>>60
>>61の薩摩の野郎については、民俗学者の千葉徳爾氏は薩摩の下郎たる野郎について、
「日葡辞書」から引用し、
{ 薩摩の兵士の中にいる、ある種の人びと(薩摩島津家の被官で無足人、すなわち
一定の給地を与えられていない武士階級。島津氏はこれを使用して琉球を征服した。)
薩摩はこの種の部隊を大友領に送り込んで要地を守らせており、妻子同伴で
戦闘従事したもののようにも思われる。
これらから帰納される「野郎」というものの存在は、以下のように要約されるで
あろう。
(1)九州の一部に存在した武力を有する一階層である。
(2)一般の日常倫理に従わず、必要な場合は夜討強盗行為をも敢えてする。
(3)家族をもち集団生活を営む。
(4)特に髪型に特色ある形状をもち、それによって一般住民との識別を示した。}
まあ、土地に労働投資する一般農民と違う、移動性の強い焼き畑と狩猟を業として、
非正規の戦闘請け負いと捕虜男女の人身売買で富を得る集団じゃったが、江戸期の
藩政浪人囲い込み時代と成ると、被差別民じゃ無うて薩摩の屯田兵たる芋郷士に
成った者が多かったろう。