邪馬台国は畿内だけど卑弥呼は九州説
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邪馬台国と卑弥呼を不可分のものだとする思い込みのデタラメ説の数々に騙されないようにしましょう
卑弥呼がいたのは邪馬台国ではなく女王国です
倭人伝の卑弥呼に関連する記述は卑弥呼が九州北部にいたと考えなければ辻褄が合いません
邪馬台国の登場する箇所は国名が列挙される一か所だけであり、卑弥呼とはなんら関わりがありません
「南至投馬国」の起点は九州の不弥国ではなく朝鮮半島の帯方郡です
邪馬台国にいた女王とは卑弥呼とは別の人物である可能性が高い >>87
>アタマ悪そう
いつも思うんだけど、九州説のやつはどうして一言コメントばかりなの?
二語文以上は使えないのかな?
「みかん とって/りんご ちょうだい/ジュース のむ/パン たべる ・・・など。
おおよそ、「1才6カ月〜2才6カ月頃」に出てきます。」 >>86
>居處宮室・樓觀・城柵嚴設、常有人持兵守衞。
>兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃。
常に王宮を兵士が守り、兵士は矛盾弓を持ち、鉄鏃云々とあるね。
そこだけ倭地の習俗だというのは、恣意的なおかしな解釈だよ。
畿内説はいつも魏志倭人伝を歪曲する。 お前がテイノーなんだろう
お前の家の親や先祖は何をしていたんだ、
どうせ、どこかの馬の骨か何かだろう どのスレだったかな、このような事を言ってる人がいたでしょ
「仏の顔も三度まで」
「いい加減にしろ、このクズ野郎」
「海賊ごっこは終わり」みたいな書き込み
海賊=ニセモノ、模造のような意味 誰が作ったのか、わからない、謎のチェーンソーのゲーム
「渡来人どもめ〜」と言っていたり、敵の台詞だよ >>86
この部分と
>・邪馬台国の発音に近い地名
>・戸数7万戸
この部分は
>・30近くの国々の盟主
>・宮室、楼観、城柵
>・卑弥呼の墓径百歩
>・徇葬百人
それぞれ違う国のこと >>93
違う国とまで言い張るのか。
畿内説は魏志倭人伝の曲解がひどいですね。 邪馬台国は九州、畿内、奥羽のライン。
熊本、高千穂。 合意形成型は邪馬台国。飛騨もだ。
日本とは和国。扇。着物。
広島、京都、愛知、東京。
>>89
「兵用矛、楯、木弓。木弓短下長上、竹箭或鐵鏃或骨鏃」
と
「居處宮室・樓觀・城柵嚴設、常有人持兵守衞」
は、完全に別の段落に書いてあるぞ
魏志倭人伝1990字のうち、551文字離れたところにある
前半は倭人の習俗であって、倭人はこうしているのを見た、くらいの部分
全般的な一般論
後半は、具体的な邪馬台国の卑弥呼の宮室の様子
そこの兵が、前の方と同じ武装をしていてもいいが、していなくてもいい
まあ伊都国推しの九州説の人は、伊都国王の名前はずっと
離れたところに卑弥呼と書いてあると平気で主張する人たちだから、
そういう読み方が普通だと思っている人には、そう読めるのかもね 単に畿内派・九州派って言ってる時点で頭が悪い
なにが畿内でなにが九州なのかを分けて考えない奴は永遠にガイジループを巡り続けるのだ >>100
>前半は倭人の習俗であって、倭人はこうしているのを見た、くらいの部分
>全般的な一般論
畿内説は、本当に書いてあることを捻じ曲げるのが好きだよな。
呆れるよ。 邪馬台国は倭国に含まれる
含むか含まないかの話であって
同じ国か別の国かって話じゃないだろ
なに逝ってんだよ全く… >>105
へー。じゃおまえは邪馬台国は倭国に含まれないって言いたいのかw >>106
例えば、「日本には野生のニホンカモシカがいる」と書いた書物があったとして、
大阪市内にニホンカモシカがいないから、大阪市は日本ではない、ということにはならないだろ? じゃあ、都の王宮を守る兵士は、何で武装しているんだ? >>109
>じゃあ、都の王宮を守る兵士は、何で武装しているんだ?
それについては「魏志倭人伝には特に明記はされていない」
が、文献どおりの解釈だな
居處宮室樓觀城柵嚴設「常有人持兵守衞」
武装は「兵」一文字しかないぞ >>111
>纒向だと、木の棒か何かか?
纏向では、儀式化しているようだけどな
纏向遺跡は、環濠集落の環濠が廃絶されてからの都だ
そして、大型の木の鏃も出ている
実用ではなく、儀礼用ということだろう
残念ながら、木の棒ではなかったなww それ、魏志倭人伝のように兵が厳しく守りを固めていたことになるのか?
楼閣はどうした? >>111
相変わらず、言葉が悪いな
育ちの悪い者が、余裕をなくすとすぐに地が出る
九州説の方がそういう書き込みが多いのは、理由があるのかい? >>115
>木の棒はドラクエへのオマージュなんだが。
それならひらがなで「ひのきのぼう」って書いてくれないとw >>108
当たり前だろ
>>106の記述となにも矛盾ないぞ
「日本には野生のニホンカモシカがいる」ってのは
「日本のどこにもいる/いたるところにいて、いないところは日本でない」
という意味ではない >>117
だが、
国の中に野生のニホンカモシカがいない国は、日本ではない
という対偶は真になるんだ
つまり、九州限定の倭国では、弥生時代に丹の出る山が知られていないので、
九州限定の倭国は間違いということになる >>120
>鉄鏃がない纒向は邪馬台国ではないわけだ。
倭国(阿波)で有るんだから、そんなこと、どうでもよい。 @阿波 >>129
>鉄鏃がない纒向は邪馬台国ではないわけだ。
纏向「だけ」が倭国ならな
畿内説では、西日本の広い範囲が倭国なので、その中に鉄鏃があればそれでいい
やはり、九州説は論理に弱い
そして、九州説が畿内や吉備・出雲、四国とは縁のない「九州だけの倭国」を
主張する限り「其山有丹」で、それは倭国ではないことになる >>122
>畿内説では、西日本の広い範囲が倭国なので、その中に鉄鏃があればそれでいい
>「九州だけの倭国」を主張する限り「其山有丹」で、それは倭国ではないことになる
「鉄鏃」も「其山有丹」も唯一満たすのは、「阿波」だけ。
倭国(阿波)で有るんだから、九州や畿内などそんなこと、どうでもよいこと。 @阿波 >>122
魏使は畿内に来たと思っているのかね?
どの経路で? >>122
じゃあ東京が邪馬台国でもいいわけだ
九州から関東までの領域でどこかに鉄鏃があればいいんだから
もちろん東京には奈良と同じく倭人伝に書かれてるものは何も出ないし倭人伝の描写とかけ離れており中国や九州と何の関わりもないが、九州にあればいいもんな >>125
>九州にあればいいもんな
九州は「其山有丹」に該当しない。
「鉄鏃」も「其山有丹」も唯一満たすのは、「阿波」だけ。
倭国(阿波)で有るんだから、九州や畿内などそんなこと、どうでもよいこと。 @阿波 >>125
>じゃあ東京が邪馬台国でもいいわけだ
>九州から関東までの領域でどこかに鉄鏃があればいいんだから
「鉄鏃だけ」で、邪馬台国の位置を決めようとするならば、ね
そんなのは無意味だし、どうでもいい
多くの人が集まった痕跡が明確な大規模遺跡で、次の時代に
全国のスタンダードとなる前方後円墳が完成した場所、というのは
東京にはないけれどな
本当に、九州説は論理的思考ができないから、詭弁一つまともに使えないw >>128
無いのは鉄鏃だけじゃないよな?
倭人伝に書かれてるものはだいたいないよ
次の時代ってわかってるじゃん
まきむくは卑弥呼の時代じゃなくて次の大和朝廷の時代
さらに言えば庄内期は言うほど大規模でも無いのはご愛嬌
詭弁で一つ(いや百個は使ってるか)で誤魔化してるのが畿内説 倭人伝が書かれた時点で卑弥呼の時代は終わっているので問題ない 何が問題ないのかわからないぞ。
ちゃんと言ってみろ、コミュ障。 >>122
都近くで鉄鏃が少ないなんて変
都には物資が集まってくるもんだ
非論理的な屁理屈の弁明だなw 各地から物資が集まる福岡を、「独自の文化を失い」云々としたせいで、畿内説は自己矛盾で崩壊するんだよ。 >>133
物資なんか集まってねえだろw
港町だったから舶来品はあったけど 各地の土器が集まっていた。
そして、土器だけ運んでいたわけはないので、中身の産物も福岡に集中していた。 >>135
>各地の土器が集まっていた。
違うよ
畿内の土器が良いなぁと思って、自分でも畿内様式の土器を作り始めるんだよ
それが、北部九州の中心地、奴国の比恵・那珂遺跡群
その勢力が、北部九州でも最初期の那珂八幡古墳を作る
完全に、大和纏向の協力者だよね! >>132
>都近くで鉄鏃が少ないなんて変
そう思うのは>>132が、纏向遺跡周辺に鉄鏃が「なかったと思っている」からだよ
「見つかっていない」と、「なかった」とはイコールではない >>138
纏向遺跡周辺に限らず関西では鉄鏃は出土は少ないから今後も出土する可能性は極めて低いな。 >>139
鉄鏃は倭国(阿波)でいっぱい有るんだから、纏向遺跡周辺だろうが関西だろうがそんなこと、どうでもよいこと。 @阿波 >>139
>纏向遺跡周辺に限らず関西では鉄鏃は出土は少ないから今後も出土する可能性は極めて低いな。
纏向遺跡の範囲内の、纒向石塚の北東200m近辺から、鞴羽口や鉄滓等が出土しており
鍛冶を伴う遺構であることは確実
鉄鍛冶をしていた遺跡、遺物が現に出ているのだから、畿内でも普通に鉄を使っていたのは
既に事実と認められる
鉄鏃が「出ていない」を、「なかった」とする理由もない >>141
>鉄鏃が「出ていない」を、「なかった」とする理由もない
見つけてから言え。
見つける前からあったはず、なんて誰でもどこでも言える。 >>142
数は少ないが、奈良盆地からも出ているよ
単に見つかっているのが少ないだけ つまり弱小の辺境じゃん。
奈良が邪馬台国でもいいなら、島根も徳島も、静岡や千葉さえ手を挙げるかもしれない。 >>144
鉄鏃も丹も倭国(阿波)でいっぱい有るんだから、奈良だろうが福岡だろうがそんなこと、どうでもよいこと。 @阿波 畿内派の中には「邪馬台国は畿内だが狗奴国は熊本県」ってのは昔からありふれてるが
じゃぁ、九州説の人で
「邪馬台国は九州だが狗奴国は東国(近江尾張説でも遠江駿河説でも)」
って人はいませんか? >>146
>後の時代のものねw
意味不明。 @阿波 九州説は、南の狗奴国が肥後熊本で、官の名前が菊池彦だというのが根拠の一つなので、東に読み替えたりしない。 >>151
後漢書なら読み替えなくても東ってことになってるからいいじゃん >>150
宮谷古墳からは三角縁神獣鏡が出土してるから4世紀以降の古墳だな。 >>149
>3世紀の阿波の鉄鏃なんてないだろ。
3世紀の筑紫の集落遺跡出土の鉄鏃なんてないだろ。 @阿波 >>156
>年代が違うでしょ。
年代がどう違うの? 弥生時代は3世紀じゃないの? @阿波
矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落
H6 鉄鏃
弥生時代になると、大陸から鉄器が持ち込まれ、弥生時代の中ごろには、日本でも作られるようになりました。この鉄鏃は弥生時代の
終わりごろのものです。大きいもので長さが約10cm、幅が約3cmあります。おそらく戦いの武器として使われたのでしょう。
V.樋口遺跡発掘調査概要
樋口遺跡は弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡であり,眉山南側の数
少ない集落遺跡として注目される遺跡である。
3.出土遺物
今回の調査で出土した遺物としては,古式土師器0土師器・須恵器・瓦器,青磁,管状
上錘,鉄鏃・鉄刀等の鉄製品とともに石棒・磨製石斧等の石製品などがあげられる。 >>149
>3世紀の阿波の鉄鏃なんてないだろ。
ところで、3世紀の筑紫の集落遺跡出土の鉄鏃なんてないだろ。 @阿波 >>159
そう。
だから「邪馬台国は九州で、かつ狗奴国は東国だ」という説は成立しうる
そもそも「邪馬台国は畿内で、かつ狗奴国は熊本県」という説があるんだから
「邪馬台国は九州で、かつ狗奴国は東国だ」という説だって当然ありうるだろ >>160
>「邪馬台国は九州で、かつ狗奴国は東国だ」という説は成立しうる
その場合、畿内はどうなってるの? いや、邪馬台国が九州でも、
そこにいる卑弥呼が君臨する倭国の範囲は畿内まで包括しているって説もあるじゃん
だったら狗奴国の勢力は東国だけで畿内に及んでないことはありうる 瀬戸内海までが邪馬台国で、纒向が狗奴国でもいいよね。 いや待て待て、
狗奴国が熊本県でも、邪馬台国が鹿児島県って説もあるんだよなぁ
とするとだ、邪馬台国は伊豆説、甲州説、房総説などがあるんだから
狗奴国が東海道でも、さらにその東に邪馬台国があったって設定もできるなw なんでもありだと思うのは自分が支持してない説だからだろうがw
どんな珍説奇説でもマジメに主張してるやつにとっては失礼な言い方だぞw 一つの説を主張するのならまだしも、あれもこれもありだ、みたいなのは、説を主張していることにならない。 あほか
いろんな説がありうるって説明をしてるんであって
同一人物が複数説を主張してるって話じゃねぇよw >>168
いや待て待て、
女王国と邪馬台国は別の土地なのだし
狗奴国は西は熊本県から東は遠江・駿河まで広がる大国だったんだよ
とするとだ、女王国は鹿児島県で、邪馬台国は東国(伊豆・甲斐)になる >>173
いやいや、女王国という言葉の指す範囲にブレがあるんだよ
自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國 と
自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳 の部分の女王国は
女王の都するところの国=邪馬台国でないと、意味が通らない
一方で世有王皆統屬女王國や、自郡至女王國萬二千餘里は、
卑弥呼を共立した範囲≒倭国と読んだ方が分かりやすい >>174
世有王皆統屬女王國
邪馬台国に属しているで何か問題があるか?
自郡至女王國萬二千餘里
対馬・壱岐・末盧・伊都・奴は倭国の一員であることは間違いないが萬二千餘里に到達していない
これも邪馬台国が正しい >>174
「自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國」は漢文の一つの文章として見ると不自然だ
元になる史料から文章を複数つぎはいでめちゃくちゃになっているのではないか
「自女王國以北特置一大率檢察諸國」「諸國畏憚之」「之常治伊都國」という3つの文章なら漢文として自然に読めるが
続けて重複部分を一つにして読むなんてのは明らかに変だ
「自女王國以北特置一大率檢察諸國」と「常治伊都國」とは本来は別々の事を指していると解釈するべきだ >>174-175
・自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國
・自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳
・世有王皆統屬女王國
・自郡至女王國萬二千餘里
の部分の女王国は
邪馬台国だとしてもなんの問題もないかわりに、
「邪馬台国ではない別の女王国」だとしてもやはりなんの問題もないよ
まぁこの場合の女王国ってのは奴国のことなんだけどね >>177
>「邪馬台国ではない別の女王国」だとしてもやはりなんの問題もないよ
問題ないかどうかではなく、妥当かどうかだろ。
邪馬台国が房州だとしてもなんの問題もないよ
卑弥呼が神功皇后だとしてもなんの問題もないよ
それらと大差のない、意味のない言葉だ。
詐欺師の論法。 「自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史」
この文章の前後の文章は全て女王国か女王卑弥呼に付いての説明文であり、主語が書かれていなくとも主語は女王国か女王卑弥呼だと読み手には分かるようになっている。
それ以外の主語の場合は「諸國畏憚之」のように主語が明記されている。
「一大率常治伊都國」と主語が明記されていないので「常治伊都國」の主語も女王卑弥呼である。
なので「女王卑弥呼が伊都国で常に治めている」との意味になる。
では何を治めているのか?
女王卑弥呼が治めているのは自女王國以北の諸国である。
「常治伊都國」は「(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い自女王國以北の諸国を)常に治めていた」の意味であり 主語の女王卑弥呼と()内が省略されている。
治の類似の用法は漢書西域伝に見られる。
「大宛国 王治貴山城 去長安 万二千五百五十里…」
大宛国について、王は貴山城に治す、と王の所在を明らかにしている。
では「自女王國以北」とはどこか。
以北はその出発地を含む。出発地は「自女王國」とある。
つまり、女王国とその北にある国々を、そこに置いた一大率で支配したのである。
要するに女王国と伊都国は念を押して言い換えただけであり、一大率は伊都国にあり、伊都国が女王国、女王の都するところ、邪馬台国であるということである。
「於國中有如刺史」・・・刺史は各地の行政機関内に常駐している監察官
「女王国(を含めたそこ)から北の諸国には、(女王卑弥呼が)特別に一大率を配置して検察させており、諸国は(一大率を)畏れ憚っている。
(女王卑弥呼が)伊都国で(一大率を使い女王国から北の諸国を)常に治めていた。
これは魏で皇帝が刺史を州に派遣し検察させて洛陽で治めているのと同じようだ」の意味となる。
女王国が伊都より東にあったら、文章の意味が通らない。
畿内説では、一大率が支配していたのは奈良(女王国)およびその北である京都や丹波になってしまう。
女王国以北はおよそ里程や概要を記すことができるとされているが、里程が記載されているのは対馬海峡と福岡県内の国だけだからである。
すなわち女王国以北(女王国を含む)は伊都から北であり、女王国(邪馬台国)が伊都国であることを示している。 >>178
妥当かどうかの話はしてない。問題ないのは事実じゃん
空気嫁よ、長文うざいw >>178
>邪馬台国が房州だとしてもなんの問題もないよ
>卑弥呼が神功皇后だとしてもなんの問題もないよ
そうだよ、問題ないよ。なにを逝ってんだ?
長々と見当ちがいの駄文貼りやがってw >>176
いろいろ書いているが、
「自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之常治伊都國」は
「自女王國以北特置一大率檢察諸國諸國畏憚之常治伊都國」というテキストもあって、
その方が読みやすい
諸國を補えば、普通に読めるだろ
女王国以北に一大率を置く
(一大率は)諸国を検察し、諸国はこれを畏憚す
(一大率は)常に伊都国に治す
まったく問題ないが? >>184
それだと一大率は女王国以北と伊都国に居たことになり意味不明の訳となる
「常に伊都国に治す」は一大率ではなく女王卑弥呼のことで
女王卑弥呼が伊都国で常に治すでしょ
女王卑弥呼は一大率を女王国以北に置いて諸国を治めていた。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています