なんだろう
この件も鏡もどう論じても、出土している事実と墓の様相は否定できない。
当時の文献等皆無なのだから、すべて"〜だっただろう"になり、それはかなり後世の事柄からしか推論できないのでは完全否定はできないんだよな

だから考古学的事実は重い。

鏡も柱もだが、八咫鏡では単位でないなら「咫」の意味合いは何だったのか?の論証が必要となるし、
柱の件では、鳥居ではないなら何のための柱だったのか?も必要となる。

つまり、すべてが推論である以上、できるだけ否定したいなら、代案が必要なんだよ。
単位、鳥居以上の可能性の高い推論が必要となるね。