【下剋上】 北条早雲 【大器晩成】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
北条早雲の没年齢は64歳説と88歳説があるがいまだに確定せず。
どちらでも遅咲きの英雄には変わりない。 >>23
風と雲と虹とはどうだ。あの頃は関東は田舎。伊予も田舎。 >>26
風と雲と虹は半分京都が舞台だぞ
若き日の平将門は官職を得るために都へ出る
同じく都へ出た同門の平貞盛との出世競争、
都で出会った吉永小百合演じる美女との恋愛、
都で知り合い同志となった藤原純友との友情などが描かれる
都で挫折した将門は関東へ帰り平将門の乱を起こす 早雲の生年は諸説あり、 若いほうの1456年説を採用したい。
若き日の早雲(伊勢新九郎盛時)と尼子経久が京都で知り合い、共に地方から天下を目指すことを誓う。
てな感じで戦国娯楽活劇希望。 88歳まで生きた方がドラマだよな
ただ64歳で死亡でも遅いスタート >>27
放送時間の半分も京都に割いているわけではない。関東がメインで京都と伊予は脇役。
関東と伊予を足せばこのドラマは中央の物語ではなくローカルの物語。 昔から有名な話『ゼルダの伝説』でしょ?
『トライフォース 北条』調べてみて >>19
定説がなく謎の部分が多い方が作者の妄想で小説やドラマになるんだけど大河ドラマは「ドラマ」なのに史実を求められるという不思議 >>34
大河ドラマは誘致活動をしているときが一番盛り上がって、
いざドラマの放映が始まるとみんなスルーしてしまうからなww >>42
イノシシ狩りを名目にしたんじゃなかったっけ? 何が遅咲きよ
伊勢の傍流が奉公人として若くして出世して
今川の後継問題や鎌倉公方の仕置きを任されるんだから早咲きの部類だろ とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
UM7 >>56
ながらくは早雲の生年が永享4年(1432年)が定説であったが、近頃は康正2年(1456年)も有力視されている。55さんは65死亡ならロマンがないと思われたんだろう。 どこの馬の骨ともわからない素浪人が実力で戦国時代の幕を開いたことに
ロマンを感じる。早雲が切り開いた道がなかったら秀吉は出て来れなかっ
ただろうね。 伊勢宗瑞の父は政所伊勢家の有力一族
足利義政を操りロボットにしようとした伊勢貞親の懐刀
応仁の乱直前の文正の政変にもろに関わる
足利義視を追放しようと画策して失敗するくらいの権力者の父
従兄は貞親の息子で伊勢貞宗で細川政元も一目おく室町幕府重鎮
盛時の伊豆切り取りも細川政元とかの意向の元
官房長官(伊勢貞宗)の子飼いの財務官僚がキングメーカーの幹事長(細川政元)の了解の元に知事に天下りしたのが真相
姉貴が今川の正室に収まるのも身分的には五分五分、田舎の知事と中央の事務次官の娘の政略結婚
甥を今川の跡取りにしたのも中央の権勢の元 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) 北条早雲はどこの馬の骨ともわからない身分から実力で成り上がった秀吉の先駆者。身分や権威が実力に取って代わられる時代が生んだ乱世の奸雄。 法衣姿の有名な肖像画は本人を目の前で見て描いたのではない
江戸時代の作なんだってね? >>80
幕府申次衆の息子。道三の北面の武士の息子とは違う。 要約すると
・素浪人じゃなくて幕臣
・1456年生(1432年生まれだと申次衆になったのが51歳で遅すぎるため)
・伊豆諸島の販路を抑えるために三浦義同を滅ぼす
・敵対していた尾張斯波氏に足利義澄が懇意になったため独立大名化
こんな感じ >>89
今年は今川義元の生誕500周年でもあるが
その早雲は今川家に出自してから関東大名になれたのである
早雲の亡くなった年に義元が生誕するとは不思議な因縁である >>89
今年は今川義元の生誕500周年でもあるが
その早雲は今川家に仕えてから関東大名になれたのである
早雲の亡くなった年に義元が生誕するとは不思議な因縁である もうすぐ「今川氏親と北条早雲」という本が出版される そういえば徳川家康が信玄と同じぐらい崇拝してた武将が早雲だったとか 早雲がいなければ今川氏はどうなっていたかわからない。 今川から独立して伊豆と相模を支配したのが早雲だったよな 女城主直虎でも大河ドラマになったのだww
(まともな資料がたった一行しかないという)
新解釈の新資料を駆使した北条早雲で大河ドラマを作っても良いのでないの?
というか、新解釈新資料バージョンで歴史作家が北条早雲を描きなおしても
いいのでないの? 「乱世の奸雄」という言葉は早雲のためにあるんだね。どこの馬の骨ともわからぬ素浪人が
一国を実力で切り取ってしまった。まさに下剋上。戦国時代の幕を切り開いた英傑だ。 早雲の出自を探るのは秀吉の出自を探るのと同じくらい無意味かつ徒労。戦国時代を始めたのも終わらせたのも素性のわからない成り上がり者。それが戦国時代。旧来の身分秩序が崩れて実力の
時代になったんだよ。 「太田道灌と北条早雲」
これで大河ドラマにすればよろしい 家訓・早雲寺殿21箇条は神仏を崇めよの次がいきなり早寝早起きのススメ
お前らもとりあえずもう寝ろ >>104
スケールダウンは否めないが早雲は三国志の曹操に近い人物だったのであろう >>112
生年は、長らく永享4年(1432年)が定説とされてきたが、近年新たに提唱された康正2年(1456年)説が有力視されつつある.
生年が康正2年(1456年)なら30代。 しかしどうして北条早雲は大河でやらないのだろうか? 北条五代だと100年になり真田三代より長すぎる
早雲だけだと話題に乏しい
よって太田道灌と北条早雲の2人で行くしかない >>115
そうとも言い切れないだろうww
女城主井伊直虎なんか、一行だけしかまともな資料が存在しないのに、
北条早雲はもう少し資料があるだろう?
適当な小説家が新資料を駆使して傑作を書いたらいいだけだろう?
しかも江戸城を作った太田道灌が友情出演するのだから、
東京の人は喜ぶだろうし。
大河ドラマは地域振興的な役割もあるのだからww >>114
同じ時代が舞台の花の乱が視聴率低迷したので懲りたのかな
花の乱面白かったけど
もしやるなら原作は箱根の坂が個人的に希望だな 今のNhkだとラブライブとのコラボになるな
早雲→興国寺城→沼津 >>118
島津や加藤清正は朝鮮がらみでできないのだけど、
北条早雲は朝鮮がらみの問題はないはずだけどな。
女を馬鹿にしているからかなぁww
もっともおいらはあの家訓は正しいと思うのだけどなww 真田太平記みたいに大河とは別枠の年間時代劇で北条太平記を作成すべき ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています