伊都国東遷スレ 3
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1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、だたし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の繁栄であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html >>462
道路が濡れてるのは雨が降ったからだと盲信する人は
ホースを握ったおばさんが散水してるのを見ても
意見を変えない >>438
>倭人伝の行程論が解明された
解明されてないよ?
九州説の行程論は、>>462で示したような結論ありきの循環論法でしかない
「短里」しかり、「島巡り仮説」しかり、「水行の起点は帯方郡」しかり
>&平原は弥生女王墓で
女性が被葬者の厚葬墓、までは言えるだろうが、王墓かと言われるとかなり厳しい
貧弱で、王家ではなくて、王墓の立地でもないし、王墓ではないとする方が尤もらしい
>卑弥呼が貰った下賜品がある
どれのこと? まさか、無名の五尺刀1本のこと?
魏晋代の舶載鏡が一枚も出ないのに?
>→だから卑弥呼の墓だ
そう言えるだけの根拠はないよね?
反論したければどうぞ!
そんな訳ないとか一言で逃げるのは、反論じゃないよ?ww
>→そういえば八咫鏡だよね
これも既に否定されたよね?
>という話なのだよ?
どういう話?
「そういえば八咫」鏡程度なら、原田大六氏のミスリードに釣られましたって、言えば済むことだよ
原田大六氏は、当時の知識でのきちんとした考察をしているけれど、今の知見からすれば、結果的には的外れだった訳だ >>434
>じゃ、咫って何?
>1咫の長さはどう決めたの?
周代には、身体尺の実用単位として使われていた
身体尺だから、人によって長さが異なる=「咫」の決まった長さはない
秦の始皇帝の度量衡の統一以後、長さの単位は公定尺となったが、その体系に
「咫」は入っていないし、使われていない
その「使われていない」「長さの決まっていない」「既に実用の点では忘れられた」
単位である「咫」を使って計るとぴったり八咫だっていうのが、
「平原1号墓出土鏡を八咫の鏡と呼びたい仮説」だよ >>448
>説明書を読まずに動かないと騒ぐクレーマーみたい
いや?
説明書を読んで、説明書の矛盾箇所を丁寧に指摘した上で
「おかしい」
って言ってるんだが?
>>448さんは、お鏡さん理論(笑)の理解者らしいけれど、
>>448さんが説明してくれてもいいんだよ?
でもできないんでしょ? 論として成り立ってないから? 伊都説はね、文献学も考古学もあらかた無視したトンデモ説だよ このスレを邪馬台国九州説を論じるスレだと思ってるならスレチだぞ。 >>452
>4方向に鳥居がある神社を見たことがない。
熱田神宮は、東と西と南の3方に、鳥居があるよ
http://www.atsutajingu.or.jp/jingu/about/keidai/
東門、西門、正門(南門)に鳥居がある
街中にある神社で、四方からアクセスできるところなら、
4方向にあるところも探せばあるんじゃないかな? 2方向しかないからおかしいということにはならないよ。 >>473に自己レス
京都の八坂神社は、南、東、北に鳥居があって、西楼門を鳥居のバージョンアップと見れば、
四方向に鳥居のある神社と言えると思う >>474
おかしいんだよ
門の機能が無い
墓道入り口は東南角にあって、そこには鳥居?が無い >>476
安心して(?)
私は、「鳥居(仮)は鳥居ではない説」だよ
その上で、いろんな柱穴の配置が、幾何学的に整列してなくて
「倭王の葬祭施設としてあまりに杜撰」という立場
平原1号墓を倭王の墓というのは、現実を見るときついだろ?
「卑弥呼の墓」でも「卑弥呼の前代の女王(だけど日巫女)の墓」でも、
どちらでもいいけどさ、どちらの主張も、倭王墓として見られなければ、
無意味な主張だよな >>474
>2方向しかないからおかしいということにはならないよ。
「2方向にしかないからおかしい」かどうかの前に、
「このスレを立てたお鏡さんの考え」では、
「鳥居(仮)1号、鳥居(仮)2号も、大柱と合わせて」
『日向峠から10月20日{(実際は10月23,4日)という、
夏至から数えて110日じゃなくて120日目(実際は125,6日目)}に
昇る朝日を迎えるラインにあるっていう説』では、
鳥居(仮)3号はどういう位置づけになるのか? っていうのが疑問なんだけれど? >>477
>鳥居には門の機能が要るって証拠は?
>>477は鳥居って、何だと思ってるんだい?
ウィキペディアが正しいとは言わないが、
「神社などにおいて神域と人間が住む俗界を区画するもの(結界)であり、
神域への入口を示すもの。一種の「門」である。」
というのが、普通の理解だろう >>477
人や神の通路に設けられ聖域内外の境界を表しているから >>131の
「箸中山古墳の方は、墳丘の主軸がまっすぐ夏至の日の出の向きに向けられているし、
そのライン上に神社も置かれている
三輪山山頂を意識しているのは、三輪山をご神体とする大神神社だよ
こちらも大神神社から見た夏至の太陽がきっちり三輪山山頂から昇る 」
の追加
纏向古墳群の、東田大塚古墳の主軸も、夏至の日の出の方角に合わされていて、
そのライン上に竜王山の山頂があり、その途中に渋谷向山古墳があるね
GPS考古学の人ほど厳密な測定じゃないし、渋谷向山古墳の主軸も
はっきりしないけれど、ほぼ重なっていると言ってよいと思う >>483
ちょっと興味が出てきた
>門でなければ鳥居ではないの?
門じゃない鳥居の例を、知っているなら教えて欲しい! 京都太秦の蚕の社にあるオカルト好きには超有名な三角鳥居は
中になにもなかった記憶してるんで門とは言えないと思う >>489
あれは三角の中が結界で、三面の門があるんじゃないの? その結界の中にご神体や依り代めいたものがあったっけ? >>482
私自身のことは別にいいどうでもいいですが、
平原の日の出の10月20日の話は、早く訂正して、お詫びされたほうがいいんじゃないですか?
峠という地形の特徴も考えずに、地図上の地点で考えてますよね??
柳田先生も含めて、現地で観測している人を舐めすぎじゃないですかね。
https://ameblo.jp/itokoku-hirabaruoubo/entry-12089890824.html
地域の大切なお祭りにもなっているみたいですよ。
平原を認めないのは勝手ですが、明らかにやりすぎですね。
個人的にもこの件は正直、憤りを感じます。 >>475
八坂神社がすごく特別な神社であることはわかった。
でもそれは特殊な事例だと思う。 >>492
現地写真は論より証拠、わかりやすかった! >>489->>491
三角鳥居は、内側が結界ってことでいいみたいだね
「これは柱3本を三角形に組み、3方から中心の神座を拝することを可能とする珍しい形式」
中心に神座があるみたいだよ >>493
檜原神社の三ツ鳥居は、通れないですよ。
後ろは御神体の三輪山ですから。
日本最古と言われる神社の鳥居が通れない、ということです。
特殊な例というよりは、その原初的な姿を現しているとも言えそうですが。。。 >>493
>八坂神社がすごく特別な神社であることはわかった。
そうでもないみたいだよ
多くの神社では、拝殿の後背地に神域があるから、そっち向きには門がいらないだけで、
街中の神社で、境内へのアクセスが四方からある神社なら、
アクセス経路分だけ鳥居があるのが普通でいいみたい
熱田神宮もそうだし 文献史料上で確認される、鳥居に関するとされる最も古い記事には、門と明記されている >>492で紹介されたブログの中の台詞より
「 「 古事記には 伊都国の史実が書かれたのです。」
と 原田大六氏著「実在した神話」を語ります。」
つまり、原田大六氏が、この話の起源だってことじゃないか
太陽の直径が、1度くらいあるのは知ってるかい?
こうやって、光が飛んでる写真だと、太陽の中心がどこにあるか分からないだろ?
この時期、1日に日の出の方向は0.3度弱動くから、正確には10月23,4日頃に、
太陽の中心が平原遺跡(1号墓を必ずしも意味しない)から見た日向峠から昇るというのは
やはり正しいぞ
平原1号墓と大柱の設計が緻密であると主張するなら、正確な日付を上げるべきだろう
10月20日にも、昇る太陽は「その辺」から昇るから、
「肉眼で見ると日向峠にかかって」昇ってくるってことだ
それに、「王墓の真ん中を 一直線に貫きます。」というキャプションのついた
写真が掲載されているが、王墓から10メートル右にずれても左にずれても、
日向峠から同じように日が昇っているのは分かるかい?
大柱がなければ、王墓の真ん中に寄っていって写真を撮れば、別の日でも
別の場所から昇る日の出が「王墓の真ん中を 一直線に貫きます。」になる
逆に言えば、別の日に別の場所から昇る日に合わせて、大柱を立てることも
可能な訳だ 「午前11時より 那珂川町の照富神社さん による
みあれ祭がおこなわれます。」
このお祭りは、夜明けに合わせて、という訳ではないんだね
そして、『那珂川町の照富神社さん』は伊都国の中ではなく、
仮称早良国と奴国の境の丘陵にある神社さんだ
「本来の地元」のお祭りではないね
まあ、町おこし的なものなのだと思う
『那珂川町の照富神社さん』のご尽力には敬意を表するけれど、
それをカサに着て、「批判する方が悪い、謝れ」と
マウントを取ろうとするのはどうかと思うぞ!
そして、夏至から110日にも、120日にも、125,6日にも、意味が見出せないって
のはいいかな?
日向峠に合わせたにせよ、平原5号墓が作られたときにその日付は決まっていたのだから、
日巫女だからこの日に合わせたってのは意味がないぞ? 実際に10月20日に日向峠から朝日が上がって見えているでしょ。
見苦しいだけですよ。 それから、たまにしかお鏡さん名義で書き込まないことで、いろんなことに答えずに済ませているが、
この件については、ぜひ回答してほしい
再掲
そして、特別な儀式に対する疑問をこれから書く
お鏡さんが言うのは大柱の存在だが、その他にも平原1号墓の埋葬主体部の周りからは多くの柱穴が検出されている
埋葬主体部のすぐ周りに配置されているものは、方形に並べられ、また軸線上に少し離れて両側に1本ずつ柱穴があるため、棟持ち柱のある喪屋が想定されていたが、柱を立てるには穴が細すぎるということで、今は「杭(くい)列」跡とされているようだ
また主体部と大柱の間に二対の穴があり、これを「鳥居」のあとだと考える人もいる
ここで問題にしたいのは、これらの「杭列」「鳥居」の配列の「いい加減さ」だ
二つの「鳥居」は平行に立っていない
「杭列」もきちんと長方形にならず、歪んだ配置になっている
大事な女王を送る葬送施設の作りとしては杜撰だ
平原1号墓の平面図としてはこれが見やすいんじゃないかな
http://syoki-kaimei.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_221/syoki-kaimei/Y23E5B9B3E58E9FEFBC91E58FB7E5A2B3E585A8E4BD93E59BB3.jpg
そして、お鏡さんが大事にしている大柱と日向峠を結ぶ線と、埋葬主体部の軸線はずれている
埋葬主体部の軸線が、お鏡さん主張のレイラインとずれていること、
杭列、鳥居(?)の立て方が、幾何学的に整えられていないこと
の2点について、見解を聞かせて欲しい >>505
>実際に10月20日に日向峠から朝日が上がって見えているでしょ。
>見苦しいだけですよ。
逆だ、逆!
10月20日くらいから、10月30日くらいまで、肉眼では
「大体日向峠から日が昇る」ように見えるんだよ
その中で「10月20日」というのは、
最初に柳田先生が「たまたまその日に確認した」ってだけだ
「10月20日」を前提とした立論には意味がない、っていうのは分かるか?
結局「八咫の鏡」も原田大六氏の思いつきだし、お鏡さんは柳田先生や
原田氏の書いたことに、チェリーピッキング的に乗っかっているだけだろ?
だから、個別の批判には十分に答えられずに、
「見苦しいだけですよ。」というような情緒的な批判で、印象操作に走る
もうちょっとがんばれよ
ということで、>>506にはしっかり答えてね! >>506
図々しすぎでしょ?
自分は簡単な「はい、いいえ」も答えずに、
人のことを中傷、罵倒して誤魔化すくせに。 <論点おさらい>
1. 夏至と秋分、古代人にとってどちらが特定しやすいか。
2. 古代人は110日も数えれないぐらいアホなのかどうか。
3. 卑弥呼を日巫女と解することは、事実上、役職名を類推しているということで良いか。
私と例のHPは、その意味で同じ「日巫女」との考えを持っていることで良いか。
4. 平原一号墓からみて、10月20日の朝に日向峠から登るか?
どれも簡単に選択するだけですよ。
はい、どうぞ。 >>509
>図々しすぎでしょ?
>自分は簡単な「はい、いいえ」も答えずに、
>人のことを中傷、罵倒して誤魔化すくせに。
>>308を再掲
「最初の「卑弥呼=日巫女」は多くの人が推論としていっている部分 」
これは結論でも何でもなくて、多くの人が言っている「推論」
これをわざわざ「結論」という言葉を使うことで、
「論証した結末まで同じだ」という印象になるんだよ
「結論」は同じじゃない
それを、無関係な人も賛同しているように印象づけようという意図が透けて見える
これが回答だよ!
「はい、いいえ」以上に丁寧に答えてるだろ?
たまにしかお鏡さん名義で書き込まないことで、答えることを避けているんでしょ? 仕事ありますから、朝と夜だけですよ。
これでもだいぶと嫁からはパソコン見過ぎとかなり文句言われてますよ。
御託はいいから、 >>510 に答えてね。 結局、自分の言いたいことしか言わないんだよなぁ
しかも基本的に一方的に言うだけ
はぁ
>>510
>1. 夏至と秋分、古代人にとってどちらが特定しやすいか。
>>199を再掲
サインカーブって知ってるかな?
夏至と冬至は、数日間では太陽の位置があまり動かないから、
夏至(冬至)の日の出の方角というのはそれなりに正確に測れても、
夏至の「日」っていうのは分かりにくいんだよ
それに対して、春分、秋分は真東から日が昇る日であり、この辺は一日での
日の出の位置の移動が一番早い時期なので、方位さえ正確に測れれば
春分の「日」は特定しやすい
南の方角は、日の出と日の入りを、同じ場所から観察して垂直二等分線を
引くことでかなり正確に求められる
そこから90度も、同じように求められる
東西南北の軸線は、古代でも相当な制度で計れるんだよ
ということもあって、古代の太陽暦の暦は春分基準が多いんだよ
こういう「常識」も、「夏至から110日はおかしい」の傍証 >>510
>2. 古代人は110日も数えれないぐらいアホなのかどうか。
また「アホなのか」とかいう情緒的言辞でごまかしている
こちらの論点は、「110日を数える妥当性がない」だ
110という数字にも、110日後(10月8日前後)にも、
意味を付与する理由がない
そして、平原1号墓と日向峠の話から始まっているのであれば、
「10月20日」を言うならともかく、10月8日の110日目を持ち出すのは、
話が破綻しているとしか言いようがない
数えられるかどうかを問題にしているのではない
それに数えるにしても、秋分を跨いで夏至から数える
110日がどこから出てきたのか不詳
(モモソ姫だからといっていたのは知ってる) 御託は不要ですよ。
二択を選ぶだけでいいんですよ。 >>510
>3. 卑弥呼を日巫女と解することは、事実上、役職名を類推しているということで良いか。
>私と例のHPは、その意味で同じ「日巫女」との考えを持っていることで良いか。
また話を逸らしている
こちらが最初に書いたのは、
「例のHPでは「結論」として、日巫女=卑弥呼としている訳ではない」だ
推論として、卑弥呼=日巫女としている人は少なからずいる
例のHPでも、推論として「卑弥呼=日巫女」という立場をとっている
ただ、それが「固有名詞」か、「役職名であって個人名は別にある」、
とするかは人によって異なる >>510
>4. 平原一号墓からみて、10月20日の朝に日向峠から登るか?
10月20日にも、昇る日の端が日向峠にかかる、が正しい
>>507を再掲
10月20日くらいから、10月30日くらいまで、肉眼では
「大体日向峠から日が昇る」ように見えるんだよ
その中で「10月20日」というのは、
最初に柳田先生が「たまたまその日に確認した」ってだけだ
「10月20日」を前提とした立論には意味がない、っていうのは分かるか? >>513
>御託はいいから、 >>510 に答えてね。
全部答えたぞ!
では、今はパソコンの前にいるんだから、>>506に答えてみそ?
自説に都合の悪いことは、答えたくない、ですか? もう一度描きますよ。
御託は不要です。二択を選ぶだけでいいんですよ。 選択するだけなんで簡単なんだから、もう一問足しておこう。
一番ホットな質問を忘れていました。
<論点おさらい>
1. 夏至と秋分、古代人にとってどちらが特定しやすいか。
2. 古代人は110日も数えれないぐらいアホなのかどうか。
3. 卑弥呼を日巫女と解することは、事実上、役職名を類推しているということで良いか。
私と例のHPは、その意味で同じ「日巫女」との考えを持っていることで良いか。
4. 平原一号墓からみて、10月20日の朝は日向峠から登るか?
5. 平原の大鏡の円周長は、漢尺を基準にして八咫に換算できるか。 >>523
日向等がって、なんか特別なの?
意味あるの? 質問に答えれないアホの子のために、回答例も入れておこう。
(括弧は岡上回答)
<論点おさらい>
1. 夏至と秋分、古代人にとってどちらが特定しやすいか。
(夏至)
2. 古代人は110日も数えれないぐらいアホなのかどうか。
(アホではない)
3. 卑弥呼を日巫女と解することは、事実上、役職名を類推しているということで良いか。
私と例のHPは、その意味で同じ「日巫女」との考えを持っていることで良いか。
(役職名を類推しているということでよい、岡上の考えとHPの考えはその意味で同じ。)
4. 平原一号墓からみて、10月20日の朝は日向峠から登るか?
(登る)
5. 平原の大鏡の円周長は、漢尺を基準にして八咫に換算できるか。
(できる) >>525
>5. 平原の大鏡の円周長は、漢尺を基準にして八咫に換算できるか。
無理
矛盾が指摘されてて反論なし 岡上のこのしつこい繰り返し…
八咫バカにくりそつだよなぁ >>525
>1. 夏至と秋分、古代人にとってどちらが特定しやすいか。
当然ながら春分秋分だよね
言うまでもない >>530
サインカーブって知ってるかな?
夏至と冬至は、数日間では太陽の位置があまり動かないから、
夏至(冬至)の日の出の方角というのはそれなりに正確に測れても、
夏至の「日」っていうのは分かりにくいんだよ >>525を見れば、お鏡さんは議論がしたいんじゃなく
「自分が正しいんだー」って言いたいだけなのが分かる
>>506には答えられない程度の論なんだよなww
平原1号墓が卑弥呼の墓(倭王の墓)ってのは、机上の空論
現実の墓の発掘平面図が出てくると、語る言葉を失う 日の出の位置がうごなくなったら夏至ですね。
運行を見るだけで、計測というほどもなく、わかりますね。
簡単だなぁ。
で、春分・秋分はどうでしたっけ??? 自分の主張についての議論さえできないなら、スレ立てなんてしなければいいのにねぇ どこかのスレで、テンプレ貼る時だけコテハンという猛者を見ましたけど?? >>535
「夏至の頃が分かる」というのと
「夏至の日が分かる」ってのは別物だぞ
常にこういう「話のすり替え」に走るのが、お鏡さんの限界であり、
説得力のある論を展開できない理由
本質が誠実じゃないんだよな
日本人はそういうのを本当に嫌う >>538
個人中傷は無意味ですよ。
で、「秋分の頃」 は、どうやったら、簡単にわかるんです? >>538
なんで同じことを何度も書かせるかなぁ?
自分は、「既に書いてあるのに分からないんですか?」
「理解力のない人のために何度も書いたりはしませんよ」で済ますくせに
>>199を再掲
それに対して、春分、秋分は真東から日が昇る日であり、この辺は一日での
日の出の位置の移動が一番早い時期なので、方位さえ正確に測れれば
春分の「日」は特定しやすい
ということもあって、古代の太陽暦の暦は春分基準が多いんだよ
こういう「常識」も、「夏至から110日はおかしい」の傍証
東の測定方法もすでに既出
>>515を再掲
南の方角は、日の出と日の入りを、同じ場所から観察して垂直二等分線を
引くことでかなり正確に求められる
そこから90度も、同じように求められる
東西南北の軸線は、古代でも相当な制度で計れるんだよ 同じ質問を何度もして、相手が答えずに流したら、それで勝ち誇る気なのかねぇ
こっちがきちんと答えてるのに、「はい、いいえ」じゃないから答えてないとか言い出す御仁だし >>539
>個人中傷は無意味ですよ。
だというなら、話のすり替えじゃないところを見せればいいのにw
そういう「根拠」に当たる部分はすっ飛ばして、相手の書き込みを
「一方的に」「個人中傷」だと決めつける
問われたことには話の論点をずらしてそらして基本的に答えずに、
自分の言いたいことだけを垂れ流すのが「お鏡さんスタイル」だな >>535
>日の出の位置がうごなくなったら夏至ですね。
>運行を見るだけで、計測というほどもなく
日の出の位置が動かなくなったかどうかは、
計測しないと分からないだろ?
何を言ってるんだ?
運行を見る、って言うのがすでに計測を含んでるんだぞ?
望遠鏡のない時代の計測をどんなものだと思ってるんだ? >>514
>みあれ祭は宗像大社
ありがとう、知らなかった
照富神社とみあれ祭の組合せってのも、妙と言えば妙だよね
照富神社のご祭神は天照大神で宗像三神じゃないし、山の中の神社だし
照富神社はこんな神社らしい
http://s.webry.info/sp/ponpoko.at.webry.info/201501/article_5.html >>541
お鏡さんは相手が答えずに流したらそれで勝ち誇る人
そして自分はいつもきちんと答えずに流す人 深夜まで一人で粘着お疲れ様です。
夏至と秋分の測定方法、どちらが簡単ですか?
夏至:日の出の移動が止まる地点を調べるだけ。3日間停止なら中日が夏至の日。
箸墓自体という夏至の方向を認識していた考古学的証拠あり。
秋分: 1.南の正確な方向を測定し、2. そこから正確に90度測
3.そしてその角度を正確に山側にまで延長して日の出地点を割り出す。
<<東の測定方法>>
南の方角は、日の出と日の入りを、同じ場所から観察して垂直二等分線を
引くことでかなり正確に求められる 。そこから90度も、同じように求められる
東西南北の軸線は、古代でも相当な制度で計れるんだよ >>546岡上
そんな的外れな論争、いい加減にやめれば? 時間の無駄。 @阿波 古代において、垂直二等分線を引いたり、そこから直角をとったりするのは、
簡単なことなんですかね? 机の上で定規とコンパスでやるような話じゃないですよ。
実際に地面の上でやらなきゃならない。
それ以前に日の出、日の入りのから垂直二等分線をとっても、
奈良は盆地なのですから、うまくぴったりと南にならないと思いますが。 阿波さん おはようございます。
私も飽き飽きですけど、10月10日の話は、私の大切な論点の一つですから。
放置しても勝手に論破扱いにされるし、個人中傷もされていますので、反論しておきたいというところです。
一日中5ちゃんを見ているようですし、粘着質に勝利宣言を挙げられ続けるのも迷惑ですので。 >>548
お鏡さんは古代人バカにしすぎww
>机の上で定規とコンパスでやるような話じゃないですよ。
>実際に地面の上でやらなきゃならない。
定規とコンパスとか行っているのが失笑もの
円は、ある点から一定の距離の点の集合
グラウンドで大きな円を描いた経験がないのかな?
棒と紐で、十分な精度の円弧が、地面の上に書けるんだよ
弥生時代には棒と紐もないという主張なのかな?
山があるからとか言うのは、適当な高さの台を使えばいいだけ
個人中傷って「ことにしたい」ようだけど、お鏡さんのやっていること、
実際の具体的な書き込みの内容に対する批判だよ
自分でスレ立てして、議論・質問から逃げ続けるお鏡さんw >>546
>3日間停止なら中日が夏至の日。
まるで理解していないな
3日停止どころじゃないぞ
一度きちんと調べてみたらどうだ
机上の空論であっても、もうちょっと正確な情報を入れてから論立てしなよ >>549
>10月10日の話は、私の大切な論点の一つ
それが大切だと言えるためには、
「平原1号墓が倭王の墓『でなければならない』」んだろ?
なのに、大事な大事な平原1号墓の杭列の話からは逃げ続ける
それに、「10月10日は大切」と言いながら、その論点を補強するために
出してくるのが10月「20」日の祭りの様子の「個人ブログ」
で、地元でもない照富神社が、宗像神社のみあれ祭を平原遺跡でやる理由は分かったかい?
普通に支離滅裂だと思うが?
でもこれが「大切な論点」なんだろ?
お鏡さんの言ってることはこの程度 粘着お疲れ様です。
>>551
じゃあなんで、箸墓は正確に夏至の方向を向いてんるんですか?
ご自身が正確に夏至の方向を向いていると主張されて、私も同意したわけですから。
停止する期間が5日でも7日でも一緒ですよ。中日を取るだけの簡単な作業ですから。
夏至は、日の出を見るだけの一工程。
秋分は、単純にしても三工程以上の複数の工程を正確にこなさないといけない。
どちらが簡単か、それこそ簡単な話です。 >>546
>粘着お疲れ様です。
粘着とか言って印象操作している暇があったら、
ぐうの音が出ないほどきっちり論証して見せてくれればいいんだよ?
正しく論破できたら、たいていのバカは消えるだろ? >>553
>箸墓は正確に夏至の方向を向いてんるんですか?
ほら、また話をずらすw
>>538を再掲
「夏至の頃が分かる」というのと
「夏至の日が分かる」ってのは別物だぞ
>>199から4回目かな?の四掲
サインカーブって知ってるかな?
夏至と冬至は、数日間では太陽の位置があまり動かないから、
夏至(冬至)の日の出の方角というのはそれなりに正確に測れても、
夏至の「日」っていうのは分かりにくいんだよ
何度も書いているのにどうして分からないフリをするんだ? 夏至の方角は、比較的簡単にそれなりに正確に分かる
夏至の日付は決めがたい
何度も書いているのに、なぜ理解しないで、何度もムダな同じ質問をするんだ? 垂直二等分線で真ん中を取るのは、数学的な一つの技術知識だから、難しそうな気はする
できたかもしれないできなかったかもしれない
できた集団が重宝されたのかもね。
地面で直角は3:4:5の長さの紐を用意すればできるよ。 >>556
中日を取ると書きましたが。
日本語読んで下さいね。
岡上@通勤中 >>519
>その中で「10月20日」というのは、
>最初に柳田先生が「たまたまその日に確認した」ってだけだ
「たまたま」がよほど好きなんだなw
その日を狙って確認したに決まってる。
そして予測の通りであり、おそらくは弥生人も日の出の方向を意識していた。 >>553
どちらが簡単かって?
東が海なら日の出が、西が海なら日の入りが
日時計と一直線になった日が春分秋分だよ その一直線がわかるなら夏至の日を観測した方がいいんじゃないですかね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています