>>883
>応神天皇が定かではないというのなら雄略天皇あたりから上る感じかな?

雄略天皇の頃からなら、かなり信用できる
一番確実なのは、継体17年が西暦523年というラインだけどね
雄略没年(雄略23年)の己未を479年とするのは、大体コンセンサスがある

ただ、そこから遡っていくときに、春秋年を認めるかどうかで大きな差が出てきて、
春秋年を認めない倉西裕子氏の推定では、応神の即位年は388年になるが、
春秋年を採る高城修三氏の推定だと、応神の即位年が368年になっている

どちらも、紀年の引き伸ばしはあるが、伝承を元に一定のルールに従って
紀年の引き伸ばしをしているという作業仮説を立てて、そのルールを
探ることで、本来の伝承の紀年を復元できるとしている
だが、それでも応神即位年で20年、ほぼ一世代分の差がついている

倉西裕子氏の方は、神功皇后の干支が二運、120年ずらされているというのを
前提にしているので、ある意味機械的に計算している

高城修三氏の方は、古事記と日本書紀の紀年引き伸ばしのルールが異なることを
根拠に、二つを比較することで逆算していて、個人的にはこちらの方が「多少」
信頼度が高く感じる

倉西裕子氏は、神功皇后の没年=応神天皇の即位年までしか計算していない
高城修三氏の推定では、崇神天皇の没年が290年となっていて、日本書紀の
崇神天皇の在位が68年間、高城氏の推定は春秋年を前提としているので、
実年(太陽年)での在位期間は34年となる
290−34で、崇神天皇の即位年は256年頃となる

これを、卑弥呼の没年248年より遅いと考えるか、届いていると考えるかは
まあ、個人の考えで構わないと思う