自分が編纂されてない一番の資料だと思っている
万葉集に
鞍作村主益人の歌があります
この歌は鞍作村主益人(くらつくりのすぐりますひと)が豊前国(とよのみちのくちのくに)から奈良の京に上(のぼ)りし時に詠んだ一首。
「鞍作村主益人」については詳しいことはわかっていませんが、かつての飛鳥時代の渡来系仏師として有名な「鞍作止利(くらつくりのとり)」と同じ一族の人物かと思われます。
「村主(すぐり)」は渡来人への贈姓。
「豊前国(とよのみちのくちのくに)」は現在の福岡県東部と大分県北西部の地。

この歌はそんな鞍作益人が豊前国から奈良の京に上がってくるときに詠んだ一首ですが、「梓の弓を引き響(とよ)もす豊国の鏡山を、見ることなく久しく過ごしたならばどんなに恋しく思うことだろう。」と、豊国の鏡山との別れを惜しんだ歌となっています。

この時代、慣れ親しんだ土地から旅立って行く者はこのような旅立ちの儀礼歌を詠んでからその地を後にしました。
いわゆる土地の神へ奉げた別れの歌といったところでしょうか。
同時に、いままで豊国で無事に過ごせたことへの感謝の言霊の歌でもあったのでしょうね。 

以上のように豊前国とありますね。
また鞍作とは仏師とも思われ仏教伝来で
田川やみやこ郡の「一部の人達」はふるさとを
追われる身となったのでは?
豪族や権力者は四国へ流され
職人や技術者や宮司は関西地方へ流された
住民をバラバラにして倭国を解体させた

阿波さんこの推理は、どうでしょうか?