跡」や「帯田遺跡」「平原池の上遺跡」だろう。 @阿波 >>439
倭はワだよ
イと読むなら夷だろ
夷が卑字だから避けて伊というなら話はわかる >>441
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) 取り敢えず宋書新唐書では神武までは筑紫とは書かれているよ。 問題は神武がいつ頃の人物かということだ。
それが倭国大乱の頃なら、神武らが王都を去った後に筑紫倭国で王となったのが卑弥呼だったということになる。 >>444
>取り敢えず宋書新唐書では神武までは筑紫とは書かれているよ。
その通り。 ただし、筑紫国とは書かれていない! 残念! わははははは @阿波 4世紀はもう景行天皇や応神天皇の時代になってしまう。 >>444
>取り敢えず宋書新唐書では神武までは筑紫とは書かれているよ。
その通り。 ただし、筑紫国とは書かれていない! 残念! わははははは @阿波 日向宮とはなってるよ。阿波さんのポケットにはあるの? >>451
>日向宮とはなってるよ。
日向国の宮とはなっていない! 残念! わははははは
筑紫国も日向国も出雲国も、みんな「好字令」で好き勝手に付けた国名。 早とちりしてはいけないよ! @阿波 >>453
>そう受け取りますか。
君は記紀が、島根と福岡と宮崎を股に掛ける壮大な話だと、そう受け取っているのかね? 一度、冷静に考えてみることをお勧めする。
君が一刻も早く、旧説の呪縛から解き放されることを祈念している。 @阿波 >>454
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないじゃん(大爆笑) 筑紫倭国とか書いてる人は、時系列が理解できていない 当時の準構造船じゃコンクエストなんて不可能だと思うぞ。
弥生時代の船じゃ10人乗れれば良い方だ。
それじゃマトモな渡洋作戦など無理だろう。
ちゃんとした構造船が出来たのは5世紀なかばらしいが、もうその時代には大和朝廷は出来上がってしまっている。
九州勢力の東遷説は難しいんじゃないかな。 コトバンクとは、どこの素晴らしい会社が運営しているのかな、、 >>459
じゃあ畿内の人間は木の股から産まれてきたのか?
3世紀の魏の使いは使い物にならない船で対馬海峡を渡ったのか? そりゃ少人数で船団を組んで渡ったんだろう。
しかし、戦争にはとにかく大量の兵士、人夫、馬がいる。
最低でも数千人だ。
しかし弥生時代の船でそれだけの軍勢を運んだら、何百隻あっても足りないだろうってことだ。
有名な渡洋作戦としてノルマン・コンクエストがあるが、僅か7500の兵力で200〜300隻の船が必要だった。
弥生時代よりはマシな船で、これだけいるんだ。
もっとショボい船ではどれだけ必要か見当も付かん。
そしてウン千隻の大船団を当時の北九州が作れたとも思えない。 >>465
全部主観だな
インカ帝国の最期を知ってるか? >僅か7500の兵力で200〜300隻の船が必要だった。
200-300の船があったんだろうよ。
山だらけの日本ならいくらでも作れる。
つか、弥生の畿内にどれだけの住居がある?
纒向の住居はいくつだ?
7500も押しかけたら
新しい国ができるんじゃないのか? コンクエスト?
なに言ってるの??
毛人に遠慮して、
誰もいない奈良湖を埋め立てて入植したのに
文句言われても困っちゃうよ 制服は海から近いところから始めたに決まっている。
吉備、伊予、摂津、河内、尾張。
いずれも征服者を祭り上げる大社があるだろう。
最後にノコノコと遅れてきた神武が残った大和の不便な土地をもらったんだよ。 【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。
その祖は博多湾沿岸の倭王である大山祇の子、伊奘諾の曽孫である三島溝杙耳(陶津耳、賀茂建角身)である。
大山祇の娘の木花咲夜姫は天孫邇邇芸に嫁入りしていて、その実家は志賀島の綿津見神社とされるが、遠賀川沿岸に広がる豊国が支配地域であり、後世の筑紫岡田宮の一族である。
三島溝杙耳は瀬戸内海を通じて大阪湾から畿内に鎮座し、後に神武の東征を助けたとされている。
この一族を祭るのが、伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などである。
神武と戦った長髄彦は三島溝杙耳の息子とされていて、耳の娘は活玉依姫(勢夜陀多良比売、玉櫛媛)である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる(丹塗矢説話)。
この娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子である。
この登美の鴨王家には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原から交野にやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになり、異同が論じられるところである。
古事記では大物主は大国主や事代主と別神であり、勢夜陀多良比売と活玉依姫も別神としているが、勢夜陀多良比売と活玉依姫はいずれも丹塗矢説話が共通している。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。 倭寇による朝鮮半島への侵略はおよそ4年に一回だったそうだ。
筑紫倭国は船の建造能力にはそこそこの余裕があったのだろう。
最後の戦いとなった白村江では兵員総数は2万に及んだという。 >>470
この文章の大事なところは、神武より前にいた饒速日も長髄彦も、祖先を辿るとすぐに博多湾の倭奴国の王であったイザナギにたどり着くところなんだ。
イザナギが筑紫の日向の小戸で禊をした時に生まれた神々の末裔であり、天津神(アマツカミ)すなわち海の王(支配者)の一族、海人族なんだよ。
彼らは造船技術、操船技術に長けており、初めは日本海沿岸、続いて九州の有明海側から日向灘に入り、瀬戸内海から紀伊半島を回り、東海へ進出した。
手土産に灌漑技術と稲作技術を持ち込んだため、各地に受け入れられて神と崇められたわけだ。
玄界灘沿岸に成立した稲作を特徴とする倭国王権が領土を拡大した時代を弥生時代と呼ぶのだよ。 その倭国の女王が卑弥呼だから、もちろん筑紫の日向の伊都国にいたに決まっている。
南の狗奴国は第二の勢力である肥後だ。
投馬国へは鹿児島周りで宮崎まで、福岡からさらに10日ほどかかる。
筑紫は卑弥呼の先代の男王つまり日向三代の彦火火出見(伊都高祖神社の神)がもともと治めており、彦火火出見の又の名は山幸彦だ。
筑紫を追い出された兄の海幸彦がたどり着いた南の国というのが宮崎の投馬国つまり都万だ。
海幸彦の子孫が隼人とされている。
彦火火出見の孫の神武が筑紫の日向を出たのが倭国大乱の時で、主戦場が筑後平野。 >>469
それを、「忌部はん」 の拓殖進出のこと だと、何度言えばw @阿波 >>469
全国に、今もって名を残しているのは「忌部(物部)一族」 だけ。 @阿波 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています