凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part36
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荒れないためのルールを作っておきます。
・城壁の議論や城壁以外の議論を妨害・規制することを禁止
両者とも双方敬意を表して尊重し共存してマターリ進行すること。
・中世の城スレッドなどの他のスレッドへレスするか
当城総合スレッドに書き込むかは各人それぞれの自由な選択に基づき任意である。
・他のスレッドへの強引な勧誘、誘導は差し控えて、レスする当人の自由な選択を
スレッドの住人間相互に尊重すること。
・落とし格子に関する議論をスルーしたりして妨害するのは禁止です。
以上のルールを立てておきます。
城総合スレッドですので城壁の議論だろうがそれ以外の議論だろうが、
規制する行為は荒らし行為と見なし、両者相互に尊重してマターリ共存していきましょう。
また、上記ルールを否定、批判するのも荒らし行為といたします。
前スレ
凸凸凸日本の城総合スレ凸凸凸Part35
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1495030368/ 不適かどうかは実際に作ってみないと分らないし
>>186
鬼之城があった地域は吉備氏の分派の賀陽氏の支配地域なので技術監修は百済人だけど
所有者は賀陽氏
国造制が解体された後は国司麾下の律令軍が接収したんじゃない >>198
朝鮮山城が倭国に適合するかどうか作ってみなければわからない
というのでは中大兄の政治センスを疑がっているが・・・ 朝鮮式山城は定着しなかったところを見ると、よっぽど使い勝手が悪かったのだろうな?
どこが悪かったのかなぁ? 武士の発生し、本格的に活動する時期と朝鮮式山城が作られた時期とに大きな乖離があるからだろ。
武士からしたら、朝鮮式山城は忘れ去られたオーパーツだ。 >>201
それでも民生技術として活用はできなかったのか?
と考えるのだけどな。 律令国家は軍事技術が民間に流出することに対してめっちゃ厳しいからな
弩みたいに技術を秘匿した結果忘れ去られていったんだろ >>203
そういやぁ
司馬遼太郎が、律令国家は武力だけで押さえつけていたのではなしに、
国分寺や国分尼寺を全国に作って遣唐使の成果を
配ることによって、権威を保っていたとの趣旨のことを言っていたな。 朝鮮山城は倉庫と貯水池があるがなぜ山を選ぶのか
周囲4kmとか6kmとか大きい 用途はなんだったんだ
筑紫野市では大野城・基肄城・水城を結び大宰府を囲む羅城(51km)の一部が発見された
泗沘のプランと比較できるらしい 吉備には羅城はないだろうな
http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/data/open/cnt/3/6900/1/gensetsushiryou_ippan.pdf >朝鮮山城は倉庫と貯水池があるがなぜ山を選ぶのか
防御しやすいから
>周囲4kmとか6kmとか大きい 用途はなんだったんだ
住民を守るため
というか町が無防備になってる日本のほうが例外的で中国にしろヨーロッパにしろ中東にしろ
町は普通は城壁に囲まれてる者でしょ
中国でいう城と言ったらもっぱこっちのことで姫路城とか熊本城みたいな日本の城に当たるものは山塞とか保塁という >>201
いい加減ロストテクノロジーとオーパーツの区別ぐらいつけような
朝鮮山城は場違いでもオカルトでもなんでもないただの継承されなかった技術 大宰府羅城は継承するにはスケールがでかすぎる
筑紫野市によると大宰府羅城は古代の東アジア最大の可能性に触れている 最大「級」に入るけど最大は言い過ぎじゃない?
同時期の長安城は東西10q南北9qほどで外郭部の禁苑は15q四方
洛陽城は7q四方で外郭の神都苑は20km四方で大宰府羅城の57qよりはるかにデカい
それでも五指に入るレベルなのは間違いないけど >>202
福岡県にある古代の牧址(中世後期には山野にかえっている)を見に行った事があるが、石積は全く別物だったよ >>210
倭国の中大兄が朝鮮山城をつくらせただけでなく
なぜ東アジア最大級の羅城を築かせたのだろう
書紀はまた羅城についてなぜ触れなかったのだろう >>212
城を築いたのは日本国滅亡の最大に危機だったからだろう
書いてないのは作った主勢力が滅びたからだろう >>207
山城内に町が作られたかは疑問だけどなあ
近世城郭なら、堀で城下町を囲んで防御している面もあるのではなかろうか
あと、 中世は戦乱に際して、住民を城中に避難させることはよくあっただろ >>213
水城(664築城) 大野城(665年築城) 基肄城(665年築城)だが
倭国王は665年中には封禅の儀に行くことが決まった
懸命に防衛施設を作ったはずだがなぜ簡単に列席する?
危機などなかったかのようにみえるが ユネスコの諮問機関は縄文遺跡群の世界遺産登録に際して、
北東アジア地域の中での意味を求めてくるそうだが推進者にはその点が不足しているという
朝鮮山城や大宰府羅城についても、国内の視点だけでなく
東アジアの歴史から語らないといけないと思うのだなぁ >>206
まず水源地ありきで、それを丸く囲んでる山並みの稜線上に城壁を築くんだよ。
住民込みの籠城前提だから、都邑がまるっと移転する逃げ城みたいななもんだな。 >>202
大仏建立の様に、技術は継続的な必要性がなければ継承されないと思う。 >>207
ヨーロッパや中国の城壁の役割は大宰府の羅城が果たしていると思われ
朝鮮山城は住民を守るため? >>218
ふむ
チャンバラ技術だけ進歩して大砲の技術が止まった江戸時代みたいな >>215の疑問
水城(664築城) 大野城(665年築城) 基肄城(665年築城)と
倭国王が665年中には封禅の儀に行くことが決まった事は史実 である
しかし、懸命に防衛施設を作った人物が簡単に封禅の儀に列席することはありえない。
この謎は同一人物でないと考えると解ける
朝鮮山城を作った人物は倭国ではなく本人が滅亡する最大の危機だった
封禅の儀に列席する倭国王は朝鮮山城を作った人物とは別の人物なのだろう >>219
「朝鮮の役と日朝城郭史の研究」によると朝鮮出兵後の朝鮮王朝では日本の城制を取り入れるという話が持ち上がったのだが
避難民を収容するスペースがないということで結局お流れになったらしい >>224
ほう 朝鮮では城は住民を守る目的があるということなんだな
日本の城がお流れになったは日本では城は住民を守る目的を持っていなかったということか
政治の違いというかすごい違いだな 日本の城の基本的な構造である本丸二の丸の分節化すら解せぬから
スレタイも読めず、延々と祖国の城の話を続けているのですね、わかります。 さっさとNG ワード指定してスッキリしましょう
チョンになにいっても無駄 白村江の頃はまだガチガチの統一王朝でなくて地方豪族が力を持っていた時代だろう。
実際には九州を中心とする豪族連合が朝鮮へ兵を出し、壊滅的打撃を被り、衰退、中央に取り込まれていく過程も含まれてるのではなかろうか。
その中央でも後に壬申の乱が起きているわけで、海外情勢に振り回されっぱなしよ。 >>226
古代のことを知らないからわからなくなってきた? アンカーミス?
それとも朝鮮の役云々のスレの流れが読み取れない、日本語が得意な外国人?
あ!そっか、時代区分でいえば朝鮮は古代の次が日本統治で、中世も近世もないんだよなw
なんでこの子日本人のBBSにいるんだろう? >>225
中央集権的な郡県制が続いてた半島と封建制と長い間荘園や私領に分断されて分散的に集落がある日本では
求められる収容スペースに違いが出るのは当然だろ
あっちは下手したら十万以上の人数を収容しないといけないし
日本でも三都や御三家の本拠地といった人口過多なところはいずれも総構えが作られている >>229
ハクスキエに出兵した勢力と朝鮮山城群を作った勢力は別だな
前者は唐に降参したが 後者は降参していない
壬申の乱は後者(朝鮮山城をつくった天智)が古い勢力に潰されたというところか >>232
藤木久志の『雑兵たちの戦場―中世の傭兵と奴隷狩り』は戦場で奴隷狩りだぜ〜という童貞厨房が食い付きたがる記述だけが
一部で注目されているけど、この本の大半は中世の民衆が戦乱に巻き込まれない方策が記されてある。
民衆の大虐殺が当たり前の大陸と日本では前提が違うのだから、>>232の感想はそもそもお門違いなんだよ。
日本の家は夏の暑さ対策が最優先で設計されているのに、日本の家は冬が寒いから駄目と言っているのと同じ。 何の脈絡もなく童貞厨房という言葉が唐突に出てくるのは
本人が性経験にコンプレックスをもってる裏返しだろうな
ついでに言うとお前の挙げた藤木の本には民衆の虐殺が常態化していたことや
自衛のために民衆が城に逃げ込むことも日常茶飯事だったことが書いてあるぞ 藤木理論だと戦国の合戦のほとんどは飢饉で食い扶持なくした百姓をほっとくと治安問題になるので
戦争に行かせて数減らす「口減らし」目的ってことになってるが
というか君は前スレで黒田の著書をろくに読まずに知ったかしてあげてた奴だろ
ついでに言うと日本建築スレのほうにも書き込んでるようだな 藤木のどの版を指してのか知らんけど、まともに読まずに斜め読みした知ったかぶりでマウントってすげーな。
自分にとって都合の良いように書かれていると他人の著作を利用するのは、そんなに気分がいいのかい? あぁあと、235-236を読んだ所感だが、
敵が多いんだね、君。 村々に火を放ち、どさくさに紛れて女性や児童を乱取りし、生捕った越後の人々を甲斐に連れ帰って、自分の召使い(奴隷)にした、という。
「越後の者をらんどり」、「らんぼうに女・わらんべを取り」の、乱取り・乱妨の被害は女性と児童に集中していた。(28p)
秀吉の平和というのは、国内の戦場にあふれていた巨大な濫妨エネルギーに、新たなはけ口を与えることで実現され、それと引き替えにして、
ようやく国内の戦場を閉鎖することができた。だから秀吉は、名誉欲に駆られ、国内統一の余勢をかって、外国に侵略に乗り出したというより、
むしろ国内の戦場を国外(朝鮮)に持ち出すことで、ようやく日本の平和と統一権力を保つことができた、という方が現実に近いことになるだろう。
(206p)
>>237
でお前の持っているその版とやらには同じページに何て書いてあるんだ?
相変わらず学習能力がないようだな
つうか最初に藤木の本だしてきたのはお前だろ 村々に火を放ち、どさくさに紛れて女性や児童を乱取りし、生捕った越後の人々を甲斐に連れ帰って、自分の召使い(奴隷)にした、という。
「越後の者をらんどり」、「らんぼうに女・わらんべを取り」の、乱取り・乱妨の被害は女性と児童に集中していた。(28p)
秀吉の平和というのは、国内の戦場にあふれていた巨大な濫妨エネルギーに、新たなはけ口を与えることで実現され、それと引き替えにして、
ようやく国内の戦場を閉鎖することができた。だから秀吉は、名誉欲に駆られ、国内統一の余勢をかって、外国に侵略に乗り出したというより、
むしろ国内の戦場を国外(朝鮮)に持ち出すことで、ようやく日本の平和と統一権力を保つことができた、という方が現実に近いことになるだろう。
(206p)
>>237
でお前の持っているその版とやらには同じページに何て書いてあるんだ?
相変わらず学習能力がないようだな
つうか最初に藤木の本だしてきたのはお前だろ いきなり人格攻撃。
あちこちのスレに敵がいるアピール。
妄想・思い込みによる決めつけが思考の前提。
なぁ立場が逆なら、君もこう思うんじゃない?「こいつ、きもい」と。
90年代に左翼が敷衍したやつを持ち出したり、主張に一貫性の欠片もないな、君。 このバカのレス晒上げ
788日本@名無史さん2018/02/11(日) 18:44:08.48
あぁ、『』と「」の使い分けができていないということは素人か…
じゃ学術用語の使い分けもできない罠
俺が言っているのは二行目ね
どう受け取って大規模家長制云々が返ってきたのか
ちょっと見当がつかないけど
794日本@名無史さん2018/02/12(月) 00:16:54.05
いや、それ。何の回答にもなってないし。
取り敢えず、会話が成立していないのに気づけよ。
一部のサンプル例から敷衍しているだけだと確認しても、俺に何のメリットがあるの?
そもそも、用語を適切に使用していないことが明らかな時点で議論にならないし、
完全にスレチだ罠。 85日本@名無史さん2017/12/22(金) 19:10:07.49
>>74
つうか、君、人の言わんとしてることわかってないよねw
あのさあ、寺院としての規模なら東本願寺とかそんなもん凌いでるのは比叡山とかだろってのw
今問題にしてるのはモニュメントとしての巨大建築だろってのw
一つの建物としての規模が巨大な物の話してるのに、”建物群”の本願寺出してくるとか馬鹿なの?w
w
88日本@名無史さん2017/12/22(金) 19:25:36.48
痛いとこ突かれて自分の意見否定されると、”こいつはマウント取りたい”だけとかほんと馬鹿なのかな?w
幼稚な自分本位のレスしてるから、痛い思い込みを突っついてるだけだよw
日本の建築がもともとが輸入された技術により確立したのは事実だが、そこから2千年くらいへて、
日本独自の技術、日本の気候・風土・趣向が加わって、今の高度な日本建築が出来上がって来たわけだよ。
それを何も知らないくせに知ったかの自分の思い込みで批判するようなこと言うから、
そんなもん傍から見てると方腹痛いっつのw
君、恥ずかしいよw 260日本@名無史さん2018/01/16(火) 13:07:05.09
>>259
君さあ、人の言ってること、
自分に都合よく曲解してるけどさあ、
>中国の伝統建築がお前の言う組積造なら
そうは言ってないけれど。
中国の建築の技法として組積技術も発達しているとは言ってるけれどね。
中国の建築が木工造が基本なのは一目瞭然だろw
逆に上記の資料通りなら良いことづくめだと思うがw
中国の建築技術が未熟などとよく言えるねw
486日本@名無史さん2018/02/17(土) 20:32:58.37
>>471
あのさあ、今 羽生君が陰陽師踊ってるの見ながらレスするけどさ、
日本の文化も朝鮮の文化も、中国から輸入された文化の上に成り立ってるんだわ。
中国の文化の良いとこ取りして、自分らの国の風土に合わせて成り立った日本文化なんだわ。
489日本@名無史さん2018/02/17(土) 21:02:54.26
>>487
そんな事もわからないの?
駄目なやつだなあ…
君、いったい今まで何を勉強してきたわけ? あぁ黒田って黒田基樹氏のことね。
あの時の、会話が噛み合わない日本語が上手な外国人か。
指摘しても理解できないだろうけど、俺は引用符の誤用なんかしないから。
君の敵は一人じゃないよ。 古代厨はもう別スレたててそっちでやってくれ
それから次からはワッチョイ付きでお願いします 恐れ多くも天智天皇が築城を命じられた朝鮮山城をこの板から排除するのは天皇軽視である
日本の成り立ちに関することをはずし後世の城に特化するのは引きこもり症候群である 城壁厨のガイドライン
ばればれの自演連投で、多数を装う。
=を多様するが、脳のキャパが極小なのですぐに混乱する。
自分を批判するレスはすべて同一人物によるものと断定する。
得意技は鸚鵡返しだが、意味不明な変更を加える。
基本的な日本語に不自由している。但し書きが理解できない。
前スレが900に達しないうちに次スレを立てて来たのに、間抜けなので後れをとる。
住人の意向に関係なく、勝手に間抜けなテンプレに変える。
嫌城壁厨という言葉を発明した。
住人に一方的に課した義務を自らは履行しない。
議論議論と連呼するが、専用スレで議論するほどの知識がない。
主目的は平和なスレを荒らすこと。
平日休日を問わず、2ちゃんねるに常駐している。 >>225
朝鮮の地方の城邑では、虎や豹も入って来るし、盗賊もハシゴをかけて入って来る。
そのくらいショボい。
建前の記録の他に、思想、資金、技術といった本音もあると思う。
額面通りに受け止めていいものか… 朝鮮の山城は斜面にせり出すように城壁を造るから梯子で登るのは無理だと思う
http://www.englishspectrum.com/wp-content/uploads/2014/08/e79091f33cd1ee68d292602c29d802b2.jpg
虎なら登れるかも
日本の朝鮮式山城もそうだけどどうやって石を運んだんだろう?というかこんなとこに作る必要あるのかってとこに
一個一個丁寧に石を整形して城壁を組み立ててる
朝鮮出兵の時に半島に渡った武将たちもその切石の技術に感嘆してたらしい
逆に明将からは民衆に負担をかけてるだけだと叱責されてたようだけど >朝鮮出兵の時に半島に渡った武将たちもその切石の技術に感嘆してたらしい
日本の武将は日本にある朝鮮山城を知らなかったということだな
>逆に明将からは民衆に負担をかけてるだけだと叱責されてたようだけど
中国では必要ないと考えられる朝鮮独特の文化なんだな
そんな朝鮮独特の文化をなぜ天智天皇は必要と考え取り入れたのだ? >日本の武将は日本にある朝鮮山城を知らなかったということだな
朝鮮半島の切石に感心したことがどう飛躍したらそんな話になるのか疑問
>中国では必要ないと考えられる朝鮮独特の文化なんだな
>そんな朝鮮独特の文化をなぜ天智天皇は必要と考え取り入れたのだ?
冊府元亀、九百八十五巻には「高麗の城郭は山に依って作られているので攻め落すことは不可能」(高麗城雉依山攻之不可)とある
結局力攻めで落していったのだがそれでも攻略するまでに20年近以上かかっている
隋に至ってはほぼ全軍を投入したのに関わらず手こずってかえって自分のほうが滅んだ
火器が発達した時代の戦いには通用しなかったのだろうが古代においては相当な効力があったのは確か
唐軍と真っ向から勝負して勝てるわけないのだし高句麗のように籠城戦に持ち込む以外の選択肢はなかったのだろう >唐軍と真っ向から勝負して勝てるわけないのだし高句麗のように籠城戦に持ち込む以外の選択肢はなかったのだろう
朝鮮山城が篭城目的であること以前に
天智天皇が倭国人ならば なぜ倭国の戦い方を見切ったのか
いつ攻めてくるかわからない状態で外国文化を急遽取り入れるのは
却って危険と思われるが、、、 自演でしか楽しめない孤高のネット戦士である国士様……
半島での『歴史』は『ポエム』だというのが良くわかるわw
あぁそういや十年ぐらい前に日本近代史板でもいたな。
嘘と妄想で「ウリナラマンセー」を叫んでいた奴。 城壁厨のガイドライン
ばればれの自演連投で、多数を装う。
=を多様するが、脳のキャパが極小なのですぐに混乱する。
自分を批判するレスはすべて同一人物によるものと断定する。
得意技は鸚鵡返しだが、意味不明な変更を加える。
基本的な日本語に不自由している。但し書きが理解できない。
前スレが900に達しないうちに次スレを立てて来たのに、間抜けなので後れをとる。
住人の意向に関係なく、勝手に間抜けなテンプレに変える。
嫌城壁厨という言葉を発明した。
住人に一方的に課した義務を自らは履行しない。
議論議論と連呼するが、専用スレで議論するほどの知識がない。
主目的は平和なスレを荒らすこと。
平日休日を問わず、2ちゃんねるに常駐している。 >>255
いつ攻めてくるかわからない状態で外国文化を急遽取り入れるってのはどこの国でも普遍的にみられることだと思うけど
明治維新だってそうだろ
明治天皇や明治の元勲は白人か? >いつ攻めてくるかわからない状態で外国文化を急遽取り入れるってのはどこの国でも普遍的にみられることだと思うけど
>明治維新だってそうだろ
>明治天皇や明治の元勲は白人か?
中国の近代化でも清から中華民国(北洋軍閥)に変わったように政権の連続性がない
西洋化する過程で徳川政府が明治政府に変わったのも同じく連続性がない
清には清の方式 徳川には徳川の方式があったがそれらが変更を求められ政府が変わった
戦術戦略外交においてパラダイムシフトがおきたのだ
城郭がなかったところに朝鮮山城を持ってくるのはパラダイムシフト現象と捉えられる
戦術戦略外交すべてが新しくなるからだ
天智天皇は過去つまり倭国方式を捨てた
したがって政権(国?)の連続性をまず疑うべきだ
明治維新でも白人が日本を制圧すればパラダイムシフトが起きただろうし
百済の御曹司が倭国で政権をとればパラダイムシフトが起きただろう
少なくとも天智天皇治世は過去の倭国とは連続性がないとして歴史を構築すべきだと言っておこう >>259
>中国の近代化でも清から中華民国(北洋軍閥)に変わったように政権の連続性がない
>西洋化する過程で徳川政府が明治政府に変わったのも同じく連続性がない
光緒新政は清代だし北洋軍閥をつくったのも清だし
明治政府の元勲たちも全員もとは江戸幕府の幕臣でしょ
>したがって政権(国?)の連続性をまず疑うべきだ
政権が変わるとべつの国って面白い価値観だね
とすると民主政権と今の日本は別の国か
>少なくとも天智天皇治世は過去の倭国とは連続性がないとして歴史を構築すべきだと言っておこう
連続性なかったら日本書紀なんて造らなかったよね >光緒新政は清代だし北洋軍閥をつくったのも清だし
清内部の改革はすべて中途半端に終わり辛亥革命がうまれた
>明治政府の元勲たちも全員もとは江戸幕府の幕臣でしょ
徳川幕府は潰れた 連続性などない 明治の元勲は徳川政府の要人ではなく藩士
中華民国も明治政府も政権交代というより王朝の交代だから国が変わった
政府がもつ方式は官僚や軍人の組織が体現している
短時間のうちに政府の方式を変えることは組織の硬直性が邪魔をする
その硬直性を超える圧力があれば王朝交替が起きる
>連続性なかったら日本書紀なんて造らなかったよね
日本書紀は王家の交替を血縁で連続性をつけて正当化している
まさか神代の時代から連続性があったとは誰も信じまい
日本書紀が書かれているから連続性があるとの主張はあさはか
天智天皇で連続性がないとするのは都合が悪いことでもあるのかい
>>百済の御曹司が倭国で政権をとればパラダイムシフトが起きただろう
にコメントがないのはどうしたことだ いってる理屈が意味がわからない
それ全然連続性がないという反論になってないけど
つまり何?百済人に当時の倭国が乗っ取られたという事?
なら言うがその可能性は一%もない
まず第一に百済か渡ってきた貴族のほとんどは下級貴族にすらなれず低い位しか与えられていない
第二百済王の直系の百済王氏ですら最も栄達した敬福が何とか従三位に叙せられた程度
代々娘が生まれると天皇家の後宮に差し出す代わりに存続を許されたに過ぎない
第三日本書記では百済は日本の威光をかって任那にデカいえるだけの三下とかボロカスに叩かれている
第四桓武天皇は母が百済系ばかりに立太子すら危ぶまれるほどでほとんどアウトカースト扱い >百済の御曹司が倭国で政権をとればパラダイムシフトが起きただろう
同じく人質だった松平竹千代が今川家を乗っ取れば、織田信長に先駆けて天下取りできた、みたいな話かw 頭の病院に行ったほうが良いぞ
三貴子=一番下、一番上とも言える 邪馬台国、倭国も無かった時代の話
もともと東北のほうの人間、
人口などを調べてみるとわかる、
東北のほうに移されたとか、そういう話でもない 漫画やアニメばかり観ているから、
こんな事になったと言ってる人がいたり あと倭国=新羅だと言ってる輩がいるけど、
どこの国の人間なんだ? 戦国時代の何やら〜というのも、
ほとんど成り済ましだろう
自称とか勝手に名乗っているだけだったり >>252
専門家も集うスレで、釈迦に説法になるかもしれないが、この画像は、ソウルの外郭部ですよね。
そうであるならば、これは都城。
一般的に、山城、城邑、長城とはみなされません。 >>264
お前がどんどん城のことを書いてお前もゴミでないことを見せればいい。
大体、マンネリ化して過疎って逸脱するる原因もつまらないお前にある。
暗いと不平をいうよりも進んで明かりをつけましょう。 >>272
開き直るゴミくん、お前は他に居場所がないのか?
お前のゴミ書き込みを読まされるより、過疎ってるほうがはるかにマシ ↑
なにも反論できないで罵倒するだけ、惨めな負け犬ですね お前の名前は?と聞いているんだよ、
どこの雑魚なんだ 兄、弟、妹という話?
コンセプトがあるでしょ、これは家の話なんだけど
2chでも、パクリジャンというネタがあったり 本当の話、妹:5月15日生れ
他のスレの話になるんだけど、
クローン?そういうのがいると言ってる人がいたり 家は『松傾』?のような名前の家、
口、アゴの左(もれから見ると顎の↘辺り、右のほう)のほうにホクロのある親戚がいたり 『百済 えびす』
『紙幣 えびす』
こういうモノもあったとか 謎の埼玉名字辞典
百済の人々、元々は「えびす」と書いてあったり、
一番古い家(最初)の人々だという意味じゃないの?
『松傾』のところにも、そのような事が書いてあるし これも有名な話
国譲り?が行われたとき、
芝居ばかり観に行っていたという話
なぜか老婆も同じ話をしていたり
「松傾」?
このような名前の家なんだけど >>263
いくつも反証を並べたつもりかもしれないが反証になっていない けれどその議論は果てしないので控える
ただ次の史実を説明してほしい
百済王子の扶余勇はハクスキエのあと倭国に走った
扶余勇は善光として日本史に組み入れられ日本語Wikipediaでもそう紹介されている
しかし英語版Wikipediaは善光はハクスキエには行っていないので扶余勇とは別人としている
ジグゾーパズルでピースが一個余る 扶余勇は倭国ではいったい誰になるのか?
>つまり何?百済人に当時の倭国が乗っ取られたという事?
ハクスキエの後で倭国王が封禅の儀に列席するのは唐に下ったということなのだから
倭国であらたな政権が発足するには勝者唐から承認されねばならない これはいつの世も同じことだ
したがって扶余勇は乗っ取ったのではない 扶余勇は唐から承認されたにちがいない 【1分で分かる真実の日本史】
3世紀〜 古墳時代
7世紀〜 新羅・百済時代(日本列島上で新羅系と百済系が争う時代)
17世紀〜 日本時代(江戸時代)
19世紀〜 ISIS時代(英国傀儡戦争屋天皇時代) 倭国って先行して日本に来ていた百済だろう
それを新羅が制圧して国号を「日本」に改める
そして中国に「日本と名付けましたぁ!」と報告
日本列島上での初代天皇は新羅人
その後、新羅系も天皇を立て
そこから争いが再び始まる
そもそも縄文人は共生文化なので殺し合わない
殺し合わないから武器を作らない
武器が無いので百済や新羅が我が物顔で縄文人を刈っていた
だから天皇や皇族は日本土人を民草と呼んでいたんだ
草が増えたら征夷大将軍で草刈りのように狩るんだ 誤
日本列島上での初代天皇は新羅人
その後、新羅系も天皇を立て
正
日本列島上での初代天皇は新羅人
その後、百済系も天皇を立て
寄生虫天皇は二匹体制となり争う >>174
>朝鮮式山城で語れるようなことってあるか?
日本史の根幹を揺るがす事件なのだよ 土人は餌をまかれると餌に群がる
餌を撒いたやつは餌に群がる土人を見てうまくいったと思う
同じ餌だとあやしまれるから次はどんな餌にしようかと思う
警戒しないといけないのは知らない奴が餌をまいて土人がこっちに向かなくなることだ 百済王家は朝鮮半島を支配したが朝鮮人ではない
苗字が示すとおり扶余の出身で遼西などを経て朝鮮半島を南下した
扶余より以前はどこにいたかは不明だが由緒ある王家である
書紀に称制という時期があるがなぜ王がいないのに称制なのかの説明をきかない
これは扶余豊が百済王を継いでいたから扶余勇は恐らく皇太弟であったのだ
扶余豊が唐に捕らえられた時期と勇が就位し称制が取れた時期はおよそ重なるから
勇が就位したのは扶余家の正当な後継者という意味であった >>292
土人は血縁という餌に弱い
土人は歴史上の人物の血縁を懸命にほじくる
まるでスターのプライバシーを調べるように
フヒトは土人の性質をよく知っていたのだにぁ 多賀城とか古代の倭式の城はなんですかすかななの?
内側で守備兵がテントでも張って野宿したの。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています