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なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか10
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0001日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/15(日) 04:33:02.13
毛利や浅野など中国地方の人物史スレだった経緯を持つ長寿スレです。

過去スレ
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか9
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1514287755/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか8
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1505857271/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか7
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1497526040/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか6
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1486644475/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか5
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1461905692/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか4
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1456487369/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか3
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1452874462/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか2
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1415790750/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1402656424/
0199白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2018/05/07(月) 00:32:04.43
>>194
幹候でも、地元広島ん将校がほとんどで、陸士出は、たまに他地域の神輿隊長担ぐ
けぇ、広島人の戦闘のやりかたを知らんで意思疎通出来ず悲劇にも成るし。
広島39Dでも、広島231聯隊の第二中隊で、「小川少尉(福岡県・陸士)は、この戦地に
来て 三ヶ月 ほど。年も若く兵隊の気心もまだ十分につかめてなかった。
 頭から射ちおろす敵陣と交戦数秒。じれた少尉は、敵の銃声が一時とだえた時に、
軍刀を引き抜き、"突っ込め"と走り出したが、誰もついて行かなかった。」
後にこの件は、桐野少佐が、十五年初年兵に「広島の者は手を挙げろ。」全員
広島出身だ。
「お前らの先輩はなっとらん。指揮官一人敵陣に突っ込ませておいて、誰もついて
行きはしなかった。」と、とんだ歓迎の辞であったが、
広島藤部隊「第一中隊記」じゃ小川少尉の戦死に、「その戦記を読まれる多くの
広島出身の戦争体験者は自らきまった解答を出されるのでないかと思う。広島人を
愛するが故に敢えて 一文を付け加える次第である。そして小川少尉の冥福を謹んで
お祈りする。」と。
ちなみに、第二中隊は宜昌防禦戦の武勲で感状を授与された部隊じゃ。無謀な
武将気分の 酔うた指揮官と心中しとったら後の武勲も無かったけぇのう。
0200白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2018/05/07(月) 00:42:58.77
>>194
逆に広島県地元将校は、突撃する時も戦闘状況からやる勝つ為の戦闘やるよ。
「松本治雄氏(広島県呉市)は、突撃隊長とあだ名されるほど、戦場で常に先頭に
立ち、愛刀を振りかざして、真一文字に敵陣に突入し、不敵にもカラカラと哄笑する
豪胆な隊長であった。」
『      感状
           歩兵第二百三十一聯隊第十一中隊第一小隊
 右は小隊は歩兵少尉松本治雄指揮の下に、宜昌作戦に従がひ 各地に転戦し偉功を
奏す 特に五月十六日 師団の大洪山脈内第三十三軍集団軍主力に対する掃討戦に
方りては 長山南方山腹を急進し 集団軍総部に遭遇するや 機を失せず之を
包囲殲滅して 総司令張自忠以下其の首脳を殲滅し且多数の重要書類を鹵獲して 
爾後の作戦指導に寄与したる所甚大なり 又 五月十九日 白河の敵前渡河に際し 
小隊長は将校斥候として徒渉場偵察の任務を受くるや 周到なる準備を整え 
兵二名を率い夜暗を利用して 敢然 水中に身を投じ 河中を詳密に偵察し 
敵弾雨飛の下 毅然として任務を遂行し 遂に好箇の従渉場を発見報告せり
次で小隊は 渡河部隊の先陣として 諸隊を誘導し 猛火を冒して 
勇躍断崖を攀登して敵陣に突入し 奮戦力闘以て部隊の主力の渡河及
爾後の戦闘進展を 有利ならしめたり 
 之を要するに 小隊長の旺盛なる責任観念 犠牲的精神及適切なる指揮は
 部下小隊の奮戦と相俟て 作戦竝に戦闘に貢献したる所偉大にして 其の
武功抜群なり 仍て茲に感状を授与す
  昭和十五年十月二十日 第十一軍司令官
               陸軍中将 園部 和一郎』
0201白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
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2018/05/07(月) 01:00:59.56
>>194
>>199の広島の兵士らが指揮官の無謀な突撃に付き合わんか云うたら、無能な指揮官
たぁ、戦闘も味噌汁の数も知っとるけぇのう。関東地方兵団でも伊藤桂一氏が、
「一人の小隊長は、彼我交戦中、突撃をかけて飛び出したが、兵隊は命令を聞かず
一人も出なかった。 小隊長は敵の弾雨にさらされ身動きできず、部下を怒鳴ったが
誰も救出しない。遂に哀願した。 すると古参兵が張り切って救出した。
古参の兵隊はあきらかに不利と分っている戦闘には出ないし、指揮の拙劣な
小隊長は弾雨下で教育されたのである。小隊長は、熟練分隊長の指示通りに
命令を出せば 間違いなく戦闘ができたのである。熟練した敵を相手にするには、
熟練者に主導権を渡すよりほかなかったのである。これは必死な兵隊の防衛本能で
あった。また、それが戦場行動の原則でもあった。」
と、下士官や古参兵の熟練度が戦闘を左右するし、指揮官は神輿に担いどるだけ
じゃし。 近畿の丹波篠山聯隊でも、
{歴戦の勇士で弾道が判るのだろう、二人共悠然として前方の敵情を観察していた。
弾道の音で敵の遠近、 弾道の高低が判ると、屯営の演習で兵を叱咤していたことが、
溝口中尉には今更のように恥ずかしくてならなかった。
「隊長、敵弾はこの方面、左前方から射って来ます。自分がまず小高い丘まで
駆けますから、隊長は自分の後ろから駆けて下さい」
敵弾は左側方から射たれていること、比較的弾道が高いので、間隔をとって全力疾走
すれば大丈夫だと、清水軍曹が溝口中尉に手をとるように教えて早駆けに移った。}
弾道の方角や高低を判るように成るにゃ実戦経験豊富じゃなぁと無理じゃし
演習訓練じゃ駄目なんよ。 ほいじゃが、屯営の演習訓練で兵を叱咤した下級指揮官の
中尉も緒戦の実戦じゃ木偶の坊のデコ人形ゆえ、歴戦の下士官古参兵が実際は
指揮主導権執る場合が多いいけぇのう。
0202白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2018/05/07(月) 01:34:50.81
>>194
じゃけぇ、>>199の小川少尉も担がれたデコ人形の神輿に徹して、「よきに、はからえ」
なら戦闘上手の広島の下士官や兵が、こさえてくれたもんを、無下に自己無謀突撃に
兵を従わそうとしても、兵、下士官は、指揮官の私物じゃ無ぁんじゃし、>>200
松本少尉ほどの、戦闘感や武人気質でも無ぁ、出世踏み台の気分で神輿の勝手放題
れたら、たまったもんじゃ無ぁけえ、勝手に突撃しんさい。わしらぁ付き合わんしか
無ぁわいのう。日本軍は欧米軍と違うて、戦闘主導権は下士官や兵が基本的に
判断するし、その邪魔せん神輿が名将への道なんじゃし。特に無能な日本のエリート
高級指揮官は、自国の神輿担ぎの日本文化を理解せず、拙劣作戦指導で、
歴戦の前線将兵に負担と迷惑をかける。
日本はアングロサクソン国のような上層が「知性は汚らわしい」とする野蛮人と違い、
無能で精神も肉体も貧弱なIQ知能指数秀才が戦闘作戦指導するんじゃけぇ
指揮官レベルで負け組確実で、無能なエリートを現場戦闘下士官、兵で、尻拭き、
互角の戦闘状況にするんも、日本の社会構造の構図でもあるけぇのう。
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