卑弥呼時代、同時に現れるのが後の前方後円墳の祖形と云われる円形周溝墓が、
備讃地域に現れて、ダンダンと東に移動し播磨の赤穂から兵庫、大阪、奈良へと
大きくなりながら奈良橿原の瀬田遺跡へと行く

全長はおよそ26メートル、墳丘の直径は約19メートルで通路用陸橋があり
のち拡大して前方部になる部分。
北部九州ではこの時期、方形周溝墓や円形墳墓で円形周溝墓はまだない。