>>78
策謀の汚い戦さするんは九州兵で、薩摩の釣り野伏せりオカマ戦法みとうに、
正面激突じゃ薩摩ら九州兵は弱わあし、大友が大内輝広のケツ掻いて、占領進駐の
毛利勢を山口へ引き戻させたり、殿で大友勢蹴散らし占領した立花城に籠城した
浦宗勝さんを、立花城明け渡しの帰路に立花道雪らは姑息にも暗殺を企てたり、
幕末戊辰の薩摩の薩摩奸にしても、やることが汚れで卑しい謀略ばっかしで、
「中国者の律儀」の常に正面から正攻法で戦う地域からすりゃあ、九州は糞外道で
「戦場の礼」すら無ぁ連中なんよ。
明・朝鮮との大規模な「碧蹄館の戦い」から近代の大規模な戦闘で常に最も
犠牲の大きい正面で食い止めたり、正面攻撃で敵さんを壊滅させたんは
広島勢じゃけぇのう。戦闘の基本単位は10名程度の分隊じゃけぇ、小規模な分隊が
機能せんと、40名からの小隊も200名単位の中隊もわやんなるんよ。
つまり小規模な戦闘が出来んもんは大規模な戦闘にゃ対応でけんので。
世界的に平地の狭い山岳兵が強いんも、小規模に孤立、分散の攻防戦に
馴れとるせえじゃし、平地の広い野戦中心地域じゃと、集団心理頼りで、前線将兵
一人一人の自己判断能力が鈍るけぇのう。山地の小規模の陣地じゃ、それぞれ孤立して
攻められるわけじゃけぇ、指揮官の命令を待たず、小規模の独断戦闘せにゃあ、
守れんし、戦闘馴れした足軽一人の判断が勝負を左右することんなるわけで、
個々の将兵の戦闘の経験判断力が促されるわけじゃし。
そもそも、毛利勢も契約国人領主や国衆、足軽らが、毛利元就の神輿とか関係のう、
それぞれが独断戦闘を勝手に始めるわけじゃし、近代戦でも広島の部隊は同様よのう。
陸上の戦さはそういうもんじゃし。高級指揮官の殿さんら戦さもろくに知らん
神輿に過ぎんのよ。