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なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか10
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0001日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/15(日) 04:33:02.13
毛利や浅野など中国地方の人物史スレだった経緯を持つ長寿スレです。

過去スレ
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか9
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1514287755/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか8
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1505857271/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか7
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1497526040/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか6
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1486644475/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか5
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1461905692/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか4
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1456487369/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか3
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1452874462/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか2
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1415790750/
なぜ広島は優秀な人材の宝庫なのか
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1402656424/
0032日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/17(火) 16:11:58.63
お別れの会に3000人…野中広務とは何者だったのか 自民ハト派の盛衰と政治家の情・非情
https://www.fnn.jp/posts/00297170HDK

自民党ハト派の衰退の遠因に野中氏自身の行動も

こうした中国外交や憲法9条堅持の姿勢に象徴されるように、野中氏は、自民党ハト派の重鎮であり、
古賀誠元幹事長はこの日、「日本の政界最大のリベラル派。本当に大事な政治家だった」と評した。
そして、出席した多くの政治家が、野中氏のような政治家が今の自民党にいないことを嘆いて見せた。

かつての自民党は、安倍首相の祖父岸信介元首相の系譜に連なる、憲法改正や防衛力強化に積極的なタカ派的勢力と、
田中角栄元首相や大平正芳元首相ら軽武装で経済・アジア外交重視のハト派的勢力のバランスで政権を運営してきた。

しかし、小泉首相の登場、野中氏の引退、そして二度にわたる安倍政権などを通じ、ハト派勢力は凋落し、タカ派カラーの政権が続いている。
もっとも、それを導いた要因は、2つの意味で野中氏らの政治に起因している面もある。

1つは、野中氏はじめハト派勢力が、外交において、中国、韓国、北朝鮮に融和的に接する中で、逆につけ入られていた面も否めず、
内政的にも、分配型・調整型の、悪く言えばなれ合いの政治が世論の離反を招き、対外的に強い政治を望む国民が増えたことだろう。

もう1点は、当時リベラル派のプリンスであり、野中氏が将来首相に据えようとしていた加藤紘一元幹事長を、
野中氏自身の手で失脚に追い込んでしまったことだ。
橋本内閣では野中氏と協力関係にありながら、小渕内閣の経済政策に批判的だった加藤氏を野中氏が厳しく批判し、
加藤氏も野中氏らの影響力のもとで政権を握ることを望まなかった。

野中氏は当時、加藤氏のことを語る際、本当に苦々しそうで愛憎半ばと感じさせたが、加藤の乱の際の対応は、苛烈なものだった。
もし、野中氏と加藤氏が離反せず協力関係を維持していたら、
そして加藤派が分裂することがなかったらその後の政治の光景はかなり違ったものになっていたことは想像に難くない。
0033日本@名無史さん
垢版 |
2018/04/17(火) 16:29:17.33
山崎拓氏 YKK対応割れた「加藤の乱」 運命の糸に操られた
http://mainichi.jp/articles/20160923/mog/00m/010/001000d?inb=ra

「(加藤氏が)なぜ首相になれなかったのか不思議だね。若手の時からいずれ首相になると思われた加藤さんだからね。
あれだけ優秀な政治家は珍しいので、我々みんな、いずれは首相になる人だと思っていたんだがね、今思い返してみて不思議だなと」
(加藤氏の葬儀が営まれた9月15日、東京・青山葬儀所で、小泉純一郎元首相の話)

「いわゆる加藤の乱については『あれは一度も止めなかった僕が悪かった。すまん』という他ありません」(加藤氏に対する山崎氏の弔辞)

本会議場に行っていれば政治史は確実に変わった

 あれは、あくまで加藤さんとの友情を全うするために付き合ったわけです。
派閥の同志は「一緒に討ち死にする」と言ってくれましたが、そうもいかん。
加藤さんと一緒に2度、国会議事堂に向かったが、彼が弱気になって「やっぱり戻ろう」と。
3度目は加藤さんが独りで向かったが、すぐに戻ってきたわけです。
一方の小泉さんは、森派会長として、ドライに「乱」を潰した。我々を踏み台にして、首相に上り詰めるきっかけをつかんだ。
もしも、はないですが、あの時、本会議場に行っていれば、政治史は確実に変わっていたはずです。
しかし、これは運命の糸で操られたものであって、そうなるしかなかったんじゃないかと思いますけどもね、ええ。
みんなそれぞれ政治家としてやりがい、生きがいはあったと思うが、加藤さんだけは不本意な点があったと思いますね。
「政界のプリンス」と言われましたからね、キングになることはできずに、やや失意の晩年であったと思います。だけども、これも運命ですね。
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