沖縄の皆さん、座り込みキチガイや偽沖縄県民に騙されず、本当の歴史を知りましょう!

琉球とは隋の時代に台湾島を指す「流求」であり、唐代の後半に琉球と変字された(王偏を加えたのは朝貢国の印)。
造船技術と航海技術が大発展した宋の時代に琉球(台湾島)の右に小さい島があることが確認され、台湾島を大琉球、沖縄本島を小琉球と記述するようになった。

モンゴル帝国の時代の1268年に台湾島は統治権を奪われて帝国の一部になり、明の時代1396年から琉球は朝貢国として「琉球國」と名称を改めさせられた。

また「琉球王国」という名称は歴史上で使用されたことはなく、列島との分離政策としてGHQが創作した名称であり、もっぱら観光用のニックネーム、もしくは政治的意図を持った者たちによるプロパガンダによって広く知れ渡った。

一方、沖縄という呼称は唐の時代753年に鑑真が「ここは何と言う島か?」と島民に尋ね聞いた音を唐文字として残したのが阿児奈波(あこなは)であった。
つまり島民たちは1,265年以上前から沖縄島を沖縄と呼び、明・清・米に対して外交的に琉球国(ルーチュークク)が使用されていたという事にほかならない。

1531年から約1世紀かけて首里王府によって編纂された「おもろさうし」
琉球侵攻が本格化する以前から平仮名で書かれ、「思いの草紙」つまり想いの物語という題名が付けられている。
十四巻には源為朝が運天港に辿り着き、初代琉球国王の舜天であると書かれている。

これは尚質王の勅命により編纂された正史「中山世鑑」にも記載がある。

また薩摩藩の侵攻前に袋中良定という僧によって書かれた「琉球神道記」にも琉球人は古の日本人の風習や言葉を置く残していると明記されている。

最後に、沖縄県民は列島本土人との共通点が多いことが最新の核DNA調査によって明らかにされている。
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