邪馬台国は畿内だけど卑弥呼は九州説
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邪馬台国と卑弥呼を不可分のものだとする思い込みのデタラメ説の数々に騙されないようにしましょう
卑弥呼がいたのは邪馬台国ではなく女王国です
倭人伝の卑弥呼に関連する記述は卑弥呼が九州北部にいたと考えなければ辻褄が合いません
邪馬台国の登場する箇所は国名が列挙される一か所だけであり、卑弥呼とはなんら関わりがありません
「南至投馬国」の起点は九州の不弥国ではなく朝鮮半島の帯方郡です
邪馬台国にいた女王とは卑弥呼とは別の人物である可能性が高い >>434
>邪馬台国→大和国
「邪馬臺国」=やまと国=「倭大國魂・倭大國敷神社」=粟国 @阿波 >>434
>卑弥呼→姫巫女(ヒメミコ)/日女命(ヒルメのミコト)
天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」。
御祭神は大日?女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神。
また、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)が祀られているのが徳島の神山町にある上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)。
大宜都比売命の別名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)と言われている。
※「大宜都比売命」=「天石門別八倉比売命」=「大日?女命」=「天照大神」 @阿波 >>434
>卑弥呼→姫巫女(ヒメミコ)/日女命(ヒルメのミコト)
天照大神伝説の地は徳島市国府町「天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)」。
御祭神は大日孁女命(おおひるめむちのみこと)こと天照大神。
また、大宜都比売命(おおげつひめのみこと)が祀られているのが徳島の神山町にある上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)。
大宜都比売命の別名を天石門別八倉比売命(あまのいわとわけやくらひめのみこと)と言われている。
※「大宜都比売命」=「天石門別八倉比売命」=「大日孁女命」=「天照大神」 @阿波 >>434
>中華思想による卑字表記
卑弥呼などはそうかもしれんが、
倭國、対海末蘆伊都奴不弥などは倭人の自称だと思うぞ
硯がいっぱい出土してるから政権上層は漢字を使ってただろうし 伊都国はまさにそうだね。
倭はイと読んでいたのかもしれないね。
倭国の王都の意味で伊都国。 >>439
伊都国(直方辺り)は、倭国(阿波)への通過国であり、また一方、いわゆる出入国管理局でもあった。 @阿波 >>440
その伊都国は千戸程度だから、弥生集落遺跡として「感田上原遺跡」や「帯田遺跡」「平原池の上遺跡」だろう。 @阿波 >>439
倭はワだよ
イと読むなら夷だろ
夷が卑字だから避けて伊というなら話はわかる >>441
でも泡チョンコの主張だとアカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃうじゃん(爆笑) 取り敢えず宋書新唐書では神武までは筑紫とは書かれているよ。 問題は神武がいつ頃の人物かということだ。
それが倭国大乱の頃なら、神武らが王都を去った後に筑紫倭国で王となったのが卑弥呼だったということになる。 >>444
>取り敢えず宋書新唐書では神武までは筑紫とは書かれているよ。
その通り。 ただし、筑紫国とは書かれていない! 残念! わははははは @阿波 4世紀はもう景行天皇や応神天皇の時代になってしまう。 >>444
>取り敢えず宋書新唐書では神武までは筑紫とは書かれているよ。
その通り。 ただし、筑紫国とは書かれていない! 残念! わははははは @阿波 日向宮とはなってるよ。阿波さんのポケットにはあるの? >>451
>日向宮とはなってるよ。
日向国の宮とはなっていない! 残念! わははははは
筑紫国も日向国も出雲国も、みんな「好字令」で好き勝手に付けた国名。 早とちりしてはいけないよ! @阿波 >>453
>そう受け取りますか。
君は記紀が、島根と福岡と宮崎を股に掛ける壮大な話だと、そう受け取っているのかね? 一度、冷静に考えてみることをお勧めする。
君が一刻も早く、旧説の呪縛から解き放されることを祈念している。 @阿波 >>454
アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてないじゃん(大爆笑) 筑紫倭国とか書いてる人は、時系列が理解できていない 当時の準構造船じゃコンクエストなんて不可能だと思うぞ。
弥生時代の船じゃ10人乗れれば良い方だ。
それじゃマトモな渡洋作戦など無理だろう。
ちゃんとした構造船が出来たのは5世紀なかばらしいが、もうその時代には大和朝廷は出来上がってしまっている。
九州勢力の東遷説は難しいんじゃないかな。 コトバンクとは、どこの素晴らしい会社が運営しているのかな、、 >>459
じゃあ畿内の人間は木の股から産まれてきたのか?
3世紀の魏の使いは使い物にならない船で対馬海峡を渡ったのか? そりゃ少人数で船団を組んで渡ったんだろう。
しかし、戦争にはとにかく大量の兵士、人夫、馬がいる。
最低でも数千人だ。
しかし弥生時代の船でそれだけの軍勢を運んだら、何百隻あっても足りないだろうってことだ。
有名な渡洋作戦としてノルマン・コンクエストがあるが、僅か7500の兵力で200〜300隻の船が必要だった。
弥生時代よりはマシな船で、これだけいるんだ。
もっとショボい船ではどれだけ必要か見当も付かん。
そしてウン千隻の大船団を当時の北九州が作れたとも思えない。 >>465
全部主観だな
インカ帝国の最期を知ってるか? >僅か7500の兵力で200〜300隻の船が必要だった。
200-300の船があったんだろうよ。
山だらけの日本ならいくらでも作れる。
つか、弥生の畿内にどれだけの住居がある?
纒向の住居はいくつだ?
7500も押しかけたら
新しい国ができるんじゃないのか? コンクエスト?
なに言ってるの??
毛人に遠慮して、
誰もいない奈良湖を埋め立てて入植したのに
文句言われても困っちゃうよ 制服は海から近いところから始めたに決まっている。
吉備、伊予、摂津、河内、尾張。
いずれも征服者を祭り上げる大社があるだろう。
最後にノコノコと遅れてきた神武が残った大和の不便な土地をもらったんだよ。 【葛城鴨王家の系譜】
大和国葛城にいた古代氏族の系譜。三輪高宮家系譜などに資料が残されている。
その祖は博多湾沿岸の倭王である大山祇の子、伊奘諾の曽孫である三島溝杙耳(陶津耳、賀茂建角身)である。
大山祇の娘の木花咲夜姫は天孫邇邇芸に嫁入りしていて、その実家は志賀島の綿津見神社とされるが、遠賀川沿岸に広がる豊国が支配地域であり、後世の筑紫岡田宮の一族である。
三島溝杙耳は瀬戸内海を通じて大阪湾から畿内に鎮座し、後に神武の東征を助けたとされている。
この一族を祭るのが、伊予国大三島の大山祇神社、土佐の溝咋神社、摂津の三島神社、京都の上賀茂下鴨神社などである。
神武と戦った長髄彦は三島溝杙耳の息子とされていて、耳の娘は活玉依姫(勢夜陀多良比売、玉櫛媛)である。
出雲の国譲りの後に大和に移住していた事代主は三輪山の神となっていたが、活玉依姫に娘と息子を生ませる(丹塗矢説話)。
この娘は後に神武の妃となるイスケヨリ姫(媛蹈鞴五十鈴姫)であり、息子は天日方奇日方(櫛御方)である。天日方奇日方はまたの名を鴨主という。
天日方奇日方の曾孫が太田多根子である。
この登美の鴨王家には別の伝承がある。
飛鳥大神の娘である登美夜姫が、高天原から交野にやってきた天照の孫であるニギハヤヒとの間に生んだ子が、物部氏の祖であるウマシマジである。
登美の長髄彦は、神武との戦いの中で「自分は天神の子であるニギハヤヒに仕えて妹をニギハヤヒに娶らせたが、どうしてまた天神の子と称するものが来て土地を取ろうとするのか」と言っている。
とすると、登美夜姫と活玉依姫はともに長髄彦の妹ということになり、異同が論じられるところである。
古事記では大物主は大国主や事代主と別神であり、勢夜陀多良比売と活玉依姫も別神としているが、勢夜陀多良比売と活玉依姫はいずれも丹塗矢説話が共通している。
いずれにしても、大和国の主だった勢力はいずれも筑紫か出雲、高天原にその起源があることになる。 倭寇による朝鮮半島への侵略はおよそ4年に一回だったそうだ。
筑紫倭国は船の建造能力にはそこそこの余裕があったのだろう。
最後の戦いとなった白村江では兵員総数は2万に及んだという。 >>470
この文章の大事なところは、神武より前にいた饒速日も長髄彦も、祖先を辿るとすぐに博多湾の倭奴国の王であったイザナギにたどり着くところなんだ。
イザナギが筑紫の日向の小戸で禊をした時に生まれた神々の末裔であり、天津神(アマツカミ)すなわち海の王(支配者)の一族、海人族なんだよ。
彼らは造船技術、操船技術に長けており、初めは日本海沿岸、続いて九州の有明海側から日向灘に入り、瀬戸内海から紀伊半島を回り、東海へ進出した。
手土産に灌漑技術と稲作技術を持ち込んだため、各地に受け入れられて神と崇められたわけだ。
玄界灘沿岸に成立した稲作を特徴とする倭国王権が領土を拡大した時代を弥生時代と呼ぶのだよ。 その倭国の女王が卑弥呼だから、もちろん筑紫の日向の伊都国にいたに決まっている。
南の狗奴国は第二の勢力である肥後だ。
投馬国へは鹿児島周りで宮崎まで、福岡からさらに10日ほどかかる。
筑紫は卑弥呼の先代の男王つまり日向三代の彦火火出見(伊都高祖神社の神)がもともと治めており、彦火火出見の又の名は山幸彦だ。
筑紫を追い出された兄の海幸彦がたどり着いた南の国というのが宮崎の投馬国つまり都万だ。
海幸彦の子孫が隼人とされている。
彦火火出見の孫の神武が筑紫の日向を出たのが倭国大乱の時で、主戦場が筑後平野。 >>469
それを、「忌部はん」 の拓殖進出のこと だと、何度言えばw @阿波 >>469
全国に、今もって名を残しているのは「忌部(物部)一族」 だけ。 @阿波 アカゲザルとクロキジが生息しない日本列島は倭国ですらなくなっちゃう泡チョンコの主張に一切の信憑性なんてない >>449
>4世紀はもう景行天皇
3世紀後半に、崇神、垂仁で4世紀に景行天皇で特に問題なくない? >>447
>神武は4世紀でしょ
に対するコメントだよ。 全国に、今もって名を残しているのは「忌部(物部)一族」 だけ。 @阿波 >>480
安曇のパシリが阿波忌部。
そもそも阿波忌部は職業上の自称であって忌部と同族ではなく血縁的にも文化的にも無関係だぞマヌケ。 >>485
全国各地に、今もって忌部の地名を残しているのは「忌部(物部)一族」 だけ。 @阿波 >>485
安曇? なにそれ? 全国各地に、今もって忌部の地名を残しているのは「忌部(物部)一族」 だけ。 @阿波 >>482
>九州に壹與、畿内に崇神
畿内に崇神、畿内にトヨスキイリヒメ・崇神皇女=台与で問題ないだろ >>487
安曇のパシリが阿波忌部。
そもそも阿波忌部は職業上の自称であって忌部と同族ではなく血縁的にも文化的にも無関係だぞマヌケ。 根拠だなんだ言葉でいいつくろってるけど
出土遺物を見ると明らかだがな。
福岡県に100
他に1とかせいぜい阿波で5とか
吉備勢力とかいっても集落は0
出雲で5とか >>495
>出土遺物を見ると明らかだがな。
なんの出土遺物? @阿波 前方後円墳は物部の墓制であり、邪馬台国は関係ないだろうねえ。 鉄器が出るのは、前方後円墳や軽量薄型土器とおなじ時期。
前方後円墳や軽量薄型土器が出現する以前には、鉄器は絶対に出ない。 「忌部はん」が全国に、鉄器や前方後円墳、軽量薄型土器などを広めたんだから。 @阿波 前方後円墳が天神族や天孫族の墓制なら全国で作られるなんておかしいよね
エリートは中央だけにいるもんだ >鉄器が出るのは、前方後円墳や軽量薄型土器とおなじ時期。
間違い >>502
>前方後円墳が天神族や天孫族の墓制なら全国で作られるなんておかしいよね
だから、「忌部はん」が全国に、鉄器や前方後円墳、軽量薄型土器などを広めたんだから。 @阿波 >>506
碌な鍛冶炉遺構遺跡や資源の無い九州に、邪馬台国など在る訳がない。 なにを考えているんだか。 @阿波
「倭国(阿波)は鉄器王国」
倭国(阿波)では遺跡発掘が少ないにも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地7か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。
「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」 碌な工場や資源の無い日本列島に、日本など在る訳がない。 なにを考えているんだか。 >>502
親族を全国各地の首長に任命するんだよ。
当時は移動に時間がかかるから、当然だろ? >>507
安曇のパシリが阿波忌部。
そもそも阿波忌部は職業上の自称であって忌部と同族ではなく血縁的にも文化的にも無関係だぞマヌケ。 >>511
安曇のパシリが阿波忌部。
そもそも阿波忌部は職業上の自称であって忌部と同族ではなく血縁的にも文化的にも無関係だぞマヌケ。 崇神モモソが300年前後でホケノ山が小枝で3世紀後半だと箸墓はモモソの墓じゃないんじゃない? ×崇神モモソが300年前後でホケノ山が小枝で3世紀後半だと箸墓はモモソの墓じゃないんじゃない?
〇崇神モモソが300年前後でホケノ山が小枝で4世紀後半だと箸墓はモモソの墓じゃないんじゃない? 崇神、垂仁、景行の三代が、纏向に宮を置いた邪馬台国の王族だよ なら纒向宮もその頃ということで。
邪馬台国とは関係なかったな。 >>522
泡チョンコはしゃしゃり出てくるなって笑 >>523
夢を打ち破られるから? ごめんね笑 @阿波 まともな議論が進行するのを阻止する
@阿波とキナイコシのコンビプレイ
(コピペ連打と泡チョンコ連打) >>524
安曇のパシリが阿波忌部。
そもそも阿波忌部は職業上の自称であって忌部と同族ではなく血縁的にも文化的にも無関係だぞマヌケ。 ここでいう「忌部一族」とは、衰退した平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
「忌部一族」とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。
その忌部(斎部)氏は、物部氏の衰退後、残党が「忌部氏」を名乗った可能性が高い。 @阿波 >>527
安曇のパシリが阿波忌部。
そもそも阿波忌部は職業上の自称であって忌部と同族ではなく血縁的にも文化的にも無関係だぞマヌケ。 >>528
「九州殺すにゃ刃物は要らぬ。 丹と行幸あればよい」。 あぁ、こりゃこりゃ。 わははははは @阿波 >>529
安曇のパシリが阿波忌部。
そもそも阿波忌部は職業上の自称であって忌部と同族ではなく血縁的にも文化的にも無関係だぞマヌケ。 >>1
>卑弥呼がいたのは邪馬台国ではなく女王国です
なんで? 「南至邪馬壹國女王之所都」 @阿波 >>1
>倭人伝の卑弥呼に関連する記述は卑弥呼が九州北部にいたと考えなければ辻褄が合いません
その根拠は? @阿波 >>1
>邪馬台国の登場する箇所は国名が列挙される一か所だけであり、卑弥呼とはなんら関わりがありません
どうして? @阿波 >>1
>「南至投馬国」の起点は九州の不弥国ではなく朝鮮半島の帯方郡です
その根拠は? @阿波 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています