伊都国東遷スレ 3
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1、魏志にある邪馬台国は「ヤマト」であり、倭王権の基礎となった。
2、だたし、その女王、「ヒミコ(日巫女)」とは伊都国の関係者である。
3、平原一号墓の巫女王は、東遷前の先代のものであり、銅鏡による太陽祭祀を主宰する「日巫女」の墓として、最もふさわしい。
<ポイント>
・記紀の伝承がおおむね歴史的事実の繁栄であることが視野に入ってくる
・唐古、鍵と纏向の間にある文化的断絶(銅鐸祭祀断絶と銅鏡祭祀開始)を伊都国勢力の進入から説明できる
柳田康雄の考え方(仮説)に基本的に一致しています。
<参考 URL >
歴史秘話ヒストリア 「女王卑弥呼はどこから来た?」
https://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/204.html
柳田康雄 「伊都国を掘る」2000年
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784479840541
柳田康雄 「 弥生王権論 伊都国からヤマト国へ」 2016年
http://www.city.itoshima.lg.jp/m043/010/040/070/030/kankotosyo.html それから、たまにしかお鏡さん名義で書き込まないことで、いろんなことに答えずに済ませているが、
この件については、ぜひ回答してほしい
再掲
そして、特別な儀式に対する疑問をこれから書く
お鏡さんが言うのは大柱の存在だが、その他にも平原1号墓の埋葬主体部の周りからは多くの柱穴が検出されている
埋葬主体部のすぐ周りに配置されているものは、方形に並べられ、また軸線上に少し離れて両側に1本ずつ柱穴があるため、棟持ち柱のある喪屋が想定されていたが、柱を立てるには穴が細すぎるということで、今は「杭(くい)列」跡とされているようだ
また主体部と大柱の間に二対の穴があり、これを「鳥居」のあとだと考える人もいる
ここで問題にしたいのは、これらの「杭列」「鳥居」の配列の「いい加減さ」だ
二つの「鳥居」は平行に立っていない
「杭列」もきちんと長方形にならず、歪んだ配置になっている
大事な女王を送る葬送施設の作りとしては杜撰だ
平原1号墓の平面図としてはこれが見やすいんじゃないかな
http://syoki-kaimei.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_221/syoki-kaimei/Y23E5B9B3E58E9FEFBC91E58FB7E5A2B3E585A8E4BD93E59BB3.jpg
そして、お鏡さんが大事にしている大柱と日向峠を結ぶ線と、埋葬主体部の軸線はずれている
埋葬主体部の軸線が、お鏡さん主張のレイラインとずれていること、
杭列、鳥居(?)の立て方が、幾何学的に整えられていないこと
の2点について、見解を聞かせて欲しい >>505
>実際に10月20日に日向峠から朝日が上がって見えているでしょ。
>見苦しいだけですよ。
逆だ、逆!
10月20日くらいから、10月30日くらいまで、肉眼では
「大体日向峠から日が昇る」ように見えるんだよ
その中で「10月20日」というのは、
最初に柳田先生が「たまたまその日に確認した」ってだけだ
「10月20日」を前提とした立論には意味がない、っていうのは分かるか?
結局「八咫の鏡」も原田大六氏の思いつきだし、お鏡さんは柳田先生や
原田氏の書いたことに、チェリーピッキング的に乗っかっているだけだろ?
だから、個別の批判には十分に答えられずに、
「見苦しいだけですよ。」というような情緒的な批判で、印象操作に走る
もうちょっとがんばれよ
ということで、>>506にはしっかり答えてね! >>506
図々しすぎでしょ?
自分は簡単な「はい、いいえ」も答えずに、
人のことを中傷、罵倒して誤魔化すくせに。 <論点おさらい>
1. 夏至と秋分、古代人にとってどちらが特定しやすいか。
2. 古代人は110日も数えれないぐらいアホなのかどうか。
3. 卑弥呼を日巫女と解することは、事実上、役職名を類推しているということで良いか。
私と例のHPは、その意味で同じ「日巫女」との考えを持っていることで良いか。
4. 平原一号墓からみて、10月20日の朝に日向峠から登るか?
どれも簡単に選択するだけですよ。
はい、どうぞ。 >>509
>図々しすぎでしょ?
>自分は簡単な「はい、いいえ」も答えずに、
>人のことを中傷、罵倒して誤魔化すくせに。
>>308を再掲
「最初の「卑弥呼=日巫女」は多くの人が推論としていっている部分 」
これは結論でも何でもなくて、多くの人が言っている「推論」
これをわざわざ「結論」という言葉を使うことで、
「論証した結末まで同じだ」という印象になるんだよ
「結論」は同じじゃない
それを、無関係な人も賛同しているように印象づけようという意図が透けて見える
これが回答だよ!
「はい、いいえ」以上に丁寧に答えてるだろ?
たまにしかお鏡さん名義で書き込まないことで、答えることを避けているんでしょ? 仕事ありますから、朝と夜だけですよ。
これでもだいぶと嫁からはパソコン見過ぎとかなり文句言われてますよ。
御託はいいから、 >>510 に答えてね。 結局、自分の言いたいことしか言わないんだよなぁ
しかも基本的に一方的に言うだけ
はぁ
>>510
>1. 夏至と秋分、古代人にとってどちらが特定しやすいか。
>>199を再掲
サインカーブって知ってるかな?
夏至と冬至は、数日間では太陽の位置があまり動かないから、
夏至(冬至)の日の出の方角というのはそれなりに正確に測れても、
夏至の「日」っていうのは分かりにくいんだよ
それに対して、春分、秋分は真東から日が昇る日であり、この辺は一日での
日の出の位置の移動が一番早い時期なので、方位さえ正確に測れれば
春分の「日」は特定しやすい
南の方角は、日の出と日の入りを、同じ場所から観察して垂直二等分線を
引くことでかなり正確に求められる
そこから90度も、同じように求められる
東西南北の軸線は、古代でも相当な制度で計れるんだよ
ということもあって、古代の太陽暦の暦は春分基準が多いんだよ
こういう「常識」も、「夏至から110日はおかしい」の傍証 >>510
>2. 古代人は110日も数えれないぐらいアホなのかどうか。
また「アホなのか」とかいう情緒的言辞でごまかしている
こちらの論点は、「110日を数える妥当性がない」だ
110という数字にも、110日後(10月8日前後)にも、
意味を付与する理由がない
そして、平原1号墓と日向峠の話から始まっているのであれば、
「10月20日」を言うならともかく、10月8日の110日目を持ち出すのは、
話が破綻しているとしか言いようがない
数えられるかどうかを問題にしているのではない
それに数えるにしても、秋分を跨いで夏至から数える
110日がどこから出てきたのか不詳
(モモソ姫だからといっていたのは知ってる) 御託は不要ですよ。
二択を選ぶだけでいいんですよ。 >>510
>3. 卑弥呼を日巫女と解することは、事実上、役職名を類推しているということで良いか。
>私と例のHPは、その意味で同じ「日巫女」との考えを持っていることで良いか。
また話を逸らしている
こちらが最初に書いたのは、
「例のHPでは「結論」として、日巫女=卑弥呼としている訳ではない」だ
推論として、卑弥呼=日巫女としている人は少なからずいる
例のHPでも、推論として「卑弥呼=日巫女」という立場をとっている
ただ、それが「固有名詞」か、「役職名であって個人名は別にある」、
とするかは人によって異なる >>510
>4. 平原一号墓からみて、10月20日の朝に日向峠から登るか?
10月20日にも、昇る日の端が日向峠にかかる、が正しい
>>507を再掲
10月20日くらいから、10月30日くらいまで、肉眼では
「大体日向峠から日が昇る」ように見えるんだよ
その中で「10月20日」というのは、
最初に柳田先生が「たまたまその日に確認した」ってだけだ
「10月20日」を前提とした立論には意味がない、っていうのは分かるか? >>513
>御託はいいから、 >>510 に答えてね。
全部答えたぞ!
では、今はパソコンの前にいるんだから、>>506に答えてみそ?
自説に都合の悪いことは、答えたくない、ですか? もう一度描きますよ。
御託は不要です。二択を選ぶだけでいいんですよ。 選択するだけなんで簡単なんだから、もう一問足しておこう。
一番ホットな質問を忘れていました。
<論点おさらい>
1. 夏至と秋分、古代人にとってどちらが特定しやすいか。
2. 古代人は110日も数えれないぐらいアホなのかどうか。
3. 卑弥呼を日巫女と解することは、事実上、役職名を類推しているということで良いか。
私と例のHPは、その意味で同じ「日巫女」との考えを持っていることで良いか。
4. 平原一号墓からみて、10月20日の朝は日向峠から登るか?
5. 平原の大鏡の円周長は、漢尺を基準にして八咫に換算できるか。 >>523
日向等がって、なんか特別なの?
意味あるの? 質問に答えれないアホの子のために、回答例も入れておこう。
(括弧は岡上回答)
<論点おさらい>
1. 夏至と秋分、古代人にとってどちらが特定しやすいか。
(夏至)
2. 古代人は110日も数えれないぐらいアホなのかどうか。
(アホではない)
3. 卑弥呼を日巫女と解することは、事実上、役職名を類推しているということで良いか。
私と例のHPは、その意味で同じ「日巫女」との考えを持っていることで良いか。
(役職名を類推しているということでよい、岡上の考えとHPの考えはその意味で同じ。)
4. 平原一号墓からみて、10月20日の朝は日向峠から登るか?
(登る)
5. 平原の大鏡の円周長は、漢尺を基準にして八咫に換算できるか。
(できる) >>525
>5. 平原の大鏡の円周長は、漢尺を基準にして八咫に換算できるか。
無理
矛盾が指摘されてて反論なし 岡上のこのしつこい繰り返し…
八咫バカにくりそつだよなぁ >>525
>1. 夏至と秋分、古代人にとってどちらが特定しやすいか。
当然ながら春分秋分だよね
言うまでもない >>530
サインカーブって知ってるかな?
夏至と冬至は、数日間では太陽の位置があまり動かないから、
夏至(冬至)の日の出の方角というのはそれなりに正確に測れても、
夏至の「日」っていうのは分かりにくいんだよ >>525を見れば、お鏡さんは議論がしたいんじゃなく
「自分が正しいんだー」って言いたいだけなのが分かる
>>506には答えられない程度の論なんだよなww
平原1号墓が卑弥呼の墓(倭王の墓)ってのは、机上の空論
現実の墓の発掘平面図が出てくると、語る言葉を失う 日の出の位置がうごなくなったら夏至ですね。
運行を見るだけで、計測というほどもなく、わかりますね。
簡単だなぁ。
で、春分・秋分はどうでしたっけ??? 自分の主張についての議論さえできないなら、スレ立てなんてしなければいいのにねぇ どこかのスレで、テンプレ貼る時だけコテハンという猛者を見ましたけど?? >>535
「夏至の頃が分かる」というのと
「夏至の日が分かる」ってのは別物だぞ
常にこういう「話のすり替え」に走るのが、お鏡さんの限界であり、
説得力のある論を展開できない理由
本質が誠実じゃないんだよな
日本人はそういうのを本当に嫌う >>538
個人中傷は無意味ですよ。
で、「秋分の頃」 は、どうやったら、簡単にわかるんです? >>538
なんで同じことを何度も書かせるかなぁ?
自分は、「既に書いてあるのに分からないんですか?」
「理解力のない人のために何度も書いたりはしませんよ」で済ますくせに
>>199を再掲
それに対して、春分、秋分は真東から日が昇る日であり、この辺は一日での
日の出の位置の移動が一番早い時期なので、方位さえ正確に測れれば
春分の「日」は特定しやすい
ということもあって、古代の太陽暦の暦は春分基準が多いんだよ
こういう「常識」も、「夏至から110日はおかしい」の傍証
東の測定方法もすでに既出
>>515を再掲
南の方角は、日の出と日の入りを、同じ場所から観察して垂直二等分線を
引くことでかなり正確に求められる
そこから90度も、同じように求められる
東西南北の軸線は、古代でも相当な制度で計れるんだよ 同じ質問を何度もして、相手が答えずに流したら、それで勝ち誇る気なのかねぇ
こっちがきちんと答えてるのに、「はい、いいえ」じゃないから答えてないとか言い出す御仁だし >>539
>個人中傷は無意味ですよ。
だというなら、話のすり替えじゃないところを見せればいいのにw
そういう「根拠」に当たる部分はすっ飛ばして、相手の書き込みを
「一方的に」「個人中傷」だと決めつける
問われたことには話の論点をずらしてそらして基本的に答えずに、
自分の言いたいことだけを垂れ流すのが「お鏡さんスタイル」だな >>535
>日の出の位置がうごなくなったら夏至ですね。
>運行を見るだけで、計測というほどもなく
日の出の位置が動かなくなったかどうかは、
計測しないと分からないだろ?
何を言ってるんだ?
運行を見る、って言うのがすでに計測を含んでるんだぞ?
望遠鏡のない時代の計測をどんなものだと思ってるんだ? >>514
>みあれ祭は宗像大社
ありがとう、知らなかった
照富神社とみあれ祭の組合せってのも、妙と言えば妙だよね
照富神社のご祭神は天照大神で宗像三神じゃないし、山の中の神社だし
照富神社はこんな神社らしい
http://s.webry.info/sp/ponpoko.at.webry.info/201501/article_5.html >>541
お鏡さんは相手が答えずに流したらそれで勝ち誇る人
そして自分はいつもきちんと答えずに流す人 深夜まで一人で粘着お疲れ様です。
夏至と秋分の測定方法、どちらが簡単ですか?
夏至:日の出の移動が止まる地点を調べるだけ。3日間停止なら中日が夏至の日。
箸墓自体という夏至の方向を認識していた考古学的証拠あり。
秋分: 1.南の正確な方向を測定し、2. そこから正確に90度測
3.そしてその角度を正確に山側にまで延長して日の出地点を割り出す。
<<東の測定方法>>
南の方角は、日の出と日の入りを、同じ場所から観察して垂直二等分線を
引くことでかなり正確に求められる 。そこから90度も、同じように求められる
東西南北の軸線は、古代でも相当な制度で計れるんだよ >>546岡上
そんな的外れな論争、いい加減にやめれば? 時間の無駄。 @阿波 古代において、垂直二等分線を引いたり、そこから直角をとったりするのは、
簡単なことなんですかね? 机の上で定規とコンパスでやるような話じゃないですよ。
実際に地面の上でやらなきゃならない。
それ以前に日の出、日の入りのから垂直二等分線をとっても、
奈良は盆地なのですから、うまくぴったりと南にならないと思いますが。 阿波さん おはようございます。
私も飽き飽きですけど、10月10日の話は、私の大切な論点の一つですから。
放置しても勝手に論破扱いにされるし、個人中傷もされていますので、反論しておきたいというところです。
一日中5ちゃんを見ているようですし、粘着質に勝利宣言を挙げられ続けるのも迷惑ですので。 >>548
お鏡さんは古代人バカにしすぎww
>机の上で定規とコンパスでやるような話じゃないですよ。
>実際に地面の上でやらなきゃならない。
定規とコンパスとか行っているのが失笑もの
円は、ある点から一定の距離の点の集合
グラウンドで大きな円を描いた経験がないのかな?
棒と紐で、十分な精度の円弧が、地面の上に書けるんだよ
弥生時代には棒と紐もないという主張なのかな?
山があるからとか言うのは、適当な高さの台を使えばいいだけ
個人中傷って「ことにしたい」ようだけど、お鏡さんのやっていること、
実際の具体的な書き込みの内容に対する批判だよ
自分でスレ立てして、議論・質問から逃げ続けるお鏡さんw >>546
>3日間停止なら中日が夏至の日。
まるで理解していないな
3日停止どころじゃないぞ
一度きちんと調べてみたらどうだ
机上の空論であっても、もうちょっと正確な情報を入れてから論立てしなよ >>549
>10月10日の話は、私の大切な論点の一つ
それが大切だと言えるためには、
「平原1号墓が倭王の墓『でなければならない』」んだろ?
なのに、大事な大事な平原1号墓の杭列の話からは逃げ続ける
それに、「10月10日は大切」と言いながら、その論点を補強するために
出してくるのが10月「20」日の祭りの様子の「個人ブログ」
で、地元でもない照富神社が、宗像神社のみあれ祭を平原遺跡でやる理由は分かったかい?
普通に支離滅裂だと思うが?
でもこれが「大切な論点」なんだろ?
お鏡さんの言ってることはこの程度 粘着お疲れ様です。
>>551
じゃあなんで、箸墓は正確に夏至の方向を向いてんるんですか?
ご自身が正確に夏至の方向を向いていると主張されて、私も同意したわけですから。
停止する期間が5日でも7日でも一緒ですよ。中日を取るだけの簡単な作業ですから。
夏至は、日の出を見るだけの一工程。
秋分は、単純にしても三工程以上の複数の工程を正確にこなさないといけない。
どちらが簡単か、それこそ簡単な話です。 >>546
>粘着お疲れ様です。
粘着とか言って印象操作している暇があったら、
ぐうの音が出ないほどきっちり論証して見せてくれればいいんだよ?
正しく論破できたら、たいていのバカは消えるだろ? >>553
>箸墓は正確に夏至の方向を向いてんるんですか?
ほら、また話をずらすw
>>538を再掲
「夏至の頃が分かる」というのと
「夏至の日が分かる」ってのは別物だぞ
>>199から4回目かな?の四掲
サインカーブって知ってるかな?
夏至と冬至は、数日間では太陽の位置があまり動かないから、
夏至(冬至)の日の出の方角というのはそれなりに正確に測れても、
夏至の「日」っていうのは分かりにくいんだよ
何度も書いているのにどうして分からないフリをするんだ? 夏至の方角は、比較的簡単にそれなりに正確に分かる
夏至の日付は決めがたい
何度も書いているのに、なぜ理解しないで、何度もムダな同じ質問をするんだ? 垂直二等分線で真ん中を取るのは、数学的な一つの技術知識だから、難しそうな気はする
できたかもしれないできなかったかもしれない
できた集団が重宝されたのかもね。
地面で直角は3:4:5の長さの紐を用意すればできるよ。 >>556
中日を取ると書きましたが。
日本語読んで下さいね。
岡上@通勤中 >>519
>その中で「10月20日」というのは、
>最初に柳田先生が「たまたまその日に確認した」ってだけだ
「たまたま」がよほど好きなんだなw
その日を狙って確認したに決まってる。
そして予測の通りであり、おそらくは弥生人も日の出の方向を意識していた。 >>553
どちらが簡単かって?
東が海なら日の出が、西が海なら日の入りが
日時計と一直線になった日が春分秋分だよ その一直線がわかるなら夏至の日を観測した方がいいんじゃないですかね。 >>559
>「たまたま」がよほど好きなんだなw
>その日を狙って確認したに決まってる。
その日を狙う理由が「ない」 東西どちらかに地平線か水平線が見える場所なら
春分秋分が一番簡単 お鏡理論では、夏至から110日が大切だそうだが、
それなら10月8日なんだよな、太陽暦で
10月10日とか10月20日とかはどこから出てきて、
どうしてその日を狙わなきゃいけないんだ?
その説明があるならしてくれ、と何度聞いても
「粘着されてタイヘ〜ン」としか言わない
印象操作する暇に説明すればいいのに
説明できるなら、だけどさ 宮中の祭祀と同じで、だれも正確な理由は知らないし、太陽暦と太陰暦の換算をした明治以降にも混乱がある。
仕方のないことだ。、 倭人の暦ははっきりせず、曖昧だったんだよ。
魏志倭人伝も、それ示唆している。
おそらく神嘗祭と新嘗祭はもともと同じ祭りだったが、ずれて分裂して別の月になった。
明治の時に太陽暦に固定したが、それもいい加減で、一月ずらしたりしている。
平原遺跡の祭祀がそれよりも高い精度であったとは考えにくいから、数日単位でこだわるのは無意味。 魏略が「其俗不知正歳四節、但計春耕秋收為年紀」と書いてるからねえ
レイライン説そのものが眉唾ってことだろう まあ、大まかに春秋の日の出の方向になっているという認識だったのだろう。
平原遺跡から見た日向峠の日の出を一年の基準にしたのだろう。
中国人から見たら、ひどく適当でおかしなことのように見えただろうね。
でも倭人にとっては、ヒムカ様がヒムカからの日の出をもとに田植えと稲刈りの時期を決めるのは当然のことだったろうね。 妄想の上に妄想を積み上げたものを当然といわれてもな ってか・・・
日向峠から朝日が上がって見えるという
10月20日って、なんの日なんだ?
話が見えない 死んだ後の墓だから田植えと稲刈りは関係ないだろ
頭も西に向けてるから日向峠は関係ないし 畿内説が見事に粉砕されたので
纏向は伊都国東遷の証と証明されました それより、日向峠ってなんで特別視されてるの?
なんか意味あるの? >>582
>頭も西に向けてるから日向峠は関係ないし
埋葬主体部の軸線が、お鏡さんの主張する日向峠と平原遺跡を結ぶ直線と
はっきりずれているんだよな
主体部の軸線は、日向峠よりも南に向いている
この辺も、お鏡さん自身の見解を聞きたいんだが、
決して答えようとはしないんだよな >>585
>それより、日向峠ってなんで特別視されてるの?
伊都国説の人たちにとっては、記紀にある天孫降臨後の「日向」三代は
伊都国の物語だってことになっていて、筑紫の日向=伊都国
その証拠に「日向峠」に「日向」の地名が残っているって論法なんだよ
伊都国説にとっては、根幹に関わる大事な地名 >>573
>平原遺跡の祭祀がそれよりも高い精度であったとは考えにくいから、数日単位でこだわるのは無意味。
「数日単位でこだわるのが無意味」はいいんだけど、
数日が無意味なところで「110日を積み上げる」っていうのは意味があるのか?
110日にどんな意味があるのかもはっきりしないし
お鏡さんが大事にしているのは、10月20日で122日目
110日とどんな関係があるんだ?
一度モモソヒメからの類推だとお鏡さんが書いていたが、モモソヒメが
親魏倭王の日巫女で、その母親の日巫女が110日に関係するからモモソヒメって
名前にしたって言いたいのかな?
でも、10月20日ならどうやっても110という数字は出てこない
夏至から12日後から数えて、110日目なら10月20日になるけれど
大体、日本の祭りは満月の晩が一つの基準だろ?
まあ、それは太陰暦がしっかりしてからの話なのかもしれないが >>587
>>588
日向峠は伊都王都である三雲遺跡群から東の早良平野に抜ける重要交通路にある峠
北側には「高祖山」あり 日向峠から早良平野に抜け
油山山麓を東進すると那珂・須玖・板付の奴国に至る >>583
東遷したなら三雲遺跡と同レベルの出土品があるはずだろう。 >>590
>伊都王都である三雲遺跡群
末慮国と奴国の国邑の位置も分かったら教えて >>590
高祖山と日向峠の間にある峰をくしふる山と言うらしい。
つまり、筑紫の日向のくしふる山だね。
そこにあったとされるのが高千穂宮だ。
このくしふる山、奈良時代には怡土城という中国式山城があった。
これがもっと古くに起源を持つなら、山上から山麓まで囲む楼閣であり、魏志倭人伝の楼閣高くしてという記述や、記紀の高千穂宮という名称に一致する。 >>593
神道の教義を伝える祝詞の中でも、国生みをしたイザナギの禊の場所を伝えるのがこのフレーズ。
祓詞
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時に生り坐せる祓戸の大神等 諸諸の禍事 罪 穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を 聞こし食せと恐み恐みも白す >>594
これが難しい。
代々の墓なら三雲だが、行政地区なら前原、王城なら高祖宮が伊都国になる。
郡使が滞在したなら、前原の方だと思うのだが、とにかくそれにより末盧国の解釈が変わる。 >>558
>中日を取ると書きましたが。
>日本語読んで下さいね。
サインカーブと何度も書いてありますが?
日本語読んでくださいね?
サインカーブは日本語じゃない、ですか?
じりじり遅くなって、肉眼観察では動かない程度の日が1週間程度あるが、
いつから動かないとするか、いつから動き出したとするか、決めがたいんだよ
前に、10月20日の日の出の方角だっていって、やたら太い線のアプリの画像を
上げていたが、それを使って夏至の前後の日の出の方角がどう動くか、確認してみたら?
そして、日本の夏至の時期は梅雨にかかったりするし毎日「観測」できる訳でもない
夏至の日の出の方角は、それなりの精度で出すのはたやすいが、
夏至の日を特定するのはお鏡さんが思うよりずっと難しいよ >>596
>神道の教義を伝える祝詞の中でも、国生みをしたイザナギの禊の場所を伝えるのがこのフレーズ。
祓詞
掛けまくも畏き 伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊ぎ祓へ給ひし時に 生り坐せる祓戸の大神等 諸々の禍事・罪・穢 有らむをば 祓へ給ひ清め給へと 白すことを聞こし召せと 恐み恐みも白す
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」
倭国(阿波)の「竺紫(とくし)」で、倭国(阿波)の「阿波岐原」
高らかに、倭国(阿波)を讃えていますね。 @阿波 >>596
>筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に御禊祓へ給ひし時
禊をするくらいだから、海辺だよね?
まあ、川でもいいんだけれど、その禊で産まれた神の名前が
底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命であることを思うと、
それなりに深さのある海が想定される
でも日向峠は山の上
峠の一帯が日向だという見方も可能だが、それなら峠以外になぜ日向の地名が
残らなかったのかという疑問が生じる
地名というのは言葉の化石と言われるくらい長く残るものだから、
日向峠以外に日向のない『日向の地』というのは考えにくいのも事実 筑紫の日向に首都(伊都)を作ったんだから(日向峠に作ったわけじゃない)
糸島市の最初期の旧称が日向なんだろうね。
イザナギの頃は糸島市のあたりが日向だった。
そう考えると、イザナギというのは菜畑遺跡など唐津や壱岐の、
日本最初期の発展地域の出身と考えれば合点がいく。
その後しばらくは、早良平野福岡平野が中心地となるから、
日向へ抜ける峠は日向峠。
日向に降臨して首都を作った時に、日向→伊都に名称が変わったわけだ。 なぜ天孫降臨の地が南九州の日向になったか?
筑紫国造磐井の乱があり、筑紫のままだと磐井が正当化されてしまうからだ イザナギの禊の場所、筑紫の日向の小戸は博多湾に面している福岡市西区になる。
禊にちなんだ住吉神社はもともとそこにあったとされる。 つまり記紀でも祝詞でも、筑紫の日向、魏志倭人伝における伊都が倭国王権の発祥の地、代々の王都としているんだよ。
その王宮の名が高千穂宮、3世紀の王は卑弥呼となる。 >>603
筑紫の日向にニニギが降臨(記紀
それが三雲南小路遺跡
というのが伊都説でしょう?
だったら簡単で、筑紫の日向=三雲南小路遺跡のある糸島市(伊都)。
もともとは日向という土地だったのが、都になったから、
伊都に名称変更されて、
その後は怡土とか糸島とかになるわけでしょう。
日向峠という峠の名称だけが残ったわけです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています