>>414
>李賢は郭務悰の報告がなければ、
後漢書注に「今名邪摩惟」だ、という断定を書けない<

>邪摩惟と書かれた郭務悰の報告というのは存在しない作り話
存在しないエビ養殖の投資詐欺などと同じ<

李賢が、隋書に「邪靡堆」にも拘わらず、
後漢書注に「今名邪摩惟」だ、という断定を書けるのは、
倭國から戻ったばかりの郭務悰らの報告を見た、という事しかない。

>>「邪摩惟」は、唐の李賢が「今名」として知り得た呼称だよ。<

>李賢が存在しない郭務悰の報告で知り得たと決めつけてしまっている<

勿論、可能性が極めて高い推定。