>>127
>(陳寿の三国志を評価した後代の人)命じた皇帝は司馬氏、裴松之は東晋の役人<

後代の人である事には違いがない。 そして、この男(ww)は、私が「晋書の筆者」を挙げた事をこっそり隠している詐欺師。

>清朝の考証学者である趙翼なども、晋書はデマや誤報、、くだらないゴシップを信じ過ぎると低い評価を行なっている。<

唐代の晋書の陳寿伝は、司馬氏とは何の関係もなく、「デマや誤報、くだらないゴシップ」ばかりである筈がない。 この・・・・男の、「紹介や評価」の紹介の方が、信頼性が全くない。

>>邪馬臺國という狭い地域名の地(久留米付近)に変わっていた。<

>作り話はいらない<

七支刀の「こうやの宮」の存在や、高良大社の磐井伝承や、久留米付近の古墳や、横穴式石室や、装飾古墳などが根拠。 楽浪滅亡の半島情勢も傍証。

>>邪馬壹國が古文古型であった。<

>紹煕本は12世紀末の版本 <

底本になったのは、写本。

>>版本での錯誤の有無は、底本写本を介して、写本での錯誤の有無になる。<

>版本は12世紀以降なのでならない<

系統の違う版本の底本写本群は、当然12世紀以前のもの。

>>後漢書の邪馬臺國は、魏志の邪馬壹國と、対象が違うから、関係がない。<

>仮説を根拠にするのは循環論法になるから不可<

史料事実の差異を根拠にしているから、循環論法にならない。