伊都国東遷スレ 3
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1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、だたし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の繁栄であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html >>247
>だから魏志倭人伝で文句が書かれているんだよな。
文句って何だよ?
具体的に書いてみ?
魏志倭人伝に書いてあるのは
「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩」という、王(首長)の死に際して
巨大な冢=墳丘を作る倭国の風習で、それがそのまま古墳時代につながる >>249
>邪馬台国じゃないから何にも無いだけで同時代。
そうだね
(北部九州は)邪馬台国じゃないから
(北部九州には整った建物も、儀式に使った祭祀土坑も、大きな墓も)
何にも無いだけで同時代。 >>251
北部九州には無い、邪馬台国時代の大きな墓って、
具体的にはどの墓のこと? >>253
>北部九州には無い、邪馬台国時代の大きな墓って、
>具体的にはどの墓のこと?
吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル
出雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え四方に5〜9mの平坦部
てなサイズがある
纏向型前方後円墳は、弥生墳丘墓に入れる立場だけれど、
纒向石塚古墳で全長96メートル、
纒向矢塚古墳も96メートル
纒向勝山古墳が110メートル
東田大塚古墳で墳丘長120メートルある
これらすべて、弥生時代末期の邪馬台国時代かそれよりも古いものだよ
この、各地で首長層が成長し隔絶した地位を持つようになった時期に、
北部九州は主張個人への権力集中の点で出遅れている 他にも四隅突出墓の地域には、鳥取市・西桂見墳丘墓という一辺が60m以上にもなる
最大級の墳丘墓があるし、丹波の王墓級としては他にも大風呂南墳丘墓という
27×18メートルの厚葬墓があり、鏡以外の副葬品では平原1号墓より豪華だよ
たくさんあるだろ? >>254の訂正
× 北部九州は主張個人への権力集中
○ 北部九州は首長個人への権力集中 >>254
ふむふむ。
畿内には邪馬台国時代に大きな古墳があったんだね。
邪馬台国時代の女王墓はないのかい? 整った建物に何も無くてプラス要素からマイナス要素になってしまったことに気づいていないようだな。 >>257
>畿内には邪馬台国時代に大きな古墳があったんだね。
畿内に限らず、西日本の複数の地域でただ一人の首長のために膨大な労力を
つぎ込んだ巨大墳丘墓の時代が古墳時代に入る直前にあるんだよ
そして、定型化した前方後円墳は各地の墳丘墓の特徴を総花的に取り込むことで完成している
その巨大墳丘墓の時代に取り残されているのが北部九州
>邪馬台国時代の女王墓はないのかい?
その時代の列島の最大の墳丘墓が、倭王墓の第一候補になるのだが、>>254にに示したように
纒向古墳群のものはどれも築造時に列島最大なので、条件をクリアしている
あとは編年次第で、卑弥呼の没年前後のものが特定できれば、それが卑弥呼の墓で
ある可能性が高い
ただ、埋葬主体部が発掘された墳墓がないので、今のところ決め手がないというところだよ
この畿内の王墓級で埋葬主体部が「発掘された墳墓」がない、というのを
畿内では「副葬品がない」、とわざとすり替えてグダグダ言ってるのが九州説のヤカラ 九州倭国は、2世紀半ばから倭国乱やってましたからなあ。
倭人伝によると、
3世紀半ばまで邪馬台国と狗奴国で激しく戦ってましたからなあ。
>>259が考古学的に明示している通り、
巨大墳丘墓なんて作っていなかった
北部九州に邪馬台国で確定ですなあ。 伊都クズの言う「考古学的に」は考古学者が誰も主張していない >>258
>整った建物に何も無くてプラス要素からマイナス要素になってしまったことに気づいていないようだな。
平原1号墓では、柱穴二つで地上部はまったく分からないにもかかわらず
「これは鳥居だ」「古代神道の証拠だ」と吹きまくるのにww
しかも二対のうち一つは、方形周溝墓の「周溝の中」に立ってるし
どうも鳥居じゃなさそうだぞw
建物のすぐ近くから大型祭祀土壙も出ているし、柵列で囲まれている
建物そのものに十分な価値があるし >>260
>巨大墳丘墓なんて作っていなかった
>北部九州に邪馬台国で確定ですなあ。
でも魏志倭人伝には「卑彌呼以死大作冢徑百餘歩」という、
王(首長)の死に際して 巨大な冢=墳丘を作る倭国の風習が
ばっちり書かれていてそれがそのまま古墳時代につながる
北部九州では無理じゃね? >大型祭祀土壙も出ているし、柵列で囲まれている
これが畿内説の反論か〜(棒読み 三国志東夷伝には、
三国志東夷伝韓条にも「冢」が出てくる。
弥生時代朝鮮半島の住居を冢の如しとしていることから、
せいぜい10〜15メートル以下の、円形もしくは方形の家屋が、「冢」 >>260
>九州倭国は、2世紀半ばから倭国乱やってましたからなあ。
それいつ頃?
卑彌呼が共立されてから、乱は治まってるし各地で実際に巨大墳墓を作ってるよ?
>倭人伝によると、
>3世紀半ばまで邪馬台国と狗奴国で激しく戦ってましたからなあ。
魏志倭人伝には倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼『素不和』と書いてあるんだが?
通常の読み下しでは「もとより和せず」だ
激しく戦っている風でもないぞ?
魏志倭人伝、ちゃんと読んでるか?
誰かの勝手解釈も解説本じゃなくて、原本で読んでるか? 倭王墓と主張する墓に、きちんと整列した杭列すら作ってないのに? 現代の大家である、
コウ・シブサワは何をしているんだろう 整った建物に何も無くてプラス要素からマイナス要素になってしまったことに気づいていないようだな。
え?何か出土したの? >>261
王権の象徴たる八咫の鏡は、そのために副葬したはずだけどね。
これこそが倭国女王の墓であると。 >>273
卑弥呼が本当に倭王であるかどうかを確認しに来た。
そして、伊都国までしか来なかったが、確認はできた。 皇帝が封して金印や贈物を贈ったのに、卑弥呼の手元で開封されるとこまで見届けないと職務怠慢じゃん。 >>277
>王権の象徴たる八咫の鏡は、そのために副葬したはずだけどね。
平原1号墓の破鏡供献の出土鏡の円周長が八咫だという主張には、根拠もないし意味もないことはさんざんやったんだけどな
それに「八咫の鏡」と書いてる時点で、日本の皇統の象徴である伊勢の御神鏡「八咫鏡」とは別物だって分かってるんだろ?w 周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。 定義が混乱していたんだよね。
そして倭人は独自解釈で鏡を作った。 倭人独自なら漢尺である必然性はないな
つまり、平原出土鏡の円周が八咫である根拠もなくなる
お疲れ様w 「八咫の鏡」好きのみなさん。 またまた倭国(阿波)から、はいどうぞ。
第2番札所 徳島市 「金山神社・立岩神社」 「八尺(やあた)の鏡はこの地で作られた」
ご存知のように日本の皇室に代々伝わる『三種の神器』とは、『天叢雲の剣(草薙の剣)』、『八尺の鏡』、『八尺(やさか)にの勾玉』をいうが、その神器のひとつ『八尺の鏡』の製作地はこの神社であるという伝承がある。
その背景には、銅鐸や銅鏡の出土が多く「たたら跡」と見られる史跡もあるこの地区が「日本の治金技術発祥の地」ではないかという説がある。
見渡すと周辺にも「金谷」、「多々羅(古来、精錬所のことを『たたら』という)」、「八田(八尺)」という地名が残り、まさにこの「金山神社・立岩神社」の鎮座地自体も『多家良(たから)』という埋蔵金ミステリーそのまんまの名前。
この精錬伝承の中心となっているのが、『金山神社』と『立岩神社』の両神社である。金山神社は鍛冶の神である金山毘古(かなやまびこ)神を祀り、その境内の中に高さ7m幅4mの日本一の巨大陽石(と掲示されている)をご神体とする『立岩神社』が鎮座する。
この巨石は『天津麻羅(あまつまら)』を祭神とし、素朴に男性を象徴しているが特に通俗的な信仰はない。
古事記には「八尺の鏡は天の金山の鉄をとりて天津麻羅を求ぎて伊斯許理度売命(いしきりどめのみこと)に科せて鏡をつくらしめ」という記述があり、これがこの地が八尺の鏡製造地であることを裏付けている。
なお、ここより直線で13キロ西には神山町の『立岩神社』(第3番札所)があり、ここには高さ20m幅20mの女性器を象徴する巨石があり、古来より「天の岩戸」と称されている。 @阿波 >>228
なんで卑弥呼を日巫女と同じようにように考えていることが、
「悪質な印象操作」になるんですかね?
個人名と役職名で違うから悪質な印象操作である主張しているようですが、
HPの方も私も、太陽祭祀を行うシャーマンという役割を持つ女性として、
「日巫女」と考えているのですから、全く同じですよ。
役割から類推しているのですから、それが役割についた名ということです。
部長の例でいうなら「ブチョウ」のという名称の意味を役割から推論しているのと
全く同じです。
スレで色々主張いただけるは、勉強にもなりますし、有難いですが、
おかしな悪質な印象操作のようなことはやめて頂きたいですね。 >>289
>なんで卑弥呼を日巫女と同じようにように考えていることが、
>「悪質な印象操作」になるんですかね?
まただ
批判のポイントをずらして、批判側が間違っているような印象を付けようとする
ポイントはここ>>228を再掲
最初の「卑弥呼=日巫女」は多くの人が推論としていっている部分
推論であって、結論でもなんでもない
『複数いても構わない』から『魏略の女王と親魏倭王は別人』の部分は
お鏡さん以外、「誰も賛同してない」ぞ!
つまり、一部分の推量が一致しているだけなのを、
全体の結論が一致しているような紹介をしているってこと
論点をずらしてマウントしようとするのが、科学とはほど遠いよな へえ、では「日巫女」を役職名として見ていることが例のHPと
私で全く同じ推論というところは、納得頂けましたかね?
それなら結構ですよ。
>>221 で、私がHPの人も二人の日巫女論だなんて、言っていないことは、
読めばわかりますから、>>228 の話は別にどうでもいいです。 あと、「誰も賛同していない」もあなたの印象操作だったようで。
手を挙げてくださった方、本当にありがとうございます。 あと、お鏡さんは、
平原1号墓の出土鏡の円周は「計ったら漢尺の八咫なのは事実」
畿内でも大型の内行花文鏡が大事にされているのは、平原1号墓の八咫の鏡の伝統
という主張だと思うが、だったらなぜ、畿内の大型内行花文鏡の面径は「2尺じゃない」んだ?
下池山古墳出土鏡も柳本大塚古墳出土鏡も面径が2尺じゃないよな?
他にもそれより小さいが、それでもそれなりに大きな鏡が出ている
この説明としては、
畿内の大型内行花文鏡は、平原1号墓出土鏡とは無関係
円周長が八咫には何の意味もない偶然だから気にしてない
のどちらかだよな
どちらにしても、最初の二つの主張をセットで維持するのは無理だ 匿名の掲示板での名乗りにどれだけの意味があるんだかw >>293
論点ズラしは結構ですから、下記に はい、か いいえ、で答えてくださいね。
>では「日巫女」を役職名として見ていることが例のHPと
>私で全く同じ推論というところは、納得頂けましたかね?
>>294
すくなとも印象操作を行おうとする輩がいることは分かりましたね まあ
「計ったら」 ←円周を測った例が1例も出てこない
「漢尺の八咫」←漢尺の度量衡に咫はない
から最初から意味がないんだがな >>292
>あと、「誰も賛同していない」もあなたの印象操作だったようで。
特定の人物の賛否を問題にしている話題で、「誰も」っていうのは
「この特定の人は」って意味だぞ
賛同してないだろ? >>295
>すくなとも印象操作を行おうとする輩がいることは分かりましたね
はい、お鏡さんのことですね! 分かります! すくなともっていうのは、飛騨の伝説の両面宿儺さんのことですか? >>298
何言っているか、意味不明になってますよ。
はやく、295に はい、 か いいえ、で回答してくださいね。 >>295
それ
「最初の「卑弥呼=日巫女」は多くの人が推論としていっている部分 」
と言ってる人に、意味ある質問? 前も「短慮すぎる」とか書いてたけど、日本語の通常の用法では
「短慮にすぎる」が普通
もうちょっと、日本語の表記に気をつかうべきだろうな、お鏡さんは
このままでは、文章の書き手としてもダメ造だ >>302
はい の答えだから、だから蛇足な質問、という意味でしょうか?
では、そろそろ仕事にいってきますねー たまにだけ出てくることで、答えたくないことには答えないっていう戦略なのかな?
お答えがないから、再掲
お返事ないから、再掲
そして、特別な儀式に対する疑問をこれから書く
お鏡さんが言うのは大柱の存在だが、その他にも平原1号墓の埋葬主体部の周りからは多くの柱穴が検出されている
埋葬主体部のすぐ周りに配置されているものは、方形に並べられ、また軸線上に少し離れて両側に1本ずつ柱穴があるため、棟持ち柱のある喪屋が想定されていたが、柱を立てるには穴が細すぎるということで、今は「杭(くい)列」跡とされているようだ
また主体部と大柱の間に二対の穴があり、これを「鳥居」のあとだと考える人もいる
ここで問題にしたいのは、これらの「杭列」「鳥居」の配列の「いい加減さ」だ
二つの「鳥居」は平行に立っていない
「杭列」もきちんと長方形にならず、歪んだ配置になっている
大事な女王を送る葬送施設の作りとしては杜撰だ
平原1号墓の平面図としてはこれが見やすいんじゃないかな
http://syoki-kaimei....85A8E4BD93E59BB3.jpg
そして、お鏡さんが大事にしている大柱と日向峠を結ぶ線と、埋葬主体部の軸線はずれている >>301
うーん、>>298に言われたことが解らないって
そうとうヤバくね?
もちろん脳がだが 「最初の「卑弥呼=日巫女」は多くの人が推論としていっている部分 」
これは結論でも何でもなくて、多くの人が言っている「推論」
これをわざわざ「結論」という言葉を使うことで、
「論証した結末まで同じだ」という印象になるんだよ
「結論」は同じじゃない
それを、無関係な人も賛同しているように印象づけようという意図が透けて見える >>293
>という主張だと思うが、だったらなぜ、畿内の大型内行花文鏡の面径は「2尺じゃない」んだ?
王権の象徴である八咫の大きさで鏡を作ったら、大乱罪だよ。
アホか。 >>306
>ここで問題にしたいのは、これらの「杭列」「鳥居」の配列の「いい加減さ」だ
>二つの「鳥居」は平行に立っていない
>「杭列」もきちんと長方形にならず、歪んだ配置になっている
何度か立て直したのかもしれないし、千本鳥居だって直線に並べることはほとんどない。 だからずれて複数あるんだろ?
なんでズレて複数あるのかという話をしているのだから、立て直したと言っているのだが? >>314
>>311
>>二つの「鳥居」は平行に立っていない >>316
遺跡に対して、何故そうなっているのか考えるのは当然のこと。
お前は考える頭がないのか? 立て直しかどうかの判断は位置関係で判断する
それが普通の頭の持ち主 >>220
>方位を正確に測るのと、夏至から110日、(10月20日の場合は120日)
>数えるのとどちらが簡単ですかね?
これも、確認を取ってみるとひどい話だってのが分かる
>>169で「夏至を起点として110日後という私の推測」とか言っているが
>>171で
「「夏至を起点として『110日後』」の「物理的な証拠」なんて『あり得ない』ぞ 」
と言われて
>>176で
「110日後はモモソヒメの名前からの類推ですよ。」と言い出して、
それをさらに
>>220で「夏至から110日、(10月20日の場合は120日)」と言い始める
120日だったら、モモソヒメ関係ないじゃん!
類推も何も「モモハタ」ヒメじゃないんだから、根拠にも何にもならない
でもって、実際に今年の暦で夏至から10月20日までの日数を数えると
「122日」だ
前スレで、モモソヒメだから110日を夏至から数える、そうしたら10月10日になる
その日に三輪山から日が昇るのを拝むからモモソヒメとか言い出してたが、
10月10日に三輪山から日は昇らないし、日が昇る日は夏至から数えて122日目
まあ、こっちもすぐに確認しなかったのが悪いといえば悪いが、
最初から最後まで、全然数字が1個も合ってない
「仮説思考と実証思考の差なんでしょうね。」じゃないだろ?
仮説の体すらなしてないぞ? >>311
>何度か立て直したのかもしれないし、千本鳥居だって直線に並べることはほとんどない。
「鳥居と杭列は別」だってのをまず確認してくれ
http://syoki-kaimei.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_221/syoki-kaimei/Y23E5B9B3E58E9FEFBC91E58FB7E5A2B3E585A8E4BD93E59BB3.jpg
その上で、言うが、杭列は葬送儀礼の1回しか使わないだろう
立て直すことなんてないよ
それとあくまで「通称」鳥居だ
前にも議論に少しなっていたが、「地上部なしの柱穴」だけで鳥居と判断するのは
根拠に乏しいというかほぼない
鳥居であろうがなかろうが、王墓(と伊都国説が主張する)の葬送のための施設が
軸線に正対していなくてゆがんでいるというのは、ありえることかね?
たった一回の大事な儀式のための杭列を、特に測量もせずに適当に立てるなんて
いうのが、伊都国にいた倭国王の葬送祭祀のやりかたなのかね? >>334
>独断と偏見だな
はい、いつものですね!(ニッコリ)
根拠なし&言いっぱなしw >>333
文献は信じない!
遺跡から考察することはしない!
鏡の大きさも偶然!
全ては虚無だ!
邪馬台国は何もわからない!
でも畿内についてだけは妄想を膨らませるよ!
これが畿内説。 >>336
その上、粘着質で気持ち悪いしな
延々とテンプレを貼るのが趣味みたいだし >>336
文献を信じると伊都国に倭女王はおらず
遺跡から考察すると、鳥居の建て替えなんて無いわけのだが >>336 いちいち空行を入れると行数制限に触れるから、引用は「 」に入れて空行を節約するよ
>「文献は信じない!」
史料の限界も考慮せずに、何でも正しいって言い張ってたら、それはただの原理主義ですよ?
実際、末慮国と伊都国間の経路は、東南五百里じゃないですしそこまで信じるのは無意味です
>「遺跡から考察することはしない!」
考察してるじゃないですか?
倭王の葬送において、その墓地での杭列はどのようなものが想定されるかを、遺跡の実測図から考察してるのがこちら側で、逃げ回っているのが>>336他の伊都国推しの方でしょ?
>「鏡の大きさも偶然!」
これははっきり偶然でしょう
同笵鏡以外、サイズを意識した「ように見える」ものすら皆無ですし、円形のものの大きさを円周長で示す例は、一切ありません
お鏡さんですらこの件の言及は避けていて「測っても構わないだろう」以上のことは言いませんよ?
>「全ては虚無だ!」
九州説にとってはそうかもしれませんね! 特に伊都国推しは!
最初から邪馬台国とは別の国だと書いてある伊都国を、無理やり倭国の都だと言い張ってる訳ですから
でもそれだと、どうして伊都国に着いたところで、至伊都国女王之所都って書かれていないのか、説明できないんですけどね
>「邪馬台国は何もわからない! 」
ずいぶん、倭国の国家形成については研究が進んでいますよ?
最近も、邪馬台国時代と想定されていた植物試料の14C年代測定の結果が公表されましたし
地域首長への権力の集中、地域王権の伸長と首長墓の高塚化を経て、古墳時代に入っていくという歴史の流れが、かなりはっきり描かれるようになっています
>「でも畿内についてだけは妄想を膨らませるよ! 」
畿内説は、考古学的遺物であと付けられる部分を中心に、魏志倭人伝の記述を確認しながら読む読み方なので、妄想からはかなり遠いですね
「日巫女が二人いる」なんてことは言いませんし、「魏略の女王と親魏倭王が別人」なんていう想像(創造?)もしません
>「これが畿内説。」
誤解だらけですね!
お鏡さんも、お仲間の九州説のレベルが低くて頭痛そうww >>338
二つの鳥居が同時に互いに斜めに建てられたと考える根拠は? >>322
卑弥呼神社とかどこにもないもんな、人名じゃあないということだ >>340
だって葬式は一度だろう?
周溝は再掘削とかされてないし
レイラインに関係あるなら軸がズレて再建されるのはおかしい
同時にあってもおかしい
軸がズレてるのだから
つまりレイラインには関係ない
通路でもない
周溝を跨いでるんだから
現代人がいろいろ想像してるような目的で作られたものじゃないよ >>339
>これははっきり偶然でしょう
八咫鏡という名称の意味がなくなってしまいます。
その大きさの鏡の実在が判明しているのに、畿内説に、都合が悪いから逃げ回っているようにしか見えません。
岡上氏はその価値を認めた上で畿内説を唱えているので、彼の方がフェアな態度ですね。
>最近も、邪馬台国時代と想定されていた植物試料の14C年代測定の結果が公表されましたし
邪馬台国と関係ないものを持ち出されても困ります。
>地域首長への権力の集中、地域王権の伸長と首長墓の高塚化を経て、古墳時代に入っていくという歴史の流れが、かなりはっきり描かれるようになっています
魏志倭人伝では2世紀の倭国大乱の前からも王がいたと言っているのですから、3世紀中頃から権力が集まり始める纒向は、卑弥呼の死後にしか発展できなかったということです。
邪馬台国ではありません。
>畿内説は、考古学的遺物であと付けられる部分を中心に、魏志倭人伝の記述を確認しながら読む読み方なので、妄想からはかなり遠いですね
畿内説は魏志倭人伝の記述をほぼ無視していますよね。 >>342
>つまりレイラインには関係ない
かもしれないですね。
現代の神社でも、鳥居の向きに大きな意味を持たせているとはあまり思えません。
鳥居の場所を動かすのもよくあることです。 >>340
>二つの鳥居が同時に互いに斜めに建てられたと考える根拠は?
じゃあ、お鏡さんお気に入りの大柱が、葬送儀礼のときにあったと考える理由は?
なかったと考える理由でもいいよ?
意味のない質問だと思うよ
まあ、報告書をきちんと読んだ訳ではないから、断定的なことも言えないけれど、
二つの鳥居(仮)が立てられた時期に時間差があるなら、先に立てられた方の
柱穴の跡が、埋まっている様子が観察されたりするんじゃないの?
それに、立て替えたなら、どうして1回目と2回目で「異なる場所に立てたの」?
立てる場所は、それほど重要じゃなかったって言いたいの?
つまり、宗教行事的に重要ではなかったと主張したいの? >>342
>通路でもない
>周溝を跨いでるんだから
これ、何のこと?
「一の鳥居」(仮)は墳丘上にあって、
「二の鳥居」(仮)は「周溝内」に立っているんだが?
周溝を跨いでいる鳥居はないだろ? >>343
>八咫鏡という名称の意味がなくなってしまいます。
だから意味ないんじゃないの?
七、八世紀の文献に出て来る言葉でしょ?
平原王墓と関係なくて全くおかしくない >>347
よく読んでね
通路でもない
↓
周溝を跨いでる んだから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています