>>893
うん、いい感じです。 一海の 一 はなぜ? 
のときの疑問が、渡ー度 の前例、用法によって、文学的美意識だけではない
前例の有る一海と言える、特定の海になり得るってことですね。

漢四郡時代的には、対馬=倭国方向、に渡る海は、その一海しかない。
一大国というのも、表意文字ですが、同様の倭国側の一大島 という気がします。
まあ、縄文でも隠岐から日本海交易有るわけですが?

表意文字である、漢字の使用目的を読み、一字一句、ないがしろにしない
という姿勢の論調は、たいてい尊重できる。

でも、なぜ結論がミスリードを誘う方向性なのかが不思議なのです。
日本海ルート先生もコテハンからそっちで、何度かご教示いただいていますが

本スレにあった、周旋可五千餘里 の 周旋の用法とか
忘れたスマソだけど、何とか先生論で、至ー到、東ー東行、の用法
で、里程から行程に変わる、不彌国以降に段落あり、まで読めて
結論を濁し粉飾てしまう論、というのは、ちょっと理解しがたい。

漢籍読めてると新井白石と本居宣長の九州で終ってると思うんだけど、
昭和系邪馬台国論争は、何のために、どこに行きたいんだろうか?

歴史の場合、職業的学問の目的は粉飾なのかな? ←これはひどい
↓ 中学生には無理、禁止w