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邪馬台国畿内説 Part346
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垢版 |
2018/05/09(水) 12:24:19.25
 邪馬台国論の鉄板、畿内説のスレです。
【骨 子】
・3世紀中葉には、古墳時代が開始していた。
・出現期古墳段階で、近畿中央部を中心に列島規模の政治連合が形成され始めていた。
・北部九州博多湾岸地域は、既にこの政治連合の傘下にあった。
ゆえに、倭女王卑弥呼の都があったのは畿内である。

 邪馬台国論争ももう畿内で決着なのでロマンはありませんが
 勝者の貫録を見せつつ、更なる真実を探求しましょう。

前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1525372527/


◆0【 要 旨 】  ( >>2-12に各論、それ以下にFAQを付す )
 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。

 これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。

 2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。
 換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。

 倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。
 博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。
 絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
 それは桜井市纒向以外にありえない。
0463日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 19:08:57.73
実際は家の話のような気がするんだけど、
キュウリの葉、葱の華・・・など、
白い制服のようなものを着ている子供
0464日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 19:28:13.96
合致している

電気、発電が何やらという話、インドラ?
0465日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 19:36:15.06
wiki『天王』

・すさのお(謎の刀の話)
・牛頭(何者にもなれない お前たち。それと、おうし座?)
・転輪聖王(読んでみると、わかるインドラ)

0466日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 19:42:29.71
>>462
水銀朱とベンガラは一緒に使われるってことですね
ベンガラも丹なんですねw
0467日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 19:43:22.72
それにしても、家の老婆なんだよ、
そのような本なども持っていないのに、
なぜ詳しかったのか

むかーし住んでいた家には、
本や書なんかが沢山あったと言っていたり
0468日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 19:46:17.92
>>422
>鮮やかな赤の水銀朱と漆を混ぜて上塗りされる

漆と混ぜたら色が濁るだろ
上塗りするなら水銀朱だけじゃないの?
漆は下塗りでは???
0469日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 19:49:01.76
妹:5月15日生まれ・・・おうし座(金牛宮)


偶然にしては、おかしい
0470日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 19:53:59.94
オリオン(オライオン)
メタリカが何やらと言っている人がいたり
0472日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 19:58:45.84
いま(現在)の話ではないんだけど、
蚕を飼い、機織り・・・をしていたことがあったんだよと言っていたりw

星座関係の話
0473日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 20:02:16.85
>>472
「阿波の神様 大宜都比売」

大宜都比売(大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)は、日本神話に登場する女神。
名前の「オオ」は「多」の意味、「ゲ」は「ケ」の食物の意味で、穀物・食物・蚕の女神である。
『古事記』においては、「大宜都比売」は国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の「阿波国の名前」として初めて表れる。
阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。  @阿波
0474日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 20:07:05.39
この「阿波の神様 大宜都比売」のような話は畿内や九州にはないんだよね。  @阿波
0475日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 20:08:28.05
『松傾』?

馬に乗り、謎の刀・・・の話。
0476日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 20:13:20.18
>>468

顔料は漆と混ぜないと塗れないよ
赤漆は縄文時代から土器や櫛が見つかっている
0477日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 20:15:57.70
>>466
丹ではない
代用品
0479日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 20:23:09.60
赤漆 セキシツ .
デジタル大辞泉の解説
せき‐しつ【赤漆】
漆工芸で、木地を蘇芳(すおう)で染めてから透明な漆を塗る技法。また、その漆器。後世の春慶塗と同系統の技法で、木目の美しさをみせるもの。奈良・平安時代に流行した。
0483日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 21:11:55.05
>>479
漆工芸の製法ですね
建物に塗る場合の話なんですけど
金箔を貼るのには下地に漆を塗ってから貼るけど
丹塗では膠水(にかわすい)を使うみたいだよ。
0484日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 21:13:18.43
>>477
代用品ではないよ
水銀朱、鉛丹、ベンガラの丹塗があるよ。
0485日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 21:43:30.03
>>484
水銀朱が丹波。
鉛丹は色の違うまったくの別物。
ベンガラは丹の代用品。
0486日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 22:22:23.88
丹とは元々は赤土のことを指していたが
赤土が赤の顔料に用いられたことから赤い顔料を丹と呼ぶようになり赤が丹色となり
赤い水銀朱や鉛丹、べンガラも丹と呼ばれるようになったんだよ
水銀朱=丹なんて主張は変ですよ。
0487日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 22:29:06.46
3世紀の魏志倭人伝の書かれた時代の丹の意味は赤土、赤の顔料で
それが後漢書の書かれた5世紀には赤土の意味が薄れて赤い顔料の意味が強くなったんで
後漢書では丹が赤土であることを示す為に「所其山有丹土」と土を付けたんだよ。
0488日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 22:29:39.79
>>486
それ、証拠でもあるの?
0489日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 22:30:46.02
>>488
丹の漢字に付いて調べたら分かるよ。
0490日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 22:32:58.95
甲骨文字では丹の形が井戸の井と似た形をしていて井戸を掘って赤土を採取するところから来ているんだよ。
0491日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 22:35:16.36
>>412
世間の人は、「南→東」などの史料事実を否定曲解する嘘つき騙しの、
信頼性が全くない大和説者や大和説学者らに、
余計な説明されても迷惑でしょう。
0492日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 22:37:10.36
丹という漢字は丹砂の鉱石を採掘する井戸の象形
辰砂は鉱石鉱物、ベンガラは土に含まれる酸化鉄
0493日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 22:39:30.38
>>492
何でそんな見え透いた嘘を吐くの?
0495日本@名無史さん
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2018/05/11(金) 22:46:21.36
今でも丹には水銀朱、鉛丹、ベンガラがあるよ
丹は赤土の意味から、赤の顔料の意味になったから丹には色々な種類があるんだよ
丹塗り
http://www.konishi-da.jp/jigyou/ninuri.html
0496日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 22:51:21.10
3世紀に中国人が使った漢字だから今の日本じゃだめ
0497日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 22:51:34.74
>>494
辞書を書いた人の解釈によって違いますね
別に辰砂の井戸と限定せずに赤土としてる辞書もありますよ
要は辰砂に限らず井戸を掘って赤い土を取るってことですね。
0499日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:00:36.84
>>435の追記
>会稽海外の東鯷人は「漢書 卷二十八下 地理志第八下 呉地条」に書かれているから
呉地の範疇 南九州のことは呉地条には書かない <

漢書では、
倭人も、「樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云」であり、
東鯷人の「會稽海外有東鯷人、分為二十餘國、以歳時來獻見云」と同じ文体であり、
当然、「対」になるように意識されて書かれており、
倭人は、楽浪の方が位置説明し易いから、楽浪により近い所におる事になり、
東鯷人は、会稽の方から見た方が位置説明し易いし、
(海中ではなく)「海外」だから、
会稽沖遠くの九州南部〜琉球列島付近にある国だ、という事になる。
0500日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:06:27.37
>>497
井戸で赤土なんか掘らないよ
0501日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:07:26.11
>>436
「南→東」などの史料事実の否定曲解の嘘吐き騙しで、
排他的人種差別的ヘイトスピーチ中傷大好きで、
国粋大和皇国史観の政治家思想狂い老人の流言飛語が、
国民にも社会にも迷惑。
0502日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:12:38.39
>>499

漢書では、燕地条の倭人と呉地条の東鯷人を区別している
魏史倭人伝は倭人について書かれた伝だから
勝手に一緒にしてはいけない

>会稽沖遠くの九州南部〜琉球列島付近にある国だ、という事になる。

そんなこと書いてない
だから考古学的に「以歳時來獻見云」を示すようなものが出ないといけない
0503日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:16:54.09
>>438
>倭人伝は「三國志 魏書 卷三十 東夷伝 倭人」
上野原遺跡には、ないよ。
>だから、漢書の「以歳時來獻見云」を示すような考古学的出土物が無い <

漢書では、
倭人は、「樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云」であり、
東鯷人の「會稽海外有東鯷人、分為二十餘國、以歳時來獻見云」と同じ文体であり、
倭人も倭奴國王の來獻見が記録され、
東鯷人にも、海賦に(後漢最末期)に「序に就いた」という記録があるから、

考古学的な出土はなくても、東鯷人にも「以歳時來獻見云」があったんだろうね。
0505日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:23:42.38
>>441
>>(李賢が「今名邪摩惟」と断定して書けるのは)
倭國から戻ったばかりの郭務悰らの報告を見た、という事しかない。<

>だからそれは根拠を示すことができない仮説<

他にないから、ほぼ断定出来る推論であり、仮説ではない。

>福岡には7世紀にも残っていたような「ヤマイ」という地名はない<

李賢が「今名邪摩惟」と断定したから、ある。
0506日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:28:08.14
>>444
>>天智以前の議論で、畿内が存在したかのような言い方で論を立てる事は、
嘘吐き騙しの詐欺<

>畿内説はそういう説ではないから、<

3世紀の頃に「畿内=天皇が直接的に支配する地域」があった、と言えば、
そりゃ、嘘つき騙しになる。
0507日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:36:22.70
>>505

>ほぼ断定出来る推論であり、仮説ではない。
>李賢が「今名邪摩惟」と断定したから、ある。

そういうことを言張るだけだから学者も相手にせず
今ではマスコミも行政の相手にしていない
掲示板で嫌がらせだけ毎日やっている
日本人社会には無い習慣
0508日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:37:43.30
>>507訂正

マスコミも行政も相手にしていない ○
0509日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:37:50.97
>>450
>>晋書の筆者は、唐代の人だから、はるか後代だよ。<

>「昔漢武帝詔曰 司馬相如病甚 可遣悉取其書 使者得其遺書 言封禪事 天子異焉 
臣等案 故治書侍御史陳壽作三國志 辭多勸誡 明乎得失 有益風化 
雖文艷不若相如 而質直過之 願垂採録」<
は晋書の筆者の言ではない、范頵等の上表 <

晋書が、
「范頵等の上表で三国志を褒めたたえた」事を紹介記載した、
という事は、
唐代の晋書も、三国志を褒めたたえた、という事を示す。
0510日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:39:40.82
>>506

>3世紀の頃に「畿内=天皇が直接的に支配する地域」があった、と言えば、

言っていないから日本人間では何も議論にはなっていない
0511日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:45:24.85
>>509

>唐代の晋書も、三国志を褒めたたえた、という事を示す。

示していない
晋では評価が高かったことがわかる
つまりは晋の司馬氏にとってはとても都合がよい書であった
0512日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:45:35.36
>>460
>実見も研究もしてないど素人が都合よく解釈してるだけ<

ド素人でも、
周髀算経の「日の出日の入りでの8尺棒の影端を結んで東西を決める」方法を読めば、
魏の役人たちが「東西南北を間違えない」というは直ぐに判り、
「南→東」などの嘘吐き騙しの大和説学者らは、
・・・・アホの詐欺師であった、という事も直ぐに判る。
0513日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/11(金) 23:51:50.37
>>512

伊都国が糸島なら
東南になってるから棒切れの影は使っていない
0514日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 06:49:30.37
>>466
>水銀朱とベンガラは一緒に使われるってことですね
ベンガラも丹なんですねw<

それと、魏志に書かれていた「丹木」とは、「漆」の事かも知れませんね。
前から「丹木」とは奇妙な呼称であったんですが、
「植物性の顔料」材料、という意味であったんでしょうか?。
0515日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 06:56:25.29
>>468
>>鮮やかな赤の水銀朱と漆を混ぜて上塗りされる<

>漆と混ぜたら色が濁るだろ
上塗りするなら水銀朱だけじゃないの?
漆は下塗りでは???<

漆は、おそらく、朱の顔料の固定剤なんでしょうね?。
0516日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 07:03:47.53
>>514
丹で揉めていますね。
しかし、いずれにせよ、卑弥呼の時代に「辰砂」採掘をしていたのは、全国唯一「倭国(阿波)」だけ。
ほかにどこもないんだから、どうしようもないでしょ。
大陸との交流が確認され、辰砂を採掘していた事実。
まさに、動かぬ「其山有丹」。  @阿波
0517日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 07:26:53.06
>>498
古文を現代の辞書で解釈しようなんて馬鹿ですかw
0518日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 07:28:42.87
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM
0519日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 07:28:52.91
>>502
>漢書では、燕地条の倭人と呉地条の東鯷人を区別している<

山海経には、「倭人は燕の南にいて燕に属していた」と書かれていたし、
その倭人が半島南岸〜九州北部に移住して来たから、楽浪からの位置表記になった。
それに対して、東鯷人は、会稽沖の舟山諸島付近にいて、
それから琉球列島〜南九州に広がったから、会稽海外、と説明された。
0520日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 07:36:57.58
>>511
>>唐代の晋書も、三国志を褒めたたえた、という事を示す。<

>示していない 晋では評価が高かったことがわかる
つまりは晋の司馬氏にとってはとても都合がよい書であった<

はるか後世の唐代の晋書が、わざわざ「陳寿伝」を立てて陳寿を褒めた、という事も、
唐代にも、陳寿の三国志を称賛する学者がいた、
という事を示す。
0521日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 07:43:57.94
>>513
>伊都国が糸島なら 東南になってるから棒切れの影は使っていない <

唐津付近から伊都国は、
途中の出っ張った山で隠れて見えていないから、
目的地方向も判らず、
その事からも、
「東南陸行五百里」の「東南」は、出発時点での「出発方向」である事になる。
0522日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 08:07:11.27
>>521
唐津に行ったことないでしょ
0524日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 08:45:16.36
何かうまいものはあるかい?
風光明媚かい?
一度は行って見たいが、平原にもまだ行ったことがない。
ていうか、九州は遠いなあ。
0526日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 09:26:35.44
博多なら新幹線も空港もアクセス良好だけどね。
レンタカーかタクシーで県道49号線を辿れば、
須久(奴国)→吉武(旧伊都)→三雲(伊都)→深江(末蘆上陸地)
を観光できるよ。
0528日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 10:00:31.04
>>523
現地に立った感覚を語るなら
それではダメ
0529日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 10:17:10.94
>>487
>後漢書では丹が赤土であることを示す為に「所其山有丹土」と土を付けたんだよ。

それ嘘だから
後漢書
出白珠青玉 其山有丹 土氣温腝 冬夏生菜茹 無牛馬虎豹羊鵲

魏志倭人伝
出真珠青玉 其山有丹
倭地温暖冬夏食生菜
其地無牛馬虎豹羊鵲

魏志倭人伝の倭地温暖を土氣温腝に書き換えているだけ
「土氣」は土地の気候くらいの意味
三国志魏書東夷伝韓で「土氣寒」という表現がある

魏志倭人伝で3つに分かれていた表現をひとまとめにしたときに
其山有丹と土氣温腝がくっついただけだよ

ベンガラだから丹土に書き換えたなんて、ちゃんちゃらおかしい
0532日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 10:22:22.18
キナイコシも畿内の話したらいいじゃん?
0533日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 10:26:25.36
>>514
>前から「丹木」とは奇妙な呼称であったんですが、

丹木は山海経に出てくる
丹があって丹水が流れるほとりにある木
要するに神仙郷にある空想上の木だよ、元々はね
0534日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 10:41:46.56
まぁ、いずれにせよ、稀少で貴重な辰砂が唯一、倭国(阿波)でしか採れないってこと。
まさに、魏志倭人伝 伝えるところの「其山有丹」。  @阿波
0535日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 10:50:11.15
「其山有丹」=倭国の山には丹がありますよ〜
0536日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 10:58:28.56
>>535

倭国の山では辰砂が採れますよ〜  @阿波
0537日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 11:11:33.99
>>516
>丹で揉めていますね。
しかし、いずれにせよ、卑弥呼の時代に「辰砂」採掘をしていたのは、全国唯一「倭国(阿波)」だけ。
ほかにどこもないんだから、どうしようもないでしょ。
大陸との交流が確認され、辰砂を採掘していた事実。
まさに、動かぬ「其山有丹」。  @阿波 <

魏志倭人伝では、「以朱丹塗其身體、如中國用粉也」や、「其山有丹」や、
魏帝から贈られた「鉛丹」や、倭国側から上獻した「丹木」しか書かれておらず、
「丹=水銀朱」とは書かれていない。
だから、水銀朱だけだ、を騒ぐ阿波は、×。
0538日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 11:20:25.02
>>537
>魏帝から贈られた「鉛丹」や、倭国側から上獻した「丹木」しか書かれておらず、

博多湾沿岸には、辰砂はおろか、「鉛丹」や「丹木?」さえも無い。 どう仕舞つけるの?  @阿波
0539日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 11:25:38.82
>>519
また、「近隣諸国民蔑視」の排他的殺戮的な・・・・極右の、
大和説仲間が出て来たらしいな。
0540日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 11:31:56.63
>>531
「南→東」の騙しや、
宋書の倭国の「東征毛人五十五國」や、唐会要倭國伝の「正北抵新羅」を無視する、
大和説者は、うそつき。
0541日本@名無史さん
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2018/05/12(土) 12:10:08.76
>>532
>キナイコシも畿内の話したらいいじゃん?<

「畿内」なんて、なかったものを「あった」もののように使えば、
そりゃ、「結論先にありき」の循環論法と同じであり、
嘘つき騙しの詐欺師だ、という事になるね。
0542日本@名無史さん
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2018/05/12(土) 12:14:15.91
>>535
>「其山有丹」=倭国の山には丹がありますよ〜<

そうですんね。
唐会要倭国伝には「正北抵新羅」と書いていますから、
倭国は九州であったんであり、
「其山有丹」の「其山」も、魏使らが訪れた九州だ、
という事になりますね。
0543日本@名無史さん
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2018/05/12(土) 12:59:42.90
>>538
>>魏志倭人伝では、「以朱丹塗其身體、如中國用粉也」や、「其山有丹」や、
魏帝から贈られた「鉛丹」や、倭国側から上獻した「丹木」しか書かれておらず、
「丹=水銀朱」とは書かれていない。<

>博多湾沿岸には、辰砂はおろか、「鉛丹」や「丹木?」さえも無い。
どう仕舞つけるの? @阿波 <

唐会要倭國伝の「正北抵新羅」に拠って、倭國は九州にあった。
山海経の「丹」の記録を知っている魏使らは、九州に来て、
九州の「丹」の状態を幾つも実見した。
そして、松浦川上流に丹山があり、あちこちの火山にベンガラを見知っていた。

それで十分。
0544日本@名無史さん
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2018/05/12(土) 13:00:08.99
>>542
方位認識が雑なだけ
畿内で問題なし
0545日本@名無史さん
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2018/05/12(土) 13:05:37.51
>>536
後漢書だと「其山有丹土」=倭国の山には赤土がありますよ〜
0546日本@名無史さん
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2018/05/12(土) 13:17:20.19
>>545
これ、ウソなー
0547日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 13:46:53.95
>>519

>山海経には、「倭人は燕の南にいて燕に属していた」

山海経の内容はそのまま事実として受け入れることはできない

>東鯷人は、会稽沖の舟山諸島付近にいて、
>それから琉球列島〜南九州に広がったから、

その仮説の考古学的根拠がない
0548日本@名無史さん
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2018/05/12(土) 13:47:33.54
>>520

>はるか後世の唐代の晋書が、わざわざ「陳寿伝」を立てて陳寿を褒めた、という事も、

晋書が陳寿を褒めているわけではない
0549日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 13:48:09.25
>>521

東松浦半島からも、前原からも相互に肉眼で見える
恣意的に山で隠れて見えていない状況だけの作り話で
無理やり無駄な出発方向にしてしまっている
0550日本@名無史さん
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2018/05/12(土) 14:07:33.72
>>545
>後漢書だと「其山有丹土」=倭国の山には赤土がありますよ〜

>>529を再掲
それ嘘だから
後漢書
出白珠青玉 其山有丹 土氣温腝 冬夏生菜茹 無牛馬虎豹羊鵲

魏志倭人伝
出真珠青玉 其山有丹
倭地温暖冬夏食生菜
其地無牛馬虎豹羊鵲

魏志倭人伝の倭地温暖を土氣温腝に書き換えているだけ
「土氣」は土地の気候くらいの意味
三国志魏書東夷伝韓で「土氣寒」という表現がある

魏志倭人伝で3つに分かれていた表現をひとまとめにしたときに
其山有丹と土氣温腝がくっついただけだよ

ベンガラだから丹土に書き換えたなんて、ちゃんちゃらおかしい
0551日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 14:29:40.96
あげ
0552日本@名無史さん
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2018/05/12(土) 15:17:03.08
>>549
古田も現地を知らずに道標ナントカを考案したからな
松浦川の存在を忘れた大馬鹿説になってる
0553日本@名無史さん
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2018/05/12(土) 15:38:11.97
>>544
魏使らは、東西南北を間違える筈がなく、「南≠東」であり、
畿内なんて存在しなかったから、
大和説人間は×。
0554日本@名無史さん
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2018/05/12(土) 15:51:50.60
>>547
>>山海経には、「倭人は燕の南にいて燕に属していた」<

>山海経の内容はそのまま事実として受け入れることはできない<

古代文献の説明は、
その説明を否定する絶対的な証拠がない限り、
その古代人の「認識の証言」として受け止めて置くべき。

>>東鯷人は、会稽沖の舟山諸島付近にいて、
それから琉球列島〜南九州に広がったから、<

>その仮説の考古学的根拠がない<

自然や歴史に関して、文献的記録しかなく、
否定に関しても肯定に関してでの考古学的根拠が全く存在しない事は幾らでもあり得、
考古的な情報がなくても、その記録を否定抹殺する事が出来ない。
0555日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 15:58:31.00
>>548
>>はるか後世の唐代の晋書が、わざわざ「陳寿伝」を立てて陳寿を褒めた、という事も、<

>晋書が陳寿を褒めているわけではない<

陳寿や三国志に「価値がある」と考えたから、晋書筆者は、「陳寿伝」を立てた。
「価値がない」と思ったのなら、一介の史官に過ぎない陳寿の伝など、立てる筈がない。
0556日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 16:06:12.74
>>554

>古代人の「認識の証言」として受け止めて置くべき。

山海経は後世に再編成されて元の本文ではない

>自然や歴史に関して、文献的記録しかなく、

南九州人が東鯷人だと書かれた文献などない
だから、考古学的に推測しうるものがあれば仮説は立てられるが、無い
0557日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 16:06:47.95
>>549
>東松浦半島からも、前原からも相互に肉眼で見える
恣意的に山で隠れて見えていない状況だけの作り話で
無理やり無駄な出発方向にしてしまっている <

東松浦半島という広大な地域を、
一大國からの到着町にする事自体が、頭がおかしい。
到着上陸地としては、唐津が最も適切。
その唐津からは、後背地の山の上にでも登らない限り、
糸島水道付近は見えない。
0558日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 16:10:24.27
>>550
>ベンガラだから丹土に書き換えたなんて、ちゃんちゃらおかしい<

丹土は、水銀朱だけでベンガラはない、なんて、
ちゃんちゃらおかしい。
0559日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 16:19:46.13
>>552
>古田も現地を知らずに道標ナントカを考案したからな<

当然、案内人や道しるべの存在無しには、
魏使らだけでは初めての地では迷子になったしまって、殆ど進めないもの。

>松浦川の存在を忘れた大馬鹿説になってる<

河口の平原地域では、当然松浦川は砂州状態や三角州状態の浅瀬になっていて、
浅瀬を選んで渡河可能。
0560日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 16:24:05.15
>>555

>陳寿や三国志に「価値がある」と考えたから、

三国志が価値が無いのではない
曹魏を正当とした立場で書かれていることで後世では評価が低かった
晋代に書かれた記録として晋代を知る史料価値はある
評価が低かった結果、考証されることもほとんどなく、版本も僅かしか残らなかった
清代初期に残った版本には正すべき箇所が少なからずあった
清代の校勘後でもまだ、紹煕本や写本の断片によって訂正されうるということ
0561日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 16:37:45.57
>>557

>東松浦半島という広大な地域を、
>一大國からの到着町にする事自体が、頭がおかしい。

この頭のおかしいジジイは何かまた勘違いしている
唐津に行くには東松浦半島の沿岸航行しなければならない
唐津からは糸島半島は北東に見える
前原からも東松浦半島は見えるから、
どこを通ってどの方向に来たかくらい当然確認できる
しかし記載された方位は間違っている
0562日本@名無史さん
垢版 |
2018/05/12(土) 16:39:27.99
>>556
>>古代人の「認識の証言」として受け止めて置くべき。<

>山海経は後世に再編成されて元の本文ではない <

不可知部分が殆どである自然や歴史の情報としては、
再編成された不完全なものであっても、十分情報価値がある。

>>自然や歴史に関して、文献的記録しかなく、<

>南九州人が東鯷人だと書かれた文献などない <

「『漢書』 卷二十八下地理志第八下(抄) 自呉至黄支」に書かれ、
「『漢書』 卷二十八下地理志第八下(抄) 幽州屬」に書かれた、
「樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云」と対応する形で、
「會稽海外有東鯷人、分為二十餘國、以歳時來獻見云」と書かれていれば、
東鯷人は倭人の南の方にいた、という事になり、
「琉球〜南九州」と比定して十分。

>だから、考古学的に推測しうるものがあれば仮説は立てられるが、無い<

ある。
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