>>257
>畿内には邪馬台国時代に大きな古墳があったんだね。

畿内に限らず、西日本の複数の地域でただ一人の首長のために膨大な労力を
つぎ込んだ巨大墳丘墓の時代が古墳時代に入る直前にあるんだよ
そして、定型化した前方後円墳は各地の墳丘墓の特徴を総花的に取り込むことで完成している

その巨大墳丘墓の時代に取り残されているのが北部九州

>邪馬台国時代の女王墓はないのかい?

その時代の列島の最大の墳丘墓が、倭王墓の第一候補になるのだが、>>254にに示したように
纒向古墳群のものはどれも築造時に列島最大なので、条件をクリアしている

あとは編年次第で、卑弥呼の没年前後のものが特定できれば、それが卑弥呼の墓で
ある可能性が高い

ただ、埋葬主体部が発掘された墳墓がないので、今のところ決め手がないというところだよ

この畿内の王墓級で埋葬主体部が「発掘された墳墓」がない、というのを
畿内では「副葬品がない」、とわざとすり替えてグダグダ言ってるのが九州説のヤカラ