>>402
その質問は偏差値80超の最難関の質問だわw

俺の知識の及ぶ範囲で答える。

古代朝鮮文化は朝鮮無文土器時代まではほとんど全て遼東あたりの文化の影響で
成立している。

そこに三足土器はないし、中国土器文化の影響はほとんど見られない。

武帝の朝鮮侵攻で漢四郡が置かれ、楽浪瓦質土器に始まる楽浪土器時代が始まるが、
そこにも三足土器はない。

BC2C末は中原ではまだバリバリに三足土器や青銅鼎が使われていたのにだ。

楽浪郡遺跡からは中原から搬入したと思しき青銅鼎の出土は数点あるが、楽浪郡で
生産まではしていない。

これらの事実を俺が判断するに、武帝の朝鮮侵攻で実際に朝鮮入りしたのは、
楽浪土器から判断するに、中原の部隊ではなく、遼東あたりの中原の文化が希薄な、
名のみの漢人というか、俄か漢人ともいうべき集団だったのではないかと見ている。

鬲は紅山文化圏内の遼西までは見られるが、遼東まで及ぶ事はなかった。

その後、鬲は遼西から北上して紀元前1000年代に満州あたりまで広がった。

その一部が宝器として沿海州まで運ばれ、その一部がさらに海を越え、青森の
鬲型土器となるのである。